第9判定:放課後のオーバーライトと、心拍の上昇
白石ユウというノイズが私の日常に介入し始めてから、私のシステムは定常的な高負荷状態にある。
あの日、海辺で渡された「記念」のガラス片は、自室のデスクの端──最も計算の邪魔にならない、けれど視界からは決して外れない位置に置かれていた。
ふとした瞬間に、窓から差し込む光があの破片を透かす。
すると、無機質な私の部屋に、あの日見た不規則な虹色が広がる。
そのたびに、私の演算回路は一時的にフリーズし、波の音と、ユウの指先の熱を、鮮明に再生してしまうのだ。
◇
「イオリ、今日の課題もう終わった? もしよかったら、ちょっと付き合ってよ」
放課後の図書室。静寂が美徳とされるこの場所で、ユウの声はやはり浮いている。
私は周囲の視線を計算し、彼を閲覧室の隅へと誘導した。
「何の用ですか。私はこれから、明日の適性試験の勉強をする予定です」
「それがさ。この『旧世代の詩集』、何度読んでもシステムが推奨する解釈と、俺の感想が一致しなくて」
ユウが差し出したのは、紙の褪せた古い本だった。
私は効率的に、中央サーバーの「推奨解答」を呼び出し、彼に提示する。
「この詩の主題は『社会への貢献と個の消去』です。それ以外の解釈は、スコアを下げるだけのノイズに過ぎません」
「でもさ。この一節、『夕立の後の土の匂いに、僕は君を思い出す』って……これ、貢献の話かな? もっとこう……もっと、個人的で、苦しいくらいの熱の話じゃないの?」
ユウが本の一節を指さす。
その指先が、私の手に微かに触れた。
海辺で触れた、あの熱。
【心拍数:102。規定値を15%超過】
「……それは、非合理的な思い込みです」
「じゃあ、イオリは? 雨上がりの匂いとかで、誰かの顔が浮かぶこと、一度もない? ……例えば、あの日、一緒に見た海の色とかさ」
まっすぐな瞳。
私は答えを検索しようとして、激しいエラーを吐いた。
脳裏に今、不規則な波の音と、琥珀色の瞳が──システムが最も推奨しない「彼」のデータが、既存の論理を塗りつぶすように溢れ出したから。
「……未検出です。」
私は逃げるように視線を本に落とした。
嘘だ。私の計算式は、もう彼の存在を「ノイズ」として処理しきれなくなっている。
「……明日も、ここで。新しい観測データを、期待しています」
「うん、約束しよう。 ……イオリ、好きだよ。君の、そのちゃんと向き合おうとしてくれる、そんな真面目なところ」
さらりと言われた言葉に、私の回路は完全にショートした。
「好き」という単語の定義を、もはやデータベースから探す必要はない。
ただ、夕暮れの図書室に響く自分の鼓動が、あまりにうるさくて。
適性スコアも、効率的な未来も、今の私にはどうでもよくなっていた。
私は、彼が差し出した「正解のない世界」へと、一歩踏み出す決意を固める。
「白石ユウ。明日、放課後に時間を空けておいてください。学園の監視ログに、致命的な『余白』がある場所を見つけました」
「え、それって……」
「私たちの、新しい観測地点です」
それは、模範生徒である私が初めて口にした、システムへの叛逆の萌芽。
私たちは、ただの友人でも、監視対象でもない──互いのエラーを共有する「共犯者」への道を、歩み始めていた。




