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忘れられる前に、最後の願いを。  作者: 寿 明結未(ことぶき・あゆみ)
付喪神ーお琴と清さんー

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第3話 壊れてしまった懐中時計の『爺様』

ブックマーク、評価、感想、誤字脱字報告ありがとうございます。

 曾祖母さんが大切にしていた家具や食器が、次々と壊れていく中――。

 お琴は何度も懐中時計を見に行っていた。

 それはとても古い懐中時計で、今にも止まってしまいそうな……そんな時計だった。


「お琴、その懐中時計は?」

『これにも付喪神が宿っておる。私が爺(・)様(・)と呼んでおるお方じゃよ』

「それが……」


 ――あの夢で見た、朗らかに笑う翁(おきな)のお面をつけた男の人。

 今は姿を見ることができないが、彼がこの懐中時計に宿っているのだ。

 懐中時計はまだ時間を刻んでるが、その音は消え入りそうなほど小さくなっていた。


『お菊が光秀のために買った懐中時計で、光秀はどんな時も手放さなかった。彼のお守りのような存在だったんじゃよ』

「お守り……」

『爺様は光秀のお守りだったんじゃ。彼を守り、その妻であるお菊を守り、息子である幸之助を守り……。時を刻みながら家を守ってきたんじゃ……。でも最近は元気が無くて……』

