第37話 鬼の影が追い詰めてくる
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模型の付喪神が消えたあと、しん……と昇降口が静まり返った。
さっきまで聞こえていた部活の掛け声も、靴音も、全部遠くなったみたいだ。
こんな放課後の静けさ、普通じゃありえない。
――いや、普通じゃないのは目の前の〝こいつ〟のせいだ。
「……森田」
「なんだよ、そんな顔すんなって。俺はいつも通りだろ?」
いつも通りの軽い声。
なのに、やけに喉の奥がひりつく。
さっき付喪神を〝食った〟言葉と、その時の笑いが、耳から離れなかった。
『主、離れろ!』
肩の上で、ヒイラギが羽毛を逆立てている。
あのヒイラギでさえ、びりびりと震える気配を伝えてくる。
『あれは……あれは、鬼の濁りを纏った人間。近づいてはならん!』
「……森田、さっきの……本気でやったのか」
「さっきのって?」
「付喪神を……食った、って」
「あぁ、あれ?」
森田は、心底どうでもよさそうに肩をすくめた。
「だってよ、あれ、弱いし。壊れかけのやつほど味が濃いんだわ。この感じ、わかんねぇかなぁ?」
その一言に変な興奮が含まれていて、ぞわっと背筋が粟立つ。
「……お前、そんなこと言うやつじゃなかっただろ!」
「ははっ、何それ。柳原は俺の何を知ってんだよ」
笑いながら一歩、近づいてくる。
それに合わせて――森田の〝影〟も、床を滑るように伸びた。
夕日の差し込む角度と、影の方向が、合っていない。
(この〝影〟……嫌な……感じだ)
間違いなく鬼の一部。
――触れたら俺もタダでは済まない気がした。
『主、後ろに下がるんだ!』
ヒイラギに言われるまでもなく、俺は一歩、二歩と後ろへ下がった。
……が、背中がすぐ壁にぶつかった。
くそ、ここは昇降口横の細い通路だ。
逃げ場が――。
森田の影が、ずるり、と俺の足元までにじり寄る。
「なぁ、柳原」
軽い声のまま、鬼の面を被った森田は言う。
表情は読めないが、まるで心底楽しそうに聞こえた……。
「お前さ、ずっとやってんだよな。付喪神に飴やったり、優しくしてやったりさ」
「それがどうした」
「……〝無駄じゃね?〟って話」
その瞬間、足元からひゅっと冷たいものが這い上がってくるような感覚がした。
影が、俺の靴の先をなぞったのだ。
『主!! 影を踏ませるな!!』
ヒイラギの叫びで、咄嗟に足を引いた。
影は、床を黒く染み込ませるように伸びて、またじわりと戻っていく。
「……お前にとっちゃあ、無駄かもしれないけどな。俺には、意味があるんだよ」
「意味、ねぇ」
俺の言葉に、森田は鼻で笑った。
馬鹿にするように、見下すように……心底どうでもいいかのように――。
「意味が欲しいなら数字で取れよ。いいね、再生数、色々あんだろ。そっちの方がずっと分かりやすいだろ?」
「数字だけが意味じゃないだろ」
「数字が全てだよ。お前がこの前ぶっ倒れたニュース……〝マジでバズってた〟ぞ?」
――心臓が、ひゅっと縮む。
あの時の……小次郎さん達を送った後倒れたのを、森田はずっと見ていたのか?
逃げたとばかり思っていたのに――。
「は……? 一体……何を」
「〝旧校舎で倒れた男子生徒〟ってやつな。お前とは小林くらいしか知らねぇだろうけど、安心しろよ。バズったところで誰も気づかねぇさ」
「……見て……たのか?」
「見てたっていうか、ぶっちゃけお前が〝アレをしている姿は〟カメラには映らなかった。残念だよなぁ……。でも倒れた瞬間は〝使わせて貰った〟んだよ。おかげで、通知止まんなくてさ。脳がじんじんして寝不足なんだぜ?」
ケラケラと笑いながら、また一歩近づいてくる。
影も、壁づたいにせり上がり、俺の肩口まで迫ってきた。
『主、これ以上は危険だ! このままでは……魂を啜られるぞ……!』
ヒイラギの声が、耳元で震える。
――喉が渇く。
でも、逃げるわけにはいかない。
――ここで俺が逃げたら、森田はきっと、次の〝餌〟を探す。
それは、学校の付喪神かもしれないし。
クラスの誰かかもしれない。
……そんなのは、絶対に嫌だ!
