【地上編】第一話 その3:『迷探偵のゴミ箱と白き紋章の予兆』
街の喧騒から隔絶された加古川探偵事務所の室内には、世紀末の緊張感とは無縁の、しかし別の意味で緊迫した空気が流れていた。
「……解せませんわ。これは、名探偵としてのわたくしのプライドに関わる大問題ですわ!」
床に膝をつき、パステルカラーのダボついたパーカーを揺らしながらゴミ箱を覗き込んでいる少女――加古川みえが、悲痛な声を上げた。彼女は割り箸を器用に使い、ゴミ箱の中から一本のシワシワになったお菓子の袋を、まるで歴史的遺物のように恭しくつまみ上げている。
「見てください、駿影さん! あの日、わたくしが『もう食べられませんわ』と涙を呑んで廃棄したこのチョコ