さよならは一人でつぶやくもの
一日の仕事を終えて、あたしは部屋で赤い宝石の指輪を眺めていた。
洗濯するエプロンのポケットに入っていたものだ。
別に忘れていたわけじゃないけど、改めてどうしようかと悩むことになってしまった。
何日も前から指輪を探してる人がいる。
それはこの指輪かもしれない。
もしかしてアルベルトさんの言ってた重要アイテムが、これだったりして。
偶然拾ったとはいえ、人が探してるのを知りながら黙ってるってのもあんま良くないような気がする。
だけどもしあの人が頭の固い人間だったら問答無用で殺しに来るかもしれないじゃん。
「貴様のような者がなぜこれを持っている! さては盗んだな! 成敗してくれる!」
って感じで。
いい服を着てるナントカ騎士団だからそれくらいやりそうなイメージ。
斬捨て御免ってやつ。
多少魔法が使えるようになってもあたしがガチの戦闘員と戦って勝てるわけがないんだから、危険には近づかないのが一番だ。
そうだ。仕方がないんだ。それで正しいんだ。
あたしは眠たい頭で何となく考えて、指輪を新しいエプロンのポケットに突っ込んでベッドに入った。
*********
朝市に果物を取りにいくため、あたしは少し早めに出勤することにした。
市場にはすでにたくさんの人が働いている。人ごみの中であたしは果物とそのおまけを受け取って、上機嫌で歩いていた。
するとどこにいたのか、カルロさんがいきなり目の前に現れる。
「ハルカ、おはよう」
カルロさんが持っている大きな箱には、今日使う予定の食材が入っているみたいだ。
「カルロさん、おはよーございます。サニアさんの体調はどう?」
「まあまあだよ。早く仕事がしたいってずっと言ってるよ」
あんなジャリ……元気のいい子供たちの世話をしながら乳飲み子まで育ててんのに、すごいな。
あたしだったら上の二人を保育園に預けたとしても倒れる自信がある。
そんなたわいのない話をしながら歩いていると、食堂の前にあの「いい服の人」が立っているのに気が付いた。
あたしは冷たい水をぶっかけられたみたいな感じがした。恐れていたことが現実になってしまった。
そいつは食堂のドアの前に仁王立ちしている。
間違いなくこの食堂に用があるってことだ。
カルロさんもそれに気が付いたのか、足を止めていた。
「誰だ、あれ」
「だ、誰……なんだろ……」
あたしは若干挙動不審になりながら、無駄とはわかっていても逃げ道を探さずにはいられなかった。
ヤバいどうしよう。
エプロンのポケットに手を入れると、昨日眺めていた指輪が入っているのが感触で分かった。最悪の場合はこれを差し出して逃げるか。いや遠くに投げて逃げる方がいいな。
「いい服の人」は、あたしたちが荷物を持ったまま立ち止まったことで、この食堂の人間だとわかったみたいだ。落ち着いた足取りでこっちに向かって歩いて来る。
近くで見ると、黒髪に薄い茶色の目をした、少年と言っていいくらいの若い男の子だった。きっちりした感じのおしゃれ服は前にも見たことが……。
……あれ? この人、前見た人と違う?
指輪を探していた「いい服の人」は、もっとこう、なんだっけ……。
「何かご用ですか?」
カルロさんの声が固い感じに響く。
それを受けて、目の前の少年が口を開くのを、あたしは冷や汗を滝のように流しながら見ていた。
さ、探し物は、ここに、ありまぁす……!
「人を探しているのですが」
「ごっ、ごめ……え?」
被せる勢いで謝ろうと思っていたあたしの耳に、意外な言葉が飛び込んできて、あたしは混乱した。
……人を探してるって言った? 物じゃなくって?
それに、この声。あたしがあの時聞いた声じゃない。
「魔術師のアルベルトという人を探しています。この食堂にはダンジョン帰りの方がよく来ていると聞きましたので」
黒髪の少年は礼儀正しく会釈をする。
あたしは頭の中がグルグルしていた。
何でこの服を着た人がアルベルトさんを探してる?
アルベルトさんって、何かやらかしたとか?
……指輪は?
