追加分① パン屋の娘の受難
※雰囲気が大きく変わりますのでご注意ください。
私はパン屋の一人娘として生まれたの。
小さい頃からカワイイカワイイと言われて育ってきたわ。
子供の頃から、私と結婚するって言ってくれた男の子は近所にたくさんいたのよ。
でもパパみたいなカッコいいパン職人じゃないとダメって、私はいつも言っていたの。
だって将来は腕のいい素敵なパン職人の男性と一緒になってパパのお店を継ぎたいって、子供心に思っていたから。
そのためには字を書いたり計算ができないとねって、10歳の時にママが学校に行くように手続きしてくれたのが、運命の分かれ道だったの。
私は街の学校で魔力の測定を受けて、聖魔法っていうのを持ってるから16歳になったら魔法学院に行くように言われたの。
行きたいか行きたくないかだったら行きたくないに決まってるわ。
こんなことなら学校なんて行かなきゃよかった。
街の中には学校に行かない子もたくさんいる。
学校は午前中にしかなくて、家の仕事が午前中ずっとあるような子は行くことができないから。
そういう子の中にも魔力を持っていたり魔法を使えたりする子はいるけれど、測定を受けなければ別に何もないの。
遠くの学校に行けなんて言われることもないの。
私もそうしていればよかったわ。
魔法学院って貴族の子供が行く学校なのよ。
ものすごくプライドが高くていけ好かない面倒くさい人たちがどうやって上げ足を取ろうかとジロジロ見ている中で、緊張せずに何でもこなせる訳がないわ。
優しい両親の元でのほほんと暮らしてきた私には、そんな厳しい世界はつらすぎる。
私はママに縋りついて泣いたの。
でも、ママがお役人の言うことを聞かないとこんなパン屋はすぐなくなってしまうって悲しそうに言うから、私は我慢して魔法学院に行くことにしたの。
私が偉くなったらそんなお役人は懲らしめてやるんだって、パパとママに約束したのよ。
大きな荷物を持って、乗合馬車に乗って、王都の中央門に着いて。
それから学院までずいぶん歩いたわ。
いくら平民でもこんなに長く歩くのが普通だと思わないでほしいの。
私の街は小さくてちょっと歩けばすぐ商店があったし、友達の家も近かったから、普段こんなに歩くことはなかったのよ。
今思うと日程に余裕をもって移動していれば、あんな人と出会うこともなかったのに。
私の街は半日でギリギリ王都へ行ける距離にあったから、節約したのがいけなかったのかしら。
大通りの道の端っこを歩いていた私は、大きな馬車が勢いよく角を曲がって来るところに出くわして、驚いて壁にぶつかってしまったの。
傍目には馬車が私に当たったように見えたのかもしれないわ。
「ケガはないかい?」
荷物の上にへたり込んだ私に向かってそう声をかけてきたのは、銀髪で緑の瞳の、美しい貴族の男の人だった。
銀髪って私初めて見たのだけれど。
ほぼ白髪なのよ。
だからこの人、少し老けたらすごいお爺さんに見えそうって思ったの。
そういう気持ちでジロジロ見てしまったの。
「ふっ、美しいお嬢さん、ボクに見とれてしまったのかい」
ウインクしながら前髪をかき上げたその男は、秒で本性を現したわ。
ナルシィー!!
この人変な人よ!!