「そうだったのか……」


 時計から響く音は「チ、……チ……」と、時折途切れ、今にも止まってしまいそうだった。

 悲しい声で呟くお琴の姿に、俺は黙って頭を撫でる。

 そして、もうすぐ止まりそうな懐中時計を優しく撫でて、静かに言葉をつむぐ。


「……爺様。姿は俺には見えないけど、家を、家族を守ってくれてありがとう。心から感謝するよ」

『……っ!』

「お琴のことだって、本当は心配だろうに……。も(・)う(・)、(・)時(・)を(・)止(・)め(・)て(・)し(・)ま(・)う(・)の(・)か(・)?(・)」


 俺が問いかけても、返事はなかった。

 ただ、お琴は大粒の涙をこぼしながら、歯をくいしばって、ぎゅっと目を閉じた。


「俺は悲しい。爺様がいなくなるのは……寂しい……お琴と一緒だよ」

『光一……』

「出来るならば最後まで……」


 それは心からの願いだった。

 だけど、曾祖父さんが使っていたという懐中時計の秒針がついに――。


「カチ、カチ……カ……チ……カ」


 お琴の指の上で、秒針が震えるように動き、フッと最後の息を吐くように……。

 まるで息を引き取るように沈黙したのだ。


 ――途端、お琴は初めて声をあげて泣いた。


 蓋がばらりと外れ、鎖も音もなく切れて、時計はもう動かない。

 お琴はそれを小さな手でしっかりと握りしめて、声をあげて泣きじゃくった……。


「お琴……」

『……動かない……爺様……』


 お琴の悲痛な声に反応するように、食器や家具にパキッと亀裂が走る。

 家の壁にまでヒビが走り、パキリ、ピシリと乾いた音がした。


 曾祖母さんが亡くなってから、お琴にとっては爺様だけが残った支えだったのだろう。

 その爺様がいなくなってしまっお琴は泣き止まず――俺はどうにもできなかった。

 けれど、壊れてしまった懐中時計は、もう動かない。


『爺様ぁ……爺様ぁああ!!』


 俺は泣き叫ぶお琴をぎゅっと抱きしめた。

 今はこんなことくらいしか出来ない自分が歯がゆい。


「光一、どうしたんだ? 急に家鳴りもするし……」


 遺品の整理をしていた祖父が、曾祖母さんの部屋に入ってきた。


「……ああ、懐中時計が壊れたんだ」

「どれどれ」


 俺が時計を見せると、祖父は悲しげな顔をしてそれを受け取った。


「懐かしいな……お前の曾爺さんさんが大事にしていた懐中時計だ」

「お菊さんがプレゼントしたとか?」


 お琴が曾祖母さんを呼ぶときの呼び方が、つい俺の口からも出た。

 祖父は少し驚いたようだったが、うなずいてくれた。


「当時はとても高価なものだったと聞いている。中古品だったらしいが年代まではわからん。お前の曾祖母さんが長かった髪を切って、それを売ったお金で買ったらしい」


 当時の女性にとって長い髪は大切なものだったはず。


「父さんは、どんな時もそれだけは大事にしていた。母さんは、ハーモニカだったかな」

「これのことか?」


 俺が胸ポケットから取り出したハーモニカを見せると、祖父は嬉しげに受け取った。


「そうそう、これだ。……納骨する時、一緒に入れてあげたほうが喜ぶかな」

「――待ってくれ!」


 祖父の言葉に、思わず声をあげた。

 自分でも驚くほど大きな声だった。

 そして、俺はハーモニカと壊れた懐中時計を持ち、祖父と向き合う。


「このふたつ、俺にくれないか?」


 祖父はびっくりしたように目を見開いた。

 けれど、すぐに「それなら」と言って、胸ポケットから赤い櫛を取り出した。


「なら、これも一緒に供養してもらおうかな」

「櫛(くし)?」


 それは真っ赤な漆塗りの櫛(くし)だった。

 模様はなかったけれど、大切に使われていたのがよくわかる。


「これは俺が就職して初めて貰った給金で、母さんにプレゼントしたものなんだ。……こんなものまで大事にとってあるなんてなぁ。もっとたくさん会いに来ればよかったよ。今は後悔してる」


 曾祖母さんの家は、祖父母の家からかなり遠い。

 車で高速を走っても三時間はかかる山奥だ。

 高齢の祖父母には、大変な距離だったろう。

「無理はしないで、今日はゆっくり休んで」と声をかけると、祖父は部屋を出ていった。


「お琴」

『爺様……爺様……』


 お琴は涙をポロポロ落としながら、壊れた懐中時計に呼びかける。

 でも、もう時計が動くことはない。


「爺様はもう死んでしまったかもしれないけど、時計の方は俺ができる限り直してやるよ。……元通りにはならないかもしれないけどな」

『……本当か?』


 お琴が不安げに俺を見上げてくる。

 俺が彼女の小さな体をそっと抱き上げると、お琴はぎゅっとしがみついてきた。


 この懐中時計は、お琴にとって本当に大切な存在だったのだ。

 だから――俺は、どれだけ多くの時計屋を回ってでも修理してもらおうと思った。


 お琴の涙が止まるにはしばらく時間がかかった。

 それまでの間、俺は彼女を膝の上に座らせて、赤い漆塗りの櫛で長くてきれいな髪を優しくといた。

 きっとこの髪も、曾祖母さんのように育てたのだろう。

 サラサラと流れる黒髪は、月明かりを返して金色に光り、とても美しかった。


「お琴、これから俺が毎晩髪をといてやろうか?」


 お琴は言葉を返さなかったが、小さく頷いた。

 その時、ぽたりと大粒の涙が懐中時計に当たって弾け、その瞬間、壊れた時計の上で小さな影が震えた。


「きれいな姿で付喪神になれよ? 俺を守ってくれるんだろう?」


 その言葉に、お琴の肩がピクリと動き、袖で涙を拭う。


『光一』

「ん?」

『私は……果報者(かほうもの)だ。必ず立派な付喪神になってみせる。爺様との……皆との約束を、果たしてみせる』

「……その通りだな。俺もできることは手伝う……。だから、一緒に頑張ろう。二人一緒ならきっと、立派な付喪神にもなれるさ」


 お琴の決意を込めた言葉に、俺も決意を込めて応え、彼女の頭を優しく撫でる。

 今は悲しいことだらけかもしれない。

 それでも、この家からは近々出ていかねばならなくなる。

 その時、お琴は俺が連れて帰る。


「必ず――お琴を付喪神に」

「ありがとう……光一」


 ぎゅっと抱きついてきたお琴を抱き返し、俺は覚悟を決めた。

 この道の先に何が待っているのかは、まだ何も予想できない。

 それでも――新しい場所で過ごしながら、必ずお琴を付喪神にしてみせる。

 それが、今何も出来ない自分への戒めでもあり、前を向くきっかけとなったのだった。

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