追加分④ 幸せになります。
………………。
何の音も聞こえないわ。
死んでいるから当然なのだけど。
うっすら目を開けると、ゴツゴツした石の床が見えたの。
まるでどこかの洞窟のような……。
私が殺された場所に似ているわ。
まさか私、殺されてからずっと放置されているのかしら。
いくら何でもそれはひどいんじゃないの。
そして……妙に明るいわ。
「……明かりが……」
私は仰向けになって上を見ると、青みがかった白い光がフワフワと私の頭の近くに飛んでいたの。
これは私の魔法の光だわ。
ということは、最初から私は死んでいなかった?
死んだつもりになっていただけなの?
嘘よ、だって本当に胸に大きな穴が。
私はガバっと起き上がって触ってみたの。そこには穴も傷もなかったわ。
服も切れたりしていなかった。
「ああ……」
勘違いだったなんて恥ずかしい。
ここが誰も見ていない場所で良かった……。
私はゆっくりと立ち上がって、転移の床へ向かったの。
*********
戻ってみると、「転移の間」には誰もいなかったわ。
……おかしい。おかしいわよ。来るときはあんなに見張りがいたのに。
それに一緒に転移するはずだった騎士団はどこに行ったの。
物音ひとつしなくて、自分の呼吸の音が聞こえるくらい静かなのはおかしいわ。
私はそっと扉を開ける。
見張りの人が儀式みたいに開けていたから重い扉なのかと思ったけど、意外と軽く開いたので余計にドキドキしたわ。
隙間から廊下を覗いても誰もいない。
私は部屋を出てお城の出口を探したの。
上の階に上がるとそこは戦場のようになっていたわ。
綺麗なドレスを着た女性たちがあっちこっちに走り回り、貴族らしい男性が何かを叫びながらやっぱり走っている……。
女性は集団でいるけれど、男性は単独行動の人が多かったわ。
適当な女性たちの集団に混ざって走りながら、私は使用人用の裏口へと急いだの。
たぶん何かが起きてお城の中はこんなにパニック状態なのね。
何かとは、魔神の人が目的を達成した……つまり王様を殺したのではないかと思うのだけど。
命を懸けてそれをお願いした私が生きているのは、なんだか変な気分だわ。
こんな時に正面の出入り口から出ていくのは危険よ。万が一にも捕まってしまったらどうなるかわからないもの。
そう考えて使用人用の裏口から出ると、見張りの人がいたわ。
さすがに誰もいないわけはないわよね。
「どちらへ?」
「あの、魔法学院へ行くにはどうしたら」
こんなことを聞いたら怪しまれるかもしれない。でも変にウロウロする方がよっぽど怪しいわ。
魔法学院と王様のお城は近くにあるのよ。
王子様や王女様が魔法学院に通うことがあるからだと、どこかで聞いたわ。
今も王子様の一人が通っているらしいの。でもまず出会うことはないのであまり覚えていないわ。
私が連れてこられた時の移動時間はとても短かったから、どこかに学院へ向かう近道があるはずよ。
「こちらです。馬車をご用意いたしましょう」
意外にもあっさりと見張りの人は答えてくれたの。
「え? 馬車?」
道の先に魔法学院の灰色の壁がチラッと見えたから、歩いて行けると思うのだけど。
「歩きます」
「しかしご令嬢がこの距離を歩くのは……。もうすぐ日も暮れますし」
言われてみればなんだか空が少し暗くなってきていたの。もうそんな時間なのね。
「馬車は他の人のために使って差し上げて」
ロザンナ様の真似をして言ってみると、見張りの人は「お優しいのですね」とすぐに納得してくれたわ。何なのかしら。
見張りの人から見えないところまで歩いたら、後はドレスのスカートをつまんで走ったの。
靴もちょっと高さがあって走りにくいけれど贅沢は言っていられない。
石畳を蹴って、私は魔法学院の寮へと急いだわ。荷物を取りに行くために。
だって私は魔神と戦うためにお城に行ったのよ。
魔神が王様を殺した(と思われる)状況で、もし私が生きていることがバレたら、おそらく良くないことになるわ。
だから逃げるの。せめて王都からは離れなくちゃ。
つらいけれどパパとママの待つ街に戻ることはできない。
たぶんそこは見張られているのよ。
どこか遠く、外国でもいいの。小さなパン屋さんで働いて……。
皆が私のことを忘れたくらいに、そっとパパとママに会いに行こう。
「レーナさん」
寮の古い建物が見えた時、後ろから声をかけられたの。
誰かはわからない。だけど私は驚きすぎて振り返ることができなかったわ。
