第3話 消えた首飾り
翌朝、監察局の前に、伯爵家の紋章を付けた荷車が止まった。
降ろされた籠は、五つ。
「音楽会の夜に、屋敷の者が着ていた服だ」
ルシアン様が、綴りをめくりながら言った。
「三日前の夜、ブランシュ伯爵家で秋の音楽会があった。客が帰ったあと、伯爵夫人の寝室の宝石箱から、首飾りが消えた。『青い涙』と呼ばれる家宝だ。大粒の青玉がひとつ」
「疑われている侍女の方は」
「ロザリー。伯爵夫人付きの侍女だ。宝石箱の鍵は一本だけで、夫人がいつも首から下げている。その鍵が、音楽会の夜に夫人の手元から消えた。翌朝、宝石箱は開いたまま空になっていて、鍵はロザリーの前掛けのポケットから出てきた」
聞いたことのある話だった。
「……乳母のハンナさんと、同じですね」
「俺もそう思った」
ルシアン様は、籠のひとつを足で軽く押した。
「伯爵夫人は、三日以内に首飾りが出なければ、ロザリーを近衛に突き出すと言っている。今日が一日目だ」
三日。
私は袖をまくった。
*
籠の中身を、作業台に一枚ずつ広げていく。
夜会服は、着るたびに洗うものではない。次に着る前にブラシをかけて、汚れたところだけを落とす。だから音楽会の夜の汚れは、まだそのまま残っているはずだった。
伯爵夫人の夜会服。重たい天鵞絨に、真珠の縫い取り。脇の下に、香水と汗の混じった匂い。
伯爵の上着。袖口に葡萄酒の染み。音楽会で、ずいぶん飲んだらしい。
家令の黒い上着。きちんとブラシがかけてあって、ほとんど汚れていない。
侍女ロザリーのお仕着せ。前掛けのポケットの縫い目が、少しほつれている。
「どうだ」
「まだ、全部見ていません」
最後の籠から出てきたのは、淡い水色の夜会服だった。
伯爵家の令嬢のものだ。小柄な娘の寸法。胸元に小さなリボン。
裾を持ち上げたとき、指が止まった。
裾の前のほうに、黄色い粒が点々と固まっていた。
蝋だ。
爪の先で少し削って、においを嗅ぐ。ほのかに甘い。蜂蜜の匂いがした。
それから、裾の縁に、赤茶色の土。乾いて、布にこびりついている。
「……ルシアン様。伯爵家のお屋敷に、礼拝堂はありますか」
「ある。東の庭の奥だ。なぜ」
「この蝋、普通の蝋燭じゃないと思います。蜂蜜の匂いがする。それに、裾の赤い土」
私は裾を光にかざした。
「夜会服の裾に土がつくのは、外を歩いたときだけです。音楽会の夜に、このドレスを着たまま、誰かが庭に出ている」
「令嬢が?」
「このドレスを着ていた人が、です」
ルシアン様は、しばらく水色の裾を見ていた。
「伯爵令嬢は、音楽会のあとすぐ部屋で休んだと、夫人は言っていた」
「なら、どちらかが嘘をついています」
汚れは、嘘をつかない。
*
昼を過ぎても、私は作業台から離れなかった。
蝋の粒の形。土の乾き方。どこで、どんな順番でついたのか。
不意に、目の前に紙包みが落ちてきた。
顔を上げると、ルシアン様が立っていた。
「食え」
包みの中は、黒パンと、薄く切ったチーズだった。
「……私の分ですか」
「朝から何も食べていないだろう。食堂の椅子に一度でも座れば、前掛けの腰から下に皺が寄る。一本もない」
私は、思わず自分の前掛けを見下ろした。
本当に、皺ひとつなかった。
「汚れ物から人を見るのは、君だけの特技じゃない」
ルシアン様はそう言って、背を向けた。
耳は、今日は赤くなかった。
ちょっとだけ、悔しかった。
*
夕方、ルシアン様が伯爵家から戻ってきた。屋敷の者の名前と、年と、勤めの長さを書きつけた紙を持っている。
「明日、屋敷に行く。礼拝堂も見せてもらう。君も来い」
「はい」
紙を受け取って、上から順に目で追った。
伯爵。伯爵夫人。家令のバルトルト、勤めて二十年。侍女ロザリー、勤めて五年。
そして。
『令嬢エレオノーラ 十五歳。幼いころから体が弱く、十二歳まで領地で療養。三年前より王都の屋敷に』
紙を持つ手が、冷たくなった。
十二歳まで、領地で療養。
三年前から、王都に。
──アルベルト様と、同じだ。
三年前の春。十二歳の誕生日の朝に、白い手袋の紳士に手を引かれて、灯火の家の門を出ていった子がいる。
洗い物がいちばん上手だった子。
冬になると、いつも指があかぎれだらけで、それでも私の水仕事を代わってくれた子。
マルタ。
トビーの手紙には、生きていると書いてあった。
今年で、十五になる。
マルタ。灯火の家で、いちばん洗い物が上手だった子。
次回、蝋の色。
見つけた弟妹 1/14




