第2話 ハーモニカの付喪神「お琴」
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最初にお琴が言ったのは、「神格持ちの付喪神になりたい」ということだった。
神様のような存在になりたい――そこまではなんとなくわかった。
けれど、なぜそこまで望むのか。
その理由は、すぐには教えてくれなかった。
『家にある付喪神たちの願いを、自分が叶えるのじゃ』
お琴は真剣な表情で言った。
だが、そこから話がなかなか進まない。
仕方なく、ひとつずつ聞いていくことにした。
「家にある付喪神たちは、お前についてくるとか出来ないのか?」
『皆、お菊がいなくなることを知っておる。そして、もういなくなったことも知っておる。それでこの家の付喪神たちは、自分たちの命もそこで終わるのだと勝手に覚悟を決めておるのじゃ』
――覚悟を決めている?
どういうことなんだ?
遺品整理をすれば、着物は人の手に渡るかもしれない。
タンスだって処分されるかもしれない。
それでも――形さえ残っていれば、存在はできるんじゃないのか。
……そう思ったのに、なぜ皆そこまで言う必要があるんだろう。
『お菊亡き後、付喪神たちは自分の意思で壊れることを望んでいる。皆お菊と共に逝くのだと言って聞かなかった……。それ故、私にお菊や光秀の記憶を託したいと申し出たのじゃ』
「そうなの……か?」
思ってもいなかった話に、思わず問い返していた。
お琴は小さくうなずくと、顔をそっと伏せた。
「……お前は一緒には逝ってやらないのか?」
――口に出した瞬間、自分の言葉の冷たさに気づいた。
俺は今、五歳の少女の姿をした存在に何てことを言ったんだろうか……。
けれど、お琴はそんな俺を責めることなく静かに口を開いた。
『私が死んでは、いつの日か皆がお菊の事も光秀の事も忘れてしまうであろう……二人を二度も死なすわけにはいかぬ』
「二度死なせる? どういう事だ?」
意味がわからなくて問い返すと、お琴は語り出した。
人の死は、二度訪れるのだと。
一度目は、寿命をまっとうして死ぬこと。
そして二度目は――人々の記憶から忘れ去られてしまうこと。
その言葉に、俺は思わず眉を寄せた。
「……二度死ぬ、か」
……背筋をひやりとしたものが走る。
『私はお菊と光秀を忘れたくは無い。だから徳を積んで神格持ちの付喪神になりたいのじゃ』
「別に神格持ちにならなくても、普通の付喪神じゃダメなのか?」
『いいや。普通の付喪神では、けがれてしまえば妖怪にも鬼にもなってしまう。ゆえに私は、神格持ちの付喪神となって、そのようなことなく二人の記憶を守りたいのじゃ!』
お琴の表情はとても真剣で、冗談を言っているようには見えなかった。
ずっと近くで見てきたんだろう。
だからこそ、強く想っている。
「……お琴は優しいんだな」
お琴の頭を撫でてやると、お琴は顔を真っ赤にして、俺の手をぺしっとはらった。
「可愛いな……ほら、そんなに照れるな照れるな!」
『照れておらぬ! 優しいのは当たり前じゃ! お菊と光秀の一番近くにいたのは私なのじゃからな!』
そう言いうと、お琴は着物の裾をむすっとつまんでそっぽを向いた。
ふくれっ面で胸を張るお琴の姿があまりにも可愛くて。
俺は笑いをこらえるのに必死だった。
――お琴は、ほんとうに可愛い。
一人っ子で弟や妹が欲しかった俺にとって、そんなお琴はまるで理想の妹みたいに思る。
「もし俺がそれでも断ると言えばどうなるんだ?」
ちょっと意地悪な気持ちで聞いてみた。
けど、それはお琴の怒りを買ってしまったようで――。
『……その時はお主たち一族を七代先まで呪う』
「……まじかよ」
(……おい、一瞬でホラーな存在にジョブチェンジしたんだが!?)
胸の奥で息が止まりかける。
見た目は子どもでも、お琴は付喪神になりかけている存在なのだと、思い知った。
『兎に角、私は家の事しか知らぬ身! 光一には常日頃からお菊の遺品である私を連れ歩くことをお願いしたい!』
「あ、ああ……ハーモニカをねぇ……」
曾祖母さんが大切にしていたハーモニカを手に取ると、お琴は嬉しそうに笑った。
『光一、もう一度聞くが……私をちゃんとした付喪神にしてくれるか?』
俺の手を小さな手でぎゅっと握るお琴に、俺は静かにうなずいた。
ここまで曾祖父さんと曾祖母さんを想ってくれている。
そんな彼女を、俺だって大事にしたいと思う。
それに――もう一つ単純な理由がある。
お琴は、年の離れた妹のような感じで可愛い。
「分かった、お琴を付喪神にしてやる。何せこんなに可愛い子を放ってはおけないからな。だから、立派な付喪神になれよ?」
そう言ってお琴の頭を撫でると、幸せそうな笑顔を浮かべて強く頷くのだった。
◇◇◇◇
その日の夜、俺は不思議な夢を見た。
夢のはずなのに、意識だけは妙に冴えている。
(……これ、本当に〝ただの夢〟なのか?)