逃げようとしていたのがバレてしまったのね。
「レーナさん、あの……今朝連れて行かれたと、聞きました」
この朴訥とした話し方には聞き覚えがあるのだけど、誰なのかしら。
「僕は心配してました」
少しだけ振り返ると、いつも食堂にいるあのパン職人の人がいたの。
その人は私の顔を見てびっくりしていたわ。
「ど、どうして泣いてるんですか」
そう言われて自分の頬を触ると、涙で濡れていたのよ。
ちょっと鼻がツーンとするとは思っていたけれど、泣いていたのには気付かなかったわ。
「ごめんなさい」
何に対して謝っているのか自分でもわからない。でもとにかく私はこの場を離れたかったの。
誰にも会いたくなかった。
これから逃げるという時に顔見知りに会うなんて、こんなに惨めなことってないわ。
走って寮に向かおうと力んで一歩踏み出したら、タイミング悪く小石をまともに踏んでしまったの。
ふらつくどころかバランスを崩してそのまま転んだ……。
――と、思っていたら転んでなくて、パン職人さんに抱きとめられていたの。
「何かひどいことをされたんですか」
彼は圧を感じるほどの真剣なまなざしで私の目を見つめていて、私は自分の鼓動が激しくなるのがわかったの。
パン職人さんの腕はフカフカしていてパパの腕とよく似ていたわ。
私が何も言えないままでいると、彼はさらに強く抱きしめてきて、私は彼の腕の中にすっぽりはまる感じになったの。
でもあんまり、全然、嫌じゃなかった。
「……ああ、やっぱりそうなったのねえ」
お婆さんの……寮の管理人さんのような声が聞こえるわ。
「婆さん」
パン職人さんが少し拗ねたような声で呼んだの。
「あんたは職人一筋だったから、20歳過ぎても女っ気一つなかった。そういう男の前にこんな娘が現れたら、どうなるかなんて決まっている。孫のことだからよくわかっているよ。だから会わせたくなかったのに」
孫? 婆さん?
管理人さんとパン職人さんは親戚だったの?
縁故採用なのかしら。
「あんたと鉢合わせないように、門限だって作ったのに」
「なるほど、だから最初、同じ寮に住んでるって気が付かなかったんだ」
二人の会話に私はビックリしたわ。
寮のあのおかしい門限は、パン職人さんと私を会わせないためだったの?
パン職人さんは同じ寮に住んでいたの?
会わせたくないって言われても、食堂でほぼ毎日顔を見ていたけれど。
「無駄だったね。彼女すごく目立っていたから」
「そうじゃないよ。同じ建物で暮らしてるってわかったら、何が起きるかわからないのが男女ってものなの。いい歳して恋人の一人もいないからそうやって熱を上げて」
パン職人さんの言葉に対して、管理人さんが割と激しい口調で文句を言っているの。
彼女はもっとゆっくり話す人だと思っていたわ。
喧嘩ではないように見えるけれど、止めるべきかしら。
「あの私、急いでいるんです」
「知っていますよ、逃げるんでしょう」
どこに持っていたのか、管理人さんは小さなカバンを私に渡したの。
え? どうして彼女は私が逃げることを知っているの?
「最低限の荷物は入っています。部屋のものはあらかた残しておいた方がいいでしょう。必要なものを移動先で買い揃えられるように、少しお金を入れてあります」
そこまで手際が良すぎると不安になってくるわ。
まさか逃げた先には王様の手の者がいて殺されるという……。
私がとても変な顔をしていたからか、管理人さんは、
「あなたを連れて行った王宮の兵士の様子を見ていれば、いくらわたくしでも何か良くないたくらみがあることくらいは気が付きますよ」
と言って、慈悲深い感じの目で私を見るの。
「馬車を用意させてありますから、とにかく王都を出られますように。デニロお前は」
「僕も付いていくよ。彼女一人じゃ危ないだろ」
パン職人さんはサラッとした感じで管理人さんに言ったのに、それを聞いた途端、彼女の顔は泣きそうにくしゃくしゃになったのよ。
「ああもう……まったくお前は! こういう女にボロボロにされるといいよ!」
何かひどいことを言われているような気がするわ。
パン職人さんが付いてきてくれるのはとても心強いのだけど。
こうして私たちは日が暮れる前に馬車に乗ることができたの。
*********
パン職人さんはデニロさんというお名前だったの。
二人きりなので馬車の中で気まずくなるのではと心配していたけれど、お話し好きな方で良かったわ。
「僕は10歳の頃から師匠のもとで働いてたから」
「すごいわ、だからあんなにパンが美味しいのね」