「あ、いえ、大丈夫です」
私は早口でモゴモゴ言って、荷物を引っ張り上げて逃げようとしたの。
そしたらその男が私の荷物を強引に取り上げたのよ。
「か、返してください」
「ケガをしているかもしれないよ、送るから乗って行くといい」
男は流れるような動作で御者の人に荷物を渡して、御者の人は荷物をさっとどこかへ持って行ったの。
御者の人は手つきが慣れていて表情筋が死んでいたわ。
「さあ、乗って」
わざわざ顔を近づけてから小声で言う、その男の笑顔は、私には歪んで見えたの。
私は馬車の座席の端に座ってカタカタ震えたわ。
小さい頃、友達と一緒に遊んでいたら近所の変なオジサンに「足を舐めさせてほしい」って言われて、追いかけられたことを思い出していたのよ。
私がワーワー叫んで必死で逃げたらオジサンは勝手に転んで、もがくようにジタバタしたの。気持ち悪くて思わず2~3回、オジサンの頭を蹴って家に逃げ帰ったのを覚えているわ。
仕返しされるかもしれないとは思ったけれど、まさか家にあのオジサンが訪ねて来るとは思わなくて、私は怯えていたわ。でもママが言うには新しい何かに目覚めたとかで、お礼を言いに来ただけだったみたい。
更生したのなら良かったと私はホッとしたのよ。
その時ママは私に気をつけなさいって言ったわ。
「今回の場合は大丈夫だったけど、はっきり嫌だと返事をしたら、ムキになってしつこくなる男の人がいるから、気をつけるのよ。プライドが高そうな人には特にね。できるだけはっきり返事をせずに、距離を置くようにするの」
プライドが高そうな人。
それはこの貴族の人のことじゃないかしら。
はっきり返事をしてはいけない、のよね。
……どう答えたらいいのよ。そこをちゃんと教えてくれないなんてママはどうかしてるわ。
「ボクの名はイズーン・ポー。侯爵家の長男なんだよ。君の名前を教えてくれるかい?」
誰も聞いていないのに名乗って、少しづつ座る位置を私の近くに移動させながら、貴族の人が聞いてきたの。
名前はいいとしてなぜこんなに寄ってくるのかしら。
「レーナです」
「素敵な名前だ」
この人どんな名前を聞いてもそう言ったんでしょ。
それくらい返しが早かったわ。
「あの、近いですよ」
「ボクは美しい花に吸い寄せられてしまった蜂なのさ」
なるほど、この人は虫だったのね。
ちょっとおかしいのはそのせいなのね。
「すいません、私、虫は苦手なんです」
貴族の人を押し返すように手を前に出しながら私がそう言うと、彼はその手をすごい速さでつかんだのよ。
そしてあっという間に両手首を座席の背もたれに押し付けられてしまったの。
「君は面白いことを言うね」
その手首をつかむ彼の力は容赦がなくて、ギリギリと音がするようだった。
私は骨が折れてしまうんじゃないかと焦ったわ。
「ボクがこうすると、女の子はみんな喜ぶのに。君はそうじゃないんだ」
彼はもうほとんど私に乗りかかるくらいの姿勢になっていたの。
ちょっと何よこの変態!
骨を折られて喜ぶ人はいないわ!
この人誰か止めてー!
「わわわたし、ま、魔法学院の寮に行かないと、いけなくて! 今日の夕方までに着かないと!」
必死の思いで彼の耳元で叫んだら、ようやく手を放してくれたわ。
はっきり言った方がいいこともあるのね。
胸をなでおろしていると彼の肩が細かく揺れているのが見えたの。
笑っているみたいだった。
「そう、魔法学院に、入学するんだね。ボクは先輩になるから、これからいろいろ教えてあげるよ」
舌なめずりをしている先輩の顔は、蛇が獲物を狙う時の表情に似ていたわ。
私はただでさえ行きたくなかった学院での生活に、急激に暗雲が立ち込めてくるのがわかったの。
*********
魔法学院の寮はとても小さくて古い建物だったわ。
貴族って王都にお屋敷があるのが普通なんですって。
領地にどんなに大きなお屋敷があっても、たとえ王都に一年に一回しか来なくても、王都にお屋敷があるというのは貴族にとって当たり前のことらしいの。使用人も常駐させていると聞いたわ。
もったいないわね。
だから寮に入るような貴族の人はいないということなの。
私のように魔法の属性で入学を義務付けられた平民の子しかいないって……。
「え、私だけなんですか?」
「そうですよ、レーナさん」
寮の管理人だという背中の曲がったお婆さんが、ヨロヨロと階段を上がって部屋を案内してくれたわ。いつお婆さんが私の方に倒れてくるのかと、不安になってしまったのは内緒よ。
「わたくしは夜8時には寝ますので、それ以降の出入りは禁止です」
「はい」
健康的というよりも早すぎるような気がするわ。
「朝は6時にならないと玄関は開きません」
「……はい」
このお婆さんいったい何時間寝ているのよ。
「食堂は寮にはなく、学院内にありますからね」
「はい」
もし具合が悪くなったら飲まず食わずになるということね。
「男を連れ込むのは禁止」
「はい……?」
おばあさーん!
もうちょっと言葉を選んでくれないかしら!
そんなことをする女の子はいないから!
