第18判定:帰還と、再起動の熱
佐伯先輩が「来週」と言ったのは、七日前だ。
つまり、今日。
私はその事実を、起床してから三百四十七回、頭の中で確認していた。
不確定要素が多すぎる。
何時に戻るのか。
どの経路で来るのか。
監視の密度はどの程度か。
計算しようとするたびに、変数が足りなくて、答えが出ない。
INTJにとって、これほど非効率な精神状態はない。
分かっている。
それでも、足が廊下を急いでいた。
◇
午前の講義が終わった。
ユウはまだ来ていない。
午後の講義が終わった。
それでも、来ない。
私は端末を開き、今日の行動ログを確認する。
完璧な波形。適性スコア、今週も最高値。
「正しいイオリ」は、今日も正しく機能している。
放課後の分析棟。
私はいつもの席に座り、カーソルを動かした。
動かした、はずだった。
その時。
廊下の向こうから、聞き覚えのある声が聞こえた気がした。
気がした、だけかもしれない。
私は顔を上げない。
端末から目を離さない。
けれど、心拍数が跳ね上がる。
【心拍数:114。規定値を二十六パーセント超過】
「……誤検知の可能性があります」
私は、誰にも聞こえない声で呟いた。
◇
「──イオリ」
声が、降ってきた。
低くて、少しだけ掠れていて、それでも間違えようのない声。
私は、端末から目を上げた。
そこにいたのは、白石ユウだった。
黄色のバッジ。
太陽みたいな、迷いのない笑顔。
けれど、よく見ると、その顔は以前より少しだけ薄くなっていた。
頬の線が、わずかに鋭い。
「……戻ってきたんですね」
私の声は、震えていなかった。
震えていなかったはずなのに、ユウはそれを聞いて、少しだけ目を細めた。
「久しぶり」
「……十八日ぶりです。正確には、四百三十二時間」
「数えてたの?」
「……偶然、計算できただけです」
嘘だ。
毎朝、起床するたびに更新していた。
ユウは笑った。
以前と同じ笑い方だった。
なのに、その笑顔を見た瞬間、私の演算回路が完全に停止した。
【心拍数:123】
【定義:算出不能】
「……距離を保ってください。監視ログが」
「うん、知ってる。ごめん」
ユウは一歩、引いた。
規定の距離。一・六メートル。
その距離が、今日だけは、ひどく遠く感じた。
◇
「種、どうなった?」
低い声で、ユウが聞いた。
周囲に人はいない。
それでも、声のトーンは慎重だった。
「……発芽、確認済みです。現在、葉が三枚」
「そっか」
ユウは、小さく息を吐いた。
その吐息に、どれだけのものが混じっているか、私には計算できなかった。
「見せてほしい」
「……いつか」
「うん。いつか」
二人とも、それ以上は言わなかった。
言わなくても、伝わる言葉があることを、私はこの十八日間で学んでいた。
◇
ユウが廊下を歩き始める。
二十四時間監視。
行動制限。
接触禁止。
彼の背後に、管理官の影がある。
以前よりずっと、世界の檻は狭くなっている。
それでも。
「イオリ」
歩きながら、ユウが言った。
振り返らないまま。
「芽が出たなら、花も咲く。……絶対に」
その言葉が、廊下の空気に溶けた。
私は答えなかった。
答える必要がなかった。
ポケットの中のガラスの破片を、静かに握りしめる。
熱は、まだここにある。
◇
一人になった分析棟で、私は端末を開いた。
今日の行動ログ。
そこには、規定値を大幅に超えた心拍データが、美しいサインカーブを描いていた。
私は迷わず、その波形を「環境ノイズによるエラー」として上書きした。
流れるような指捌きで。
もう、迷わない。
【優先順位:最高】
そのラベルは、今日も変わっていない。
地下ピットでは、葉が三枚の芽が、今夜も静かに育っている。
そして私たちの「共犯」は、十八日ぶりに、再起動した。