「今の職場は給料はいいけど、やりがいがなくて」
「そうなの?」
それは私にとってすごく意外だったの。
彼はいつもニコニコしていたから仕事が楽しいんだと思っていたわ。
「そう、それでそろそろ師匠からも独立しろと言われてるんですよ」
「まあ」
独立って、自分のお店を持つということかしら。
パパみたいに。
「羨ましいわ……」
両親のことや自分の夢のことを思って、私は少し悲しくなったの。
ふっと肩や背中に重いものが乗っているような疲労を感じたわ。今朝からずっと緊張の連続だったから、疲れが出てきたのかもしれない。
この馬車は夜通し走り続けて王都の近くの街へ向かうらしくて、これからの長い道程を想像すると、強い眠気がまぶたを閉じていったの。
「それで、レーナさん、良かったら……」
デニロさんが何かを言いかけていたようなのだけど、もう私には聞こえていなかったわ。
*********
「お客さん、タジィですよ」
御者の方が起こしてくれて、私は目を覚ましたの。デニロさんは私よりもよく眠っているようだったわ。
「デニロさん、着きましたよ」
「わあっ」
デニロさんが飛び起きた時の顔が面白くて、私が笑ったらデニロさんも笑い出したの。
「いいですねえ、若い夫婦ですか」
御者のオジサンの言葉を否定しようとするデニロさんを止めて、私はオジサンに言ったの。
「ええ、そうなんです」
「やっぱりそうでしたか」
「ところであの、どこかいい宿をご存じですか?」
朝になって街に着いているのに、これから宿を取ろうとするのはおかしいと思われたのかもしれない。オジサンは首をかしげていたわ。
私は自分の着ている服を指さして見せる。
「事情があって、こんな服のまま来てしまったの。だからどこかで着替えたくて」
「ああ、そういうことですね。それなら」
オジサンは町の入り口のすぐ近くにある大きな建物を手で示したわ。
「お嬢さんみたいな人だったら、あそこがいいですよ。今なら朝食もついてきますから」
「まあ、素敵だわ。ありがとうございます」
私たちはオジサンにお礼を言って馬車を降りたの。
いい人で良かったわ。
「あの、レーナさん」
デニロさんが私を呼び止める。
「レーナさんは、さっきの、その、いいんですか」
「さっきの?」
「ふ、夫婦って」
私は飛び上がってしまったの。ごまかすためとはいえデニロさんを巻き込んでしまったから。
「ご、ごめんなさい。ご迷惑をかけてしまいました」
「僕はいいんです」
デニロさんは昨日みたいに真剣なまなざしをしていたわ。
「レーナさんは、僕でいいんですか」
「え?」
もしかしてこれは私からデニロさんに告白した感じになっているのかしら。
そんなに大胆なことをしたつもりはなかったのだけど。
でも、これは、チャンス?
「はい。デニロさんがいいです」
祈るような気持ちでデニロさんを見ると、彼は口元を手で押さえてうつむいていたの。
これはどういう感情を表しているの?
拒絶? 悲しみ?
「……夢じゃないかと……」
デニロさんは何かつぶやいているけれど、わかりにくいわ!
「デニロさん?」
「僕は、すごく嬉しいです」
デニロさんは私を軽々と抱き上げて、ぎゅっと抱きしめてくれたの。
「僕はレーナさんと結婚したいです」
私は顔が真っ赤になったのを感じたの。子供の頃に言われた時はこんなに嬉しくなかったわ。
デニロさんの胸に顔を隠すようにうずめて、私も彼を抱きしめたの。
*********
部屋で着替えて宿の食堂へ行くと、食堂のオジサンから言われたの。
「あんたら駆け落ちしたんだってな」
「ええっ?」
「馬車のオッサンから聞いたよ。いいねえ若いってのは」
あの馬車の人、なんてことを言ってくれたのよ。
……そんなに間違ってはいないけれど。
私は小声でオジサンにお願いしてみたわ。
「それ……秘密にしてください」
「あー、もう無理だな」
オジサンは親指で別の席を指して苦笑いしたの。
「お、さっき街道沿いでイチャイチャしてたやつらがいるじゃねえか」
「駆け落ちらしいぜー」
「やるねえ、男の方はパッとしねえ顔だけどな」
「女の方はさっき見た時お姫様みたいなドレス着てた」
「おお、貴族の娘をさらったのか」
こっちをジロジロ見ながらすごく大きな声で噂話をされていたわ。
さっきのあれを見られていたなんて、私は少しも気付かなかったの。
恥ずかしくて顔を伏せて食べてしまったわ。
「おい、王様が殺されたらしいぞ」