たぶん……。
私は錆びのついた鍵を受け取って、深いため息をついたの。
平民の生徒が一人だけなんて、そんなの絶対、絶対に悪目立ちしてしまうじゃない……。
*********
魔法学院の授業は退屈だったわ。
街の学校の方がまだ活気があったくらいよ。
何でって、貴族だからかもしれないけれど誰も質問したりしないのよ。
もう習っているから質問しなくていいのか、質問することが恥ずかしいと思っているのかはわからないわ。
でも私が一回質問した時にクスクス笑いが起こったから、質問しないのが貴族流なんだと思うことにするわ。
「まあ、また先生方に媚を売っていますわよ」
「これだから平民は……。卑しさが言動からにじみ出ていますわ」
「ねえご存知? あの方、平民専用の寮に入っているそうよ」
「まあ嫌だ。あそこは恐ろしい老婆の幽霊が出ると聞きましたわ」
一部の男子生徒に媚を売ってるのはあなたたちじゃないの。
言動から何かがにじみ出ているのはどっちなのよ。
それと、お婆さんは生きているわ。
それから私は一刻も早く卒業しようと、勉強に一生懸命取り組んだの。
聖魔法とかいう変な魔法も詳しい先生方に教えていただいて、習得に励んだのよ。
聖魔法というのは魔物や魔神に対抗する魔法みたいな位置付けみたい。
いろんな魔法の効果を自動的に消したり、逆に増やしたり、魔物を寄せつけない結界を張ったりできるの。
魔法によってできたケガや呪いをなくすこともできるの。
刃物で付いたケガには効かないけれど、魔法の効果が付いた刃物によるケガなら治せることもあるんですって。
でも聖魔法の結界は人間相手には効かないのよ。
つまり誰か人間が刃物で私を殺しに来たら、防ぐことはできないということなの。でも、もしその人間が魔神に操られていた場合には結界の効果があるらしいわ。
要するに他の魔法が関わっているかどうかが基準なのね。
なんだかとっても中途半端な魔法みたいだわ。
街ではこんな魔法を持っている子はいなかったけれど、持っていたとしても街ではあまり役に立たないだろうと思うの。
王都の近くでは魔物なんて出ないから。
でもいくら頑張っていい成績を出しても、私への陰口や嫌がらせが無くなることはなかったわ。
それどころか筆記試験の範囲を先生に教えてもらっていたとか、実技も手心を加えられていたとか、ありもしない噂ばかりが一人歩きしていったのよ。
私、もうどうしたらいいのか分からないわ。
唯一の救いは、学食のパンがパパの作ったものと同じくらい美味しいことくらいだわ。
ああ、早くお昼にならないかしら……。
「浮かない顔をしているね、子猫ちゃん」
悪魔が微笑んでいるような雰囲気を醸し出して、あのポー家の長男さんが授業の合間に私に会いに来たのは、まさに悪夢のようだったわ。
「ポーさん……」
「そこはイズと呼んでくれないかな」
前髪をかき上げながら、肩をすくめてイズさんは私の手を取った。
「何に悩んでいるのかは知らないが、ボクなら君を悲しませないようにしてあげられるよ。次の授業は別の部屋で二人っきりでしようか」
あなたも生徒だから、それ授業じゃないですよね。
信じられないのは、イズさんのこのセリフを聞いて「キャー」という声があちらこちらから聞こえてきたことだわ。
このスケベ心10割のセリフのどこにキャー要素があるというのよ。
「あの、そういうのは……」
はっきり否定してはいけないと思って私は語尾を濁してみたの。
少しでも離れたくて手を引いたら、彼は指が潰れるんじゃないかと思うくらい強い力で手を握ってきたのよ。
「かわいい手だね。食べてしまいたいくらいだよ」
冗談だと思いたいけれど目つきがすごく怪しいわ。
「い、痛いから離してください」
「恥ずかしがらなくてもいいんだよ」
「本当に痛いんです」
「それはいけないね、どこかで休んだ方がいいね」
何を言ってもイズさんには伝わらなくて、私は少し落ち込んでしまったの。
「やめろ、彼女は嫌がっているだろう」
そんな時に声をかけてくださったのが、エンリオ様だったの。
「その手を放せ」
その上私が言いたかったことを言ってくださったわ。
「何を勝手なことを……彼女は一言も嫌だと言っていないが?」
「彼女の表情でそれが分からないのか」
「それは君の妄想に過ぎないね」
イズさんとエンリオ様が言い争いを始めたので、原因である私は必死で二人を止めなくてはいけなくなったの。
「ごめんなさい、イズさん。手を握られたのは嫌でした。はっきり言えなくてごめんなさい」
大きな声で謝罪すると、イズさんは舌打ちをして部屋を出ていったわ。あのままだと強引にどこかに連れ込まれていたかもしれないから、私はもっと気を付けないといけないのね。
「面倒な奴に目を付けられたな。あいつは自分の家より身分の低い家の子を狙って、無理強いするのが常套手段なんだ。もし困っているなら、しばらく俺と一緒に行動するといい」
エンリオ様はとてもやさしい目をして私にそう仰ったの。
こんなに親切にされて彼に好感を持たない方がおかしいわ。
それより『身分が低い家の子を狙う』って、たぶん私より身分が低い子はこの学校にはいないのだから、いつかは目を付けられていたということなのかしら。
なんだか気が重くなってしまったわ。




