後日談
うっすら目を開けると、病院のベッドにある白い柵が見えた。
なんか機械の音が小さく聞こえる。管がたくさん見える。
「パイセェェーン!」
後輩の声が聞こえた。
目に入ったのはいつもの赤い縁のメガネだ。涙と鼻水にまみれたすごい顔の後輩がいる。
そういえばこいつの部屋で倒れたんだった。救急車呼んでくれたんだ。
「パイセン、目え覚めたんっすね、アチシのことわかります?」
「うん。ゲームオタク」
「そっちかー……じゃないっすけどもういいっす。パイセンは脳の中で出血してたんっすよ。ホントにヤバかったんすから」
後輩は話しながら涙と鼻水をハンカチで拭いている。
「うん、ありがと」
いまいちボーっとした感じが抜けないまま、あたしは後輩に言った。こいつにはあたしの不注意で迷惑をかけてしまったから、ちょっと反省したんだ。
ところが後輩は一瞬目を大きく見開いて、驚いていた。
「パ、パイセンが、デレた……?」
何を言ってんだ。脳をやられたのはこいつの方だったのか。
「誰に殴られたのか、覚えてるか?」
急に野太い男の声がして、だるい体をひねって見てみたら、背が高くて目つきの悪い、あたしの知らない男がいた。
どこかの高校の制服を着てる。シャツの第一ボタンまできっちり留めて、真面目な感じ。
「誰?」
あたしはその男に聞いたつもりだったのに、そいつはうなずいて、「わかってるぞ、話していいぞ」って感じの目で見ている。
あたしはイラっとした。
「いや、あんた誰?」
「え、俺?」
男はショックを受けたような顔をした。だってあたしこんな人知らないもん。何でここにいるんだろ。
「お、俺は、何年か前にジムで一緒だった、高瀬だけど」
「タカセ……」
誰だっけ……ジムってあのキックボクシングのだよね……全然覚えてないや。
先輩の中にタカセなんて名前の人はいなかったはずだ。
そう思った瞬間、思い出したくなかった記憶が甦ってきた。
『タカセ上手いぞ。ハルカはもうちょっと頑張れ』
『うーん、タカセの勝ちだな』
これはコーチの声だ。
あたしが一回も勝てなかった、一つ年下の男の子の名前だった。
こいつがきっかけであたしはグレたと言ってもいい。
あたしがジムをやめたのは中一の終わりの頃だから、もう5年くらいたっているはずだ。
あの男の子は当時12歳かそこらで、それが今は17歳か? そりゃ背丈も顔も声も変わってて、全然わかんないわけだ。
「あのタカセか」
意識してなかったのに、あたしは知らず知らずのうちに棘のある声になっていた。
でもタカセはそれに気が付かなかったみたいだ。
「俺、ハルカがジムに来なくなってから、何度かハルカの家に行ったんだけど」
「は? 何で家知ってんだよ」
「コーチに聞いたら、名簿に載ってるの教えてくれた」
個人情報ぉぉぉぉ! 何してくれてんだよ、あのクソコーチ訴えたろか。
しかもこいつ先輩であるあたしに向かって呼び捨てとか、舐めてんじゃねーか。
「でも、いつ行ってもハルカはいなかった」
ちょっと寂しそうに言うタカセだったが、あたしは腹が立っていたので何とも思わなかった。
たぶん、こいつが来た時あたしがいなかったのは、友達の家に泊まりまくってた時期だったのかもしれない。
真面目くんにそんなことを説明するのは時間の無駄だし、なんつーか、グレてたことをあんま知られたくないっていうか……。
「同じ中学にいる奴に、ハルカが学校にあまり行ってないことを聞いた。どこかで泊まり歩いていることも。……それで、いろいろあって、ハルカが進学した高校を調べていたんだ。その高校にいる奴から、ハルカが入院したことを聞いた」
「パイセン、こいつ犯罪者っすよ。聞いた内容だけでもストーカー臭がハンパねえっす。警察に言いましょう」
「お、おう……」
あたしは後輩の言うことに全面的に合意だ。変な汗が噴き出てきた。
何でこいつ、あたしの知られたくないことを全部知ってんだよ。怖すぎだろ。
あたしの疑いに満ちた目を見ても、タカセは涼しい顔をしていた。
「で、誰にやられたんだ」
「いやいやいや、なに普通に話を戻してんだ。帰れ」
「じゃあ、その指輪は何だ」
……指輪?