俺の目の前には、お琴と、翁のお面をつけた男の人が座っている。
たぶんその人は、俺が初めて見た、お琴以外の付喪神だったんだと思う。
二人は俺の話をしているみたいで、そっと耳をすませた。
『光一に私の姿が見えた時、どれほど嬉しかったことか。それこそ幸之助……お菊の一人息子が生まれたとき以来のようなきもするのう』
『良かったなぁお琴。光一にはお前の姿が見えた。良かったなぁ……』
どこからともなく、ほかの付喪神たちの声も聞こえてきた。
姿は見えない、だが声だけはお琴を祝福しているかのように聞こえた。
お琴は満面の笑みを浮かべ、俺には見えない誰かの元へ走っていった。
暫くして戻ってくると、「爺様」と呼んだ付喪神を見上げ、気遣うような表情を浮かべる。
『爺様……今日は特に元気がない……一体どうしてしまったんじゃ?』
お琴が声をかけると、翁のお面をつけた「爺様」はゆっくりと顔を上げて、お琴の頬に手をふれた。
『光一には私の姿が見えたぞ! でもなぜ爺様の姿は見えなかったのじゃろう……? 爺様は何かご存知か?』
『良かったなぁお琴。光一にはお前の姿が見えた。良かったなぁ……』
『爺様?』
お琴の声は届いていないのか――。
爺様は嬉しげに「そうかそうか」と何度も同じ言葉をくり返すだけだった。
他の付喪神たちも心配しながら声をかけていたけれど、爺様の耳には他の付喪神たちの声も届いていないようだった。
まるで、陽の光の中で夢を見ているように、静かに外を見つめている。
『……爺様も、光一に会いたかったのではないか?』
お琴が問いかけると、ふとそれに気づいた爺様は小さく首を横にふり、どこか満足そうに笑った。
お面の下の表情は見えなかったけれど、きっと穏やかな顔をしていたんだと思う。
やがて爺様は、曾祖母さんの化粧台に手をそっと置いて、ぽつりとつぶやいた。
『お菊が先に逝ってしまった』
『爺様……?』
お琴は心配しながら、シワだらけの手をそっと握りしめた。
爺様は、顔を外に向けたままその手を握り返し、静かに口を開いた。
『お前は清らかな付喪神となり、神格持ちとなるのじゃ。お菊と一緒に逝くワシらの分まで幸せになってもらわねば困る』
『なぜ皆はお菊と共に逝ってしまうのじゃ? 私だけが取り残されるのは悲しい……せめて爺様だけでも――』
お琴は爺様の手を強く握った。
もう決まったことだと言わんばかりに首を横にふって、お琴の手をそっとほどいた。
『皆、お菊が好きじゃった……。他の者達の手に渡り使われるくらいなら……お菊と共に逝きたいのじゃよ……』
その言葉は、古い家の空気よりも冷たく胸に沈んだ。
俺は思わず視線を落とした。
そこまで思い詰めていたなんて……胸の奥で息をのむ。
『でも爺様は私と一緒に来てくださるのじゃろ?』
……その問いには、答えは返ってこなかった。
お琴が爺様の手を握る力が、痛いほど強くなる様子が、見ているこちらまで伝わってくる。
――目が覚めても、胸のざわつきは消えなかった。
気づけば、布団の中でぎゅっと手を握りしめている。
(……爺様、どうして俺には見えなかったんだ?)
そんな疑問が、ずっと頭の片隅に引っかかったままだった。
◇◇◇◇
そんな不思議な夢を見た次の日。
本家の人たちは、あっさりと帰っていった。
家に残ったのは、俺と祖父母、そしてお琴だけになった。
祖父が、「遺品整理は任せる」と言って出ていった本家の人たちとはもう会う必要はないと言ってくれた。
俺がその言葉に安堵している一方で、お琴はというと――。
祖父に見えないことをいいことに、「幸之助!」と呼びながら彼の後ろをついてまわっている。
曾祖父母の間に生まれたのは、祖父である榊原幸之助ただ一人。
お琴によれば、祖父のことはお腹の中にいた頃からずっと見守っていたらしい。
『無事生まれて来た時は、家中の付喪神が盛大に祝ったものじゃ!』
楽しそうに話すお琴の目は輝いていた。
祖父が小さかった頃、川に落ちたり、魚を釣ってきては晩ごはんになったり……。
やんちゃだった祖父の少年時代を懐かしげに語るお琴は、本当にうれしそうだった。
――だが、その出来事は突然起きた。
――パリン。
――パキン……。
「……っ!」
続けてパリン、と食器が割れた瞬間、俺は思わず身じろぎし、眉を寄せた。
(もしかして……夢で聞いた通りになるのか?)
手のひらがじっとり汗ばむ。
食器が割れる音が響いたかと思うと棚やタンスにヒビが入り……。
まるで魂が抜けていくように、ひとつ、またひとつと壊れていく……。
「やだわ……なぜかしら? 急に食器が割れたのよ」
「こっちの家具もだ……。金具が壊れてもう使い物にならないな」
お琴は俺の袖にしがみついたまま、今にも泣き出しそうな顔で小さく震えていた。
祖父母も、何が起きたのか分からず困惑していた。
「……お琴、大丈夫か?」
『……』
「辛かったら、泣いて良いんだぞ?」
お琴の手を包むようにそっと握りしめながら、俺はもう一度声をかけた。
(……泣かないのか)
泣きたいのは明らかなのに、それでも泣かないのが、見ていて余計につらかった。
俺はそっと視線を落とした。
涙を我慢して震えている小さな肩から、声にならない叫びが胸に痛いほど響いてくる。
優しく声をかけ、そっと抱きしめても――。
それ以降――〝あの日〟が来るまでお琴は決して泣かなかった。
そして、この日から俺は少しずつ変わっていくことになる。
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