『指輪なんだ。このくらいの赤い宝石が付いている。黒っぽい台座で』
耳に残っているあの声は、あれは、そういえば……アルベルトさんの声に似ていた。
どうして今まで気が付かなかったんだろう。
アルベルトさんが似ていたのは、あの露店にいた「いい服の人」の背格好に似ていたんだ。あの時チラッと見えた顔には無精ヒゲなんてなかったし、髪はボサボサじゃなくてきっちり結んであった。
格好と髪型が変わったら全然別人に見えるんだ。気が付かなかった……。
「アルベルトさんを? 確かに魔術師のアルベルトさんは、ここ最近よく来ていたけど」
カルロさんは首をかしげながら、食堂のドアへ歩いていく。荷物が多いのでとりあえず下ろしたいみたいだった。
それを追うように付いていく少年が、嬉しそうに声を弾ませる。
「やっぱりこの街にいるんですね。正義感の強い人だから、魔神の住処へ行ってしまったのかと、心配していました」
「……は?」
何でアルベルトさんが魔神の住処なんかに行くんだよ。それって聖魔法の乙女がすることじゃん。なにフカシてんだこの小僧は。
それにアルベルトさんって、正義感が強いっていうより……。
「アルベルトさんって、どっちかって言うと娘さん命って感じだったような」
「まあそうだなあ。娘さんのために頑張ってた印象が強いな」
あたしの意見に、カルロさんも同意してくれた。
少年を見たらなぜか納得がいかないっていう顔をしている。
「アルベルトさんには、娘さんはいませんよ」
――えっ。
「そんなバカな、あんなに必死に……」
カルロさんが驚いて、ドアのカギを落としかけた。
「アルベルトさんが、若い頃こちらの近くのダンジョンに入っていたことは聞いています。その時に奥様を亡くされて、探索をやめたと」
少年は言いにくそうにうつむいた。
「でも、子供がいるとは聞いていません」
あたしはカルロさんの手からドアのカギを取って、強引にドアを開ける。
「カルロさん、ちょっとあたし、用事ができたんで、行ってくるから」
カルロさんに果物の入った袋を押し付けて、あたしは力いっぱい駆け出した。
「お? おお、気をつけて行けよ?」
「ういっす!」
振り返らずに返事をして、あたしは街の近くの街道へ急いだ。
『すごく遠くに行くんなら、5の付く日の早朝に出る馬車』
乗合馬車のオジサン、ありがとう。今日は5の付く日だったよ。
ずっと変だと思ってたんだ。
親子だったら、目が見えなくっても、顔を手で触ったりするもんじゃないの? って。
頬ずりしたりとかさ。
『俺を見た最初の感想が「不潔」だったら、やっぱり嫌だから』
あれは、惚れた女のことを語る男の顔だったんだ。あのタイミングでヒゲを剃るってことは、それまでは触ったりなんか絶対にない関係だったってことだ。
アルベルトさんは、もうここに帰ってこない。
帰ってくるわけがないんだ。
だって、その「娘さん」は……。
白い石畳の街道に馬車はなく、日陰を選ぶようにして立っている男女の姿が目に入った。
良かった、間に合った。
あたしは走りながら、茶色の髪をきっちり結んだ男の人に声をかける。
「アルベルトさん!」
目を見開いてこっちを見たその顔は、あたしがいつか露店で見た「いい服の人」そのものだった。
「ハルカか」
アルベルトさんは気まずいって感じの顔をして、女の人を隠すように一歩横に移動した。
あたしは立ち止まって、肩で息をするのを押さえようと、膝に手をついて前かがみになる。
「アルベルトさん、その、娘さん」
「なんだ?」
「その人がフローリアさん?」
爽やかな初夏の早朝くらいの気温だったんだけど、一気に空気が凍ったのがあたしにはわかった。
「……誰から聞いた」
聞いたこともないような、アルベルトさんの殺気のこもった声。
ちょっと怖い。
すぐにも何か危険な魔法が飛んできそうな気配がする。
「誰からも聞いてない。あたしはバカだけど、勘だけはいいんだ」
あたしはエプロンのポケットから赤い宝石の指輪を出して、アルベルトさんによく見えるように掲げた。
「これ、探してたんでしょ。餞別にあげる」
「君が持っていたのか」
アルベルトさんはあきれたような、疲れたような顔をして、ため息をついた。
「それがあったから、魔鳥から逃げ切れたというわけか。全然気付かなかったよ」
「何の話??」
勝手に解釈して勝手に納得しているアルベルトさんにあたしは異議を唱えたが、彼は聞いてないみたいだった。
「それは帰還の指輪という秘宝だ。フローリアが曾祖母より受け継いだもので、たとえ異界からでも望む場所へ帰ることができる。聖魔法の乙女の一派はその秘宝を彼女から奪い取るために、彼女に魔神の使いという汚名を被せて、断罪したんだ」
アルベルトさんがサラッと説明してくれた。
あのおとぎ話みたいな昔話に出てくる聖魔法の王女様は、フローリアさんのひい婆ちゃんだったんだって。
フローリアさんは嫌がらせなんかしてなかったのに、秘宝を取り上げようとした聖魔法の乙女の取り巻きによって、顔に腐食毒をかけられ、魔神の使いだと言われて、王宮のナントカ騎士団に引き渡されたらしい。
宮廷魔術師をしていたアルベルトさんは、顔が焼けただれて息も絶え絶えなフローリアさんを見て、こんなことは許されないと、彼女を助けるために孤軍奮闘したそうだ。
