第17判定:白い部屋と、消えない琥珀
ユウの視点です。
白い部屋だった。
壁も、床も、天井も、全部白い。
窓はない。
音もない。
時間が分からない。
ただ、壁に埋め込まれた時計だけが、規則正しく秒を刻んでいる。
カチ、カチ、カチ。
一秒ごとに、正確に、容赦なく。
まるでシステムそのものみたいだと思った。
俺はベッドの端に座って、自分の手を見ていた。
何もすることがない。
端末は没収された。
本もない。
話しかけてくる人間もいない。
ESFPにとって、これが一番きつい罰だと、知ってるんだろう。
◇
最初の一日は、壁を数えた。
四面。
角が八つ。
天井に換気口が二つ。
次の日は、換気口から聞こえる空調の音のリズムを数えた。
三秒に一回、微妙にピッチが変わる。
その次の日は、何も数えなかった。
数える気力がなくなっていた。
この部屋には、匂いがない。
無菌の空気。
管理された温度。
肌に触れるものが何もない。
目を閉じると、海の匂いがした気がした。
潮の香り。
波の音。
砂浜に座った時の、制服の裾が湿る感触。
それから、木苺の酸っぱさ。
あの踊り場の、剥き出しのコンクリートの冷たさ。
全部、イオリと一緒にいた時のものだ。
こういう時、イオリならどうするんだろう。
たぶん、端末がなくても、頭の中で演算し続けている気がする。
イオリは、静寂と友達だから。
俺は、全然そうじゃない。
◇
四日目に、管理官が来た。
黒いスーツ。
抑揚のない声。
イオリが連行された時と、同じタイプの人間だ。
「白石ユウ。現在の精神状態を報告しなさい」
「……元気ですよ」
「データ上、睡眠の質が著しく低下しています。虚偽の報告は無意味です」
俺は少しだけ笑った。
「じゃあ最初から聞かなきゃいいじゃないですか」
管理官は表情を変えない。
「ESFPの特性上、孤立環境への適応は困難と判断されています。是正措置への移行を検討中です」
是正措置。
記憶の再調整。
人格の再定義。
要するに、俺を「正しいユウ」に書き換えるってこと。
「……それって、今の俺が間違ってるってことですか」
「社会適合の観点から、逸脱が認められます」
「でも、俺は俺のことを間違ってると思ってないんですよね」
管理官はコンソールを叩く。
「記録します」
「どうぞ」
俺は、また笑った。
この部屋に来てから、笑うのが一番疲れる。
◇
夜。
たぶん、夜だと思う。
照明が少し暗くなったから。
時計の音だけが、変わらず続いている。
カチ、カチ、カチ。
俺は天井を見上げながら、イオリのことを考えた。
なんとなくだけど、端末に向かって、完璧な波形を作り続けてる気がした。
「正しいイオリ」を演じながら、その内側で、ぐるぐるしてる。
イオリは、そういうやつだ。
また、あの顔が見たい。
俺の言葉に、すぐには答えられなくて、それでも答えようとしてる、あの顔。
また、理屈っぽく叱られたい。
「非合理です」「根拠がありません」「意味が分かりません」。
あの言葉たちが、今の俺には、不思議なくらい恋しい。
◇
俺が最初にイオリを見た時、判定室でこっちを睨んでた。
睨んでた、というか、観察してた。
値踏みじゃなくて、本当に「見てる」感じ。
あの目が、なんか好きだった。
みんな、俺を見る時、だいたい二種類に分かれる。
「楽しそうなやつ」として見るか、「規格外のやつ」として見るか。
どっちも、俺を見てるわけじゃない。
イオリは違った。
最初から、ちゃんと「俺」を見てた。
分析しようとして、分類しようとして、それでも答えが出なくて、困ってた。
その困り顔が、なんかすごく、良かった。
答えが出ないことを、イオリは諦めなかった。
それが、俺にとって初めての「本物の関心」だったんだと思う。
◇
俺は、ずっと「場を明るくする役」だった。
ESFPだから、みんながそれを求めてくる。
それ自体は別にいいんだけど。
ただ、誰も俺の「内側」を見ようとしないんだよな。
明るいから、大丈夫だと思われる。
楽しそうだから、傷つかないと思われる。
でも、この部屋で一人でいると、分かる。
俺、けっこうしんどかったんだな、ずっと。
誰かに「白石ユウって、どういうやつ?」って本気で聞かれたこと、なかったかもしれない。
イオリは聞いてきた。
言葉じゃなくて、目で。
「あなたは何ですか」って顔で、ずっと俺を見てた。
答えを出そうとして、出せなくて、それでも見るのをやめなかった。
それが、嬉しかった。
分析されるのって、普通は嫌なんだけど。
イオリにだけは、全部見られても良いと思った。
あの目に、俺の「内側」を見つけてほしかった。
誰にも気づかれなかったもの。
ずっと「楽しそうなユウ」の奥に隠れてたもの。
それを、イオリだけには、ちゃんと見てほしかった。
今、やっと分かった。
俺が失いたくないのは、そういうことだ。
「楽しいユウ」じゃなくて、「イオリの前にいる俺」を。
◇
七日目の朝。
管理官がまた来た。
「是正措置の実施を、暫定的に保留とします」
「……理由は?」
「開示できません」
俺は少しだけ考えて、笑った。
「誰かが止めてくれたんですか」
管理官は答えない。
「……そうですか」
答えなくていい。
ただ、なんとなく思う。
止めてくれた人間は、たぶん、俺と同じものを、どこかに持ってる。
「楽しそうなユウ」じゃなくて、俺の内側を見ようとした人間が、外にいる。
そういう人間にしか、分からない痛みがあるから。
◇
来週、学園に戻れるらしい。
二十四時間監視。
行動制限。
接触禁止。
条件はいくらでも付いてくる。
でも、戻れる。
俺はベッドの端に座って、手を握った。
ポケットはない。何も持っていない。
けれど、あの日イオリの手に触れた感触は、この七日間、一度も消えなかった。
木苺の酸っぱさも。
海辺で渡したガラスの、あの熱も。
全部、まだここにある。
イオリは今頃、あの種を育ててると思う。
根拠はない。
ただ、そんな気がする。
彼女は、諦めない。
どんなに非合理でも、正しくないと分かっていても、一度「削除不能」と判定したものは、絶対に手放さない。
それが、イオリだ。
「……待っててよ」
白い壁に向かって、俺は言った。
時計が、また一秒を刻む。
カチ。
誰にも聞こえない。
それでも、言葉にしたかった。