扉を吹き飛ばす勢いでお店に入ってきた大男が、ものすごく大きな声で皆に知らせるの。
「王様の父親……前の王様だな。それと母親、それから父方の祖母も殺されたんだってよ。見た奴の話だと、初代の王様がビュンビュン空飛んでたらしい」
「建国王が化けて出てきたのか」
「嘘くせー」
「うるせえ、とにかく死んだのは事実なんだよ。あとギルドにこの通達が来てたぜ」
大きな声の大男は小さな字が並んでいる紙を手下のような男に渡していたわ。
手下の男はその紙の内容を読み上げてくれたの。
「崩御した国王メネ-リオ二世はイズーン・ポーから惚れ薬を大量に購入していた。これは精神に作用する毒であり非常に危険なため、このイズーン・ポーの身柄を拘束し、同時にこの男から毒を購入していた者を連座で捕縛することとなった。よって下記の者からの依頼を受けることを禁ずる」
王様は昨日殺されたばかりなのに、今日にはこんなことになっているなんて、少し早すぎる気がするわ。
ロザンナ様あたりの方々が動かれたのかしら。
「ニィト・デコマッタ、レダカ・エル、ジョハンナ……」
そして私は読み上げられた名前の中の『レダカ・エル』に気が付いたの。
『エンリオ殿は、エル家のご息女と婚約されていた』
ロザンナ様は確かそう仰っていたわ。
「エル家のご令嬢は、亡くなられたのでは……」
思わず私がつぶやくと、小さな声が返ってきたのよ。
「エル家には娘が二人いましたから」
声のした方に顔を向けると、食堂で働いているらしい女性が食器を片付けていたの。
茶色の長い髪を一つにまとめた、大人しい雰囲気の方だったわ。
「ご存知なのですか?」
「噂ですけどね」
その女性は優しそうに微笑んでいたの。
私にはなんとなく、この方は何かを知ってらっしゃるのではないかという感じがしたわ。
「お亡くなりになった方のお墓がある場所はご存じでしょうか」
「……どうしてですか?」
「私、謝りに行きたくて。いろいろあってすぐには無理かもしれませんが」
厚かましいかしらと思いつつ尋ねてみたの。
案の定その女性は首を横に振ったわ。
「お墓はないですよ」
「えっ……」
予想もしていなかった言葉に私は驚きが隠せなかったの。
貴族の女性が亡くなったのにお墓がないなんて、それはあんまりなことだと思うのだけれど。
その女性は先ほどと同じように微笑んでいたのよ。
――もしかしてこの女性は……。
ああ……そういうことなのね。
「そうですか……。ありがとうございます」
私も同じように微笑んでみたわ。上手く笑えていたかしら。
「レーナさん、明日の早朝の乗合馬車が良さそうだよ」
誰かに聞いてくれたのか、デニロさんが私に教えてくれたの。
彼はこのまま一緒に国の外へ出ようと言うのよ。
「でも、デニロさんは何にも荷物を持ってきていないのでは」
「ああ、師匠がこの街にいて、給料をほとんど全額預けてあるから大丈夫だよ」
彼が私物に無頓着なことにも驚くけれど、そんな貯金の仕方があるなんて。
「独立資金を貯めてやるって強制的にさせられたんだけど、今回は感謝しないとな」
デニロさんは苦笑いするの。たぶん給料のほとんどを貯金するのは厳しかったのね。
でも聞いた感じではとてもいいお師匠様だわ。
「私もそのお師匠様にご挨拶をしないと」
「え? いや必要ないよ。でもまあ、一応しておいた方がいいのかな……」
なぜか渋るデニロさんを急かしてお店を出ると、すれ違うように黒髪の男の子がお店に駆け込んできたの。
王宮で見たことのある騎士団の制服を着ていたわ。
私はとっさに顔を背けて足を速めたの。
「ハルカさん、僕と、付き合ってください!」
閉じかけた扉の中から元気のいい声が聞こえてきたわ。
あの女性はハルカさんというのね。
少し変わっているけれど、素敵な名前。
幸せになってくださると、私も嬉しいわ。
少しだけお店の扉を振り返って、私はデニロさんのフワフワの腕をつかまえるの。
ねえ、空が青くてもうすぐ夏が来るみたい。
ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
自分にとっては本編よりも大変な追加分でした。
また変な設定をたくさん作ってしまい、読みにくかったかもしれません。
読んでいただいた方には厚くお礼申し上げます。
それから、本編の雰囲気が好きだったという方には
追加分はきつかったかもしれません……。
どうか温かい目で見ていただけたら嬉しいです。
ありがとうございました。




