第28判定:なぜという問いと、答えになれない言葉
放課後の廊下で、佐伯先輩の背中を見つけた。
「先輩、少しだけいいですか」
先輩は足を止めず、ただ歩幅をわずかに緩めた。
私はその隣に並んだ。
計画の骨格は、三日かけて組み立てた。
管理官の交代時間、カメラの死角、地下ピットからの搬出経路まで変数はほぼ潰せている。
技術的に解決できない問題は、二つ残っている。
そのうちの、一つ。それが、最も根本的な問題だった。
「花を持ってユウのそばまで行けたとして、私がそこにいる理由が作れません」
廊下を行き交う生徒たちの足音が、遠くなったり近くなったりしている。
先輩は前を向いたまま、低い声で返した。
「誰かに届けてもらう、という選択肢は」
「潰しました。地下ピットから花を出した瞬間、環境センサーに検知されるリスクがある。搬出から時間をかけられない。誰かに渡して届けてもらう余裕は、ない。それに」
私は続けた。
「ユウが言ったのは、私に見せてほしい、ということでした。誰かに届けてもらうのでは、あの約束の意味が変わります」
先輩はそれきり黙った。
二人分の足音が廊下に響く中、答えを待っていた。
けれど先輩の横顔は動かなかった。
その静けさの中に立っていると、この問いは答えが出る性質のものではないのだと、じわじわと分かってきた。
「……今日は、答えを求めて話しかけたわけでは、なかったのかもしれません。詰まっていることを、言葉にしたかっただけです」
先輩の肩が、ほんのわずかに動いた。
「ユウのスコアの限界まで、あと十日を切っています。詰まったまま一人で抱えていられる時間が、もうない。それだけは、分かっています」
廊下の角を曲がったところで、先輩が足を止めた。
窓の外に、夕暮れの中庭が見えた。
等間隔に並ぶベンチ、対称性の並木。
完璧に管理された景色が、橙色の光の中に沈んでいる。
その時、背後から足音が近づいてきた。
振り返ると、朝倉が立っていた。
廊下の向こうから歩いてきたのか、その足が私たちの前でわずかに止まった。
先輩を一瞥し、それから私を見た。
「少し、話せるか」
佐伯先輩が踵を返した。
「私は行くわ。あなたはもっと人を頼ってもいいのかもね」
それだけ言って、先輩は朝倉の横をすり抜けるように去っていった。
◇
廊下に、私と朝倉だけが残された。
窓の外、中庭の並木が夕風に揺れている。
朝倉は動かなかった。
私も動かなかった。
やがて朝倉が口を開いた。
「一つだけ、聞いていいか」
「どうぞ」
「なぜ、白石なんだ」
何となく、予測していた問いだった。
それでも、即答できなかった。
なぜ、ユウなのか。
合理的な説明を探しても、論理的な根拠を辿っても、言語化できる形のものが何も出てこなかった。
言葉になる前に、何かが溶けてしまう。
「答えられないのか」
「答えを、探しています」
「答えが出ないなら、理由がないということだ」
「違います。理由はあります。ただ、言語化できる形をしていない」
「それは、問いに対する答えになっていない」
「そうですね」と私は頷いた。
「でも、あなたが三日間検証し続けた問いも、答えが出なかったでしょう」
朝倉の気配が、わずかに変わった。
「……なぜそれを」
「あなたがそういう人間だから、そうすると思っただけです。違いましたか」
朝倉は何も言わなかった。
その沈黙が、答えだった。
「正しいことをした、という結論に辿り着くたびに、また別の問いが生まれて、また同じ結論に戻ってくる。そういう三日間だったのではないですか。」
「勝手に分析するな」
「あなたは答えの出ない問いを持ち続けられる人です。でも、それが自分の過ちに触れる問いだった時だけ、同じ場所を回り続ける」
「お前には関係ない」
「そうです」と私は言った。
「でも、あなたが私に関係ないと言えるくらい、私もあなたに関係ない。なのに、あなたは今ここにいる」
◇
窓の外で、中庭の照明がともり始めた。
管理された光が、等間隔に並木を照らしていく。
長い沈黙の中で、その光だけが着実に広がっていった。
やがて朝倉が、ゆっくりと口を開いた。
「秩序を守ることが、人を守ることだと思っていた。だが、その結果誰かが削られて追い詰められているなら……それ自体が間違っているのか、俺の判断が間違っていたのか。まだ、答えが出ない」
「どちらも、正しいのかもしれません」
窓の向こうに視線を向けたまま、言葉を続けた。
「システムは多くの人を守るために機能している。でも、システムの維持が目的になった時、守るべき人間を見失う。その時に必要なのは、システムへの服従ではなく、自分の頭で是非を判断する勇気だと思います」
廊下の光が、二人の間を無機質に照らしていた。
朝倉は何も言わず、ただ、夕闇に沈む自分の足元をじっと見つめていた。
その輪郭が、かすかに強張ったように見えた。
「……システムを過信して、白石や綾瀬を追い詰めた。それは俺の過ちだということか。お前は、それを責めないのか」
「責めても、スコアは戻りません」
朝倉はかすかに視線を落とし、何かを計算し直すように、ゆっくりと瞬きをした。
彼の中の緻密な回路が、初めてシステム以外の答えを探して、激しく明滅しているようだった。
廊下の空調が一定の音を吐き出し続ける中で、重さを飲み込むような間があった。
「俺に、できることはあるか。綾瀬が何かをしようとしているのは、分かっている」
葛藤を吹き飛ばしたような軽さではなく、長い時間をかけて何かを飲み込んだ末の、重い静けさが漂う。
私はしばらく、その言葉の重さを確かめるように黙っていた。
「今は、まだ話せません」
「なぜだ」
「あなたが本当にそう思っているのか、まだ分からないから」
朝倉の目が揺れた。
「信用していない、ということか。もうこれ以上、密告するつもりはない」
「信用と不信用の話ではありません。あなた自身が、まだ迷っている。その状態で巻き込むのは、あなたにとって不公平です」
朝倉は何も言わなかった。
「逡巡した結果、そう思ってくれるなら、話します。」
そう告げてから、私は歩き出した。
背後で、朝倉が小さく言った。
「……お前は、変わったな」
私は足を止めなかった。
「変わったというよりも、見えていなかったものが、見えるようになっただけです」