「彼女が受けた腐食毒は非常に厄介なものだった。あらゆる回復薬を試したが、目の部分だけは治らなかったんだ。俺は最後の手段として、究極の回復薬を作ることにした。しかし一番重要な材料が足りなくて……君の取ってきたあの実だよ。本当に助かった。本音を言うと、少し諦めかけていたからね」
アルベルトさんは淡々と話していたけど、その行動は同情からにしては熱すぎる。確かに彼は正義感が強いのかもしれない。
でもそれ以上に、愛情ってのがないと、普通はここまでしないんじゃないかな。
「その指輪は、あなたに差し上げますわ」
アルベルトさんの後ろから顔をちょこんとのぞかせて、金髪の女の人があたしに言った。帽子を深く被っているからよく見えなかったけど、すごい美人だ。白に近いような金髪に、水色の大きな瞳。
アルベルトさんは彼女がこんな美人だと知っていて助けたのか、それともすごいブスでも同じように助けたのか、返答によっては彼の評価が変わるかもしれない。
まあそれは置いといて、あたしはそのフローリアさんに向かって指輪を差し出す。
「でも、ひい婆ちゃんの形見なんでしょ?」
「いいのよ。曾祖母様から頂いた時、使えるのはあと一回だと伺いました。あなたがすでに使ったのなら、それは役目を終えていますわ。それにわたくしは、捨てた時にそれとはもうお別れを済ませていますから」
風に消えていきそうな儚さでフローリアさんは微笑んだ。
「魔法学院から移動させられている時に、わたくしは手探りで、橋を渡る途中の馬車から指輪を外へ放り投げましたのよ。わたくしの最後の意地でした。最悪の汚名を着せられて、黙って死ぬわけにはいきませんもの。魔神を倒すであろう者たちにも、死んでもらいたいと思いましたの」
ほほほ、と彼女は鈴を転がすような美しい声で笑った。
「性格が悪い、と思われるかもしれませんわね」
「別にあたしは思わない。そんな目に遭ったのに、まともでいられるのが羨ましいよ」
それはあたしの本心だった。あたしの子供の頃のトラウマは長引いてしまったから、彼女の強さが本当に羨ましかった。あたしが欲しかった強さってのは、もしかしたらこっちの方だったのかもしれない。
「あら、わたくしだってすべてを失った時は、神などいなかったのだと絶望しましたわ」
フローリアさんはいたずらっぽく笑うと、アルベルトさんの背中に頬を押し付ける。
「けれど、今はこの巡り合わせに感謝しています」
その顔はアルベルトさんのことを本当に信頼してて、好きだっていう感情であふれていて、キラキラした何かが周りに飛びまくっていた。
それを綺麗だと思うのと同時に、結局この世は愛なんだなって、あたしはちょっとイラっとした。
「ねえ、アルベルトさん」
「お、おう」
あたしは怒ってるつもりはなかったのに、アルベルトさんはなんかビビっている。
「何で露店なんかでこの指輪探してたの?」
「露店だけじゃないぞ。王都と、王都に近い街道沿いの街にある目ぼしい店は、全部回ったんだよ。あいつらが見つけてしまったら意味がないからな。まあ、それと、彼女が実家に帰りたいって言ったら、いつでも帰れるように」
「うふふ、わたくしには、もう必要ありませんのに」
アルベルトさんとフローリアさんは、お互いに何か甘ったるいオーラを出している。
こりゃダメだ。何を質問してもラブラブパワーで胸やけする結果になりそう。
あたしが胸焼けしすぎて焦げた感じのする胸を押さえていると、街道の向かい側から、大きめの乗合馬車がガラガラとやってきた。
「隣の国の港町まで行くよー」
誰かに行き先を聞かれたらしい御者のオジサンが、大きな声で説明している。
もう出発の時間になったみたいだ。少ない手荷物を持って、二人は馬車へ向かって歩き出そうとした。
「じゃあな……」
「あ、ちょっと待って、アルベルトさん」
あたしは聞き忘れたことがあったのを思い出し、空気を読まずに呼び止めてしまった。
「さっき言ってた、異界からでも帰れるって話。『異界』って、あの、どんな意味?」
「ああ、こことは別の世界って意味さ」
アルベルトさんが何気なく答えてくれたその言葉に、あたしは心臓が押されるような衝撃を受けていた。
「そ、か。ありがとう、アルベルトさん、フローリアさん」
震える声で言うあたしに不思議そうな視線を向けながら、
「こちらこそありがとう、ハルカ。元気でな」
「感謝していますわ。ごきげんよう、ハルカ様」
お礼と別れの言葉を口にして、二人は馬車へと乗り込んでいった。
行き先がどこになるのかあたしにはわからないけど、この二人はきっとこんな風に仲良くやっていくんだろう。
素直に羨ましい、と思う。
そしてあたしには縁のない話だとも思ってる。
二人が乗った馬車が街道の向こうに消えていくまで、あたしはずっと手を振り続けていた。
「……さよなら」
口をついて出た言葉が胸を苦しくさせて、あたしは泣きたくなった。
でも意地を張って泣くのをこらえてしまい、結局すごく変な顔をしていたと思う。
街道の向かい側から、あたしを指さして笑ったジャリガキ。
ちょっと迷ったけど。
お前はいつかシメる。
そう心に決めて、あたしは街に戻っていった。