タカセに言われてから両手を揃えて見ると、右手の中指に黒っぽい金属の指輪があった。赤い宝石は直径5ミリ程度に小さくなっている。
ぱっと見た感じ、ヤンキーが好んで着ける種類の指輪に見えなくもない。
「でもパイセンは寝たきりだったんすから、そんなのしてたら病院の人に外されてるんじゃないっすか?」
後輩の指摘はもっともだ。今は推理モノのゲームでもやってるのかな。
「貰ったんだ」
あたしは知らないうちに顔がほころんでいた。少しの間しかいなかったけど、もう行くことのない場所なんだと思うと、懐かしさが込み上げてくる。
「誰に?」
タカセはしつこかった。
誰だっていいだろって言おうと思ってたけど、やめた。
「オッサンに」
あたしが答えるとタカセの顔が険しさを増していた。
こいつおもしれーな。
「……と、美人のお姉さんに」
フローリアさんはたぶんあたしと同じくらいの歳なんだろうけど、すごく大人っぽかったからね。
あたしはニヤニヤ笑いながら、体のだるさがキツくなってくるのを感じた。
自分で止められないほどまぶたが重い。
「あらー、こういう時は早く呼んでくださいねー」
眠ってしまう前に聞こえたのは、看護師さんみたいな感じの女性の声だった。
**********
病院から連絡が行ったらしく、次に目が覚めたら婆ちゃんと父親と妹がいた。
「心配したんよ、あんまり婆ちゃんの寿命を縮めんでな」
「頭を殴られていたと医者と警察から聞いたが、事件に巻き込まれたのか」
「お姉ちゃんが負けたなんて信じられない、相手は卑怯な手を使ってきたんでしょ」
一気に言われてあたしは表情を失った。ナントカ太子じゃないんで。
あたしは婆ちゃんに無言で抱きつき、父親と妹には、
「事件じゃない、事故だから。階段で転んだの」
と、我ながら完璧な説明をした。
しかし「普段から階段で転んでも転んだと言わないお姉ちゃんが自らそんなことを言うのは不自然だ」っていう謎の推理を妹がして、全く信用してもらえなかった。
どうしろってんだ……。
あと、心配だった妹のあたしへの評価は、
「お姉ちゃんの妹だからって嫌な思いをしたことはないよ。むしろイジメにあわなくて助かってるよ。お姉ちゃんはすごく喧嘩が強いって、みんな知ってるから」
っていう、あたしにとっては嬉し恥ずかし~な結果だった。
ヨシ、お姉ちゃんはもっともっと強くなるよ! ってあたしはかなり機嫌を良くした。
そして一番頭が痛くなったのはマユとチャラ男だった。
「ハルカぁー、ウチら元サヤしたよー」
「何言ってんだよ。俺には最初からお前だけだって」
「もーそんなこと人前でっ、もー恥ずかしーよー」
マユが恥ずかしがってたのは言葉だけで、その後は病院内だっつうのに長々とキスしたりだの抱きしめあったりだのを、あたしの目の前で延々披露してくれた。
「…………」
――アホな。
あたしの心の中は般若面が並んでいた。
どっちも殴りてえ……!
********
タカセはあたしの退院の日になぜか病院に付き添いに来たり、挨拶と言って家に菓子折りを持って来たりした。
そういうのは特に大人組のツボを押さえていたみたいで、気が付いたら婆ちゃんも父親も普通にあいつと接するようになり、あいつもなんだかんだ言って自然に家に来るようになっていった。
あたしは何度も用心しろと言ったんだけど、逆に
「ああいう子と付き合ってくれると婆ちゃんは安心だねえ」
とか、
「以前一緒に歩いていたチーマー崩れよりは、ああいうタイプがいいと思うぞ」
って言ってくるんだ。
あいつはいったいどんな手を使ってここまで取り入ったんだよ。
怖すぎて、あたしは毎日あいつに学校に連れて行かれるのも、普通に受け入れてしまっていた。
「あんたさ」
「うん」
「あたしのこと好きなん?」
「うん」
タカセは真顔だった。
なぜかあたしの方が動揺してしまった。
聞かなきゃよかったかも。なんかメチャクチャ気まずくなったじゃん。
「好きってどんくらい?」
あたしは照れ隠しに聞いたんだけど、タカセはさっきと違ってなかなか答えない。
「どれくらいって言われても……」
「殴られてもいいくらい?」
「それはちょっと」
煮え切らねーな―。
お前くらいのパンチなら受けてやるって言えばいいのに。
もちろん全力で殴るけど。
負け続けた恨みは深いんだぜ。
「じゃあさ、この巡り合わせで良かったって思う?」
あたしはタカセの顔を覗き込む。
「うん」
やっぱり真顔だった。
あたしはまた気まずくなって、何気なく右手の指輪を見たんだ。
そしたらちょっとだけ光ったような気がした。
「そっか……」
あたしはその日、初めてタカセと手をつないで歩いた。
最後、ジャンル違いのような……。
申し訳ありません。
このお話はこれで一旦完結です。
一旦というのは、ゲームの世界があの後どうなったのか、全くわからないのもどうなのかなと。
なので、聖女側の話を追加分でやります。
お時間のある時にでも、チラッと見ていただければ幸いです。
読んでいただきまして、本当にありがとうございました。