「森田。俺のことはどうでもいい……。でも小林や、他の奴らには手を出すなよっ!」
「はぁ? 何勝手にヒーローぶってんの? 誰がそいつら狙うって言ったよ」
影がじわり、と……ヘビが首を傾けるように、俺の胸元辺りまで伸びた。
「俺が興味あんのは、〝注目を集めるネタ〟だけだよ。わかる? 〝死人が出た学校〟とか、〝怪異にとり憑かれた生徒〟とかさ」
「……つまり」
「そう……。柳原……〝お前〟だよ」
――息が詰まる。
その間にも、影は広がり続けて圧迫感が迫る。
「ていうか、ほんっとお前、最高の燃料なんだよな。付喪神見えるし、変な儀式できるし……」
――面をずらして見える森田の口角が、ゆっくり吊り上がる。
「〝死ぬ時の顔〟、絶対バズるわ」
「……っ!」
途端、ぐらり、と視界が揺れた。
影が、胸のあたりを絡めとるように締め付けてくる。
影が……俺の中に入ってくる!
――息が、浅くなる。
『主!! 駄目だ……力を使うな! 黄泉送りは――』
(――くそっ)
ヒイラギの制止を振り切って、胸の奥に意識を向ける。
今ここで黄泉送りしてでも、森田から鬼を少しでも遠ざけないと!!
……脳裏に、白い蝋燭の灯が浮かぶ。
まだ……使える。
だけど――使えば、また寿命が削れる。
(それでも……!)
俺は、そっと手を合わせかけ――その瞬間だった。
――ぞくり。
背筋を、一本の氷柱で撫で上げられたような感覚が走る。
『……っ!? 主……この気配……!』
ヒイラギが、羽をばさばさと乱暴に揺らした。
視界の端で、ほんの一瞬、赤い花びらのようなものがひらり、と舞った気がした。
(……曼珠沙華……?)
――まだ、何も見えていない。
けれど、〝何か〟が近づいてきている――そう確信できる気配があった。
その瞬間、視界の隅に、いくつもの白い手がふっと伸びてきて……。
影を払いのけてから、俺を抱きしめた。
森田も、ぴくりと動きを止める。
「……なんだ、これ」
影が、ぬるりと縮こまる。
俺の胸を締め付けていた冷たさが、ほんの少しだけ緩んだ。
『主、まだだ! その灯を消すではない!!』
ヒイラギの声に、俺は慌てて両手をほどいた。
蝋燭の灯が、ふっと揺れて、消えかけたところで――持ち直す。
(危なかった……)
もしあのまま黄泉送りの術を完成させていたら、確実に寿命を大きく削っていた。
その〝隙〟を突くように、別の声が――どこからともなく響いた。
『光一……灯を、乱すでない……』
柔らかいのに、背筋が自然と伸びる。
男とも女ともつかない、不思議な響き。
「……誰だよ」
森田が、苛立ったように辺りを見回した。
背後の黒い靄が、まるで怯えた小動物のように縮こまり、森田の背に張り付き始める。
『〝鬼の欠片〟よ。その子の灯に触れるな』
「は、鬼の欠片?」
俺が思わず呟くと、声は今度は俺の方へ向けられた。
『光一。そなたの寿命の灯は、まだ〝春の火〟ほどの強さしかない。むやみに削れば、あっという間に吹き消えるぞ』
〝春の火〟。
――小さくて、まだ頼りない……けれど確かに暖かい火。
(……俺の、寿命)
喉の奥が、ごくりと鳴った。
森田はチッと舌打ちしている。
「なんだよ……。せっかくあと少しで〝良いところ〟だったのによ」
その瞬間、廊下のガラス窓が、かたん……と小さく揺れた。
見えない何かに弾かれたかのように、森田の影が俺から離れる。
「……っくそ。今日のところは引いてやるよ。柳原、また〝続き〟しような?」
そう言い残して、ふらりと廊下の向こうへ消えていった。
森田の背中が完全に見えなくなったとき――くた、とその場に膝をついた。
「……っはぁ、はぁ……」
『主!!』
ヒイラギが、慌てたように俺の頬を優しくつつく。
『危なかったぞ……! 灯が……ほんの少し削れたな』
「……わかるのか?」
『わかる。主の〝匂い〟が、ほんの少しだけ薄くなった』
――冗談じゃない。
でも、寿命を一瞬でも削った感覚は、確かにあった。
心臓が、いつもより少し重く感じる。
『それでもよく耐えた。……あれ以上踏み込めば、本当に命を落としておったやもしれん』
「……さっきの声の主、だよな」
『千手観音様だ……まだ姿は見せていらっしゃらないが……。主……鬼はもう、森田の中で形を成し始めておる……』
「分かってる……」
千手観音様――。
胸の奥で、さっきの柔らかな声が、もう一度静かに響く。
『光一。寿命が削れれば削れるほど……黄泉送りの灯は不安定になる。不安定な灯ほど、鬼は喰らいに寄ってくる……。だからこそ、灯を、乱すでない……』
(……なら、どうすればいいんだよっ!)
心の中で問いかけても返事はない。
胸の奥の蝋燭の灯が、かすかにチリ、と音を立てた気がした。
俺は壁にもたれかかったまま汗を流し、しばらく立ち上がれなかった――。
楽しんでいただけていたらいいんですが……(;´Д`)
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