第25判定:二つの瀬戸際と、残された時間
花芽を確認してから、三日が経過した。
私は毎夜、地下ピットへ向かいながら、一つの計算を繰り返していた。
花が咲くまで、あとどのくらいか。
環境データから推測すると、早ければ十日。
遅くとも、二週間以内。
咲かせるなら、咲かせ切りなさい。
佐伯先輩の言葉が、ずっと頭から離れない。
◇
その朝、佐伯先輩から声をかけてきた。
これまでは、私の方から探していた。
先輩の方から来るのは、珍しい。
「……綾瀬イオリ。今日、時間を取りなさい」
抑揚のない声だった。
けれど、その目に、いつもと違う色があった。
「……何かありましたか」
「放課後、屋上へ」
それだけ言って、先輩は歩き去った。
◇
放課後。
屋上の扉が、音もなく開いた。
夕暮れの風が、制服の裾を揺らす。
佐伯先輩は、いつもの場所に立っていた。
フェンスから少し離れた場所。
街を見下ろす位置。
「……来たわね」
「はい」
私は先輩の隣に並んだ。
しばらく、二人とも黙ったまま、街を見ていた。
先輩が口を開いたのは、照明が街に灯り始めた頃だった。
「白石ユウの適性スコア、限界値まであと三ポイントよ」
私の心拍数が、跳ねた。
「それは……」
「再審査の自動トリガーまで、二週間を切った。このペースで低下が続けば、早ければ十日以内に再審査が始まる」
十日。
私は、その数字を静かに飲み込んだ。
沈黙が続いた。
夕暮れの光が、フェンスの向こうの街を橙色に染めている。
私は、その景色を見たまま口を開いた。
「……先輩に、打ち明けていいですか」
先輩は答えない。
それを「いいえ」とは受け取らず、私は続けた。
「地下ピットで、花を育てています」
「花を、……そうなのね」
「ユウが連行される前に、私に託した種です。システムの死角で、センサーにダミーデータを流し込んで、ずっと育ててきました」
「今、どういう状態?」
「花芽が一つついています。早ければ十日以内に咲きます」
「そう」
先輩は、街から視線を外し、自分の手元を見た。
「……よく、ここまで育てたのね」
その声は、いつもより少しだけ、柔らかかった。
どこか、懐かしむような色があった。
「一つ、伝えなければならないことがある」
先輩が、再び街を見ながら言った。
「地下ピットの環境センサー、来週、定期メンテナンスが入る」
私の指先が、冷えた。
「……それは」
「メンテナンス業者が入れば、ダミーデータの偽装が解除される可能性がある。あなたが仕込んだプログラムは、外部からのアクセスには対応していないはずよ」
「……いつですか」
「七日後」
七日。
花が咲くまで、十日以上かかるかもしれない。
メンテナンスは、七日後。
「……間に合いません」
私は、その事実を静かに認識した。
「ええ」
先輩は、頷いた。
「……先輩は、どうすればいいと思いますか」
私は、初めて先輩に「答え」を求めた。
これまでは、常に自分で計算してきた。
でも今は、変数が多すぎて、最適解が出ない。
先輩は、少しだけ間を置いた。
「……私なら、花が咲く前に、見せる」
「リスクが高すぎます。監視下で、七日以内に」
「ええ、高い」
先輩は頷いた。
「でも、咲かせ切れないまま終わるより、いい」
その言葉は、静かに、けれど確実に、私の胸に刺さった。
かつて、先輩が「途中で手放した」と言っていた言葉が、今になって別の重さを持って響く。
「……先輩は」
「私の話はいいわ」
遮られた。
先輩は、フェンスの向こうの街に視線を向けた。
「あなたは、どうするの、綾瀬イオリ」
私は、答えなかった。
答えられなかった。
七日以内。
監視下で、管理官二人の目をかいくぐって、ユウに花を見せる。
成功確率は、計算するまでもなく、低い。
けれど。
「……咲かせ切ります」
私は、フェンスの向こうを見たまま言った。
「根拠は」
「ありません」
即答だった。
「ただ、そう決めました」
先輩は、それ以上何も言わなかった。
◇
一人残された屋上で、私は夕暮れの街を見下ろした。
七日。
ユウのスコアの限界まで、十日。
花が咲くまで、十日から二週間。
全ての変数が、同じ方向を向いて、収束しようとしている。
私は、ポケットの中のガラスの破片を握りしめた。
指先に、確かな重さがある。
「……計算を、開始します」
誰もいない屋上で、私は呟いた。
覚悟だけを胸に、最後の作戦を組み立て始めた。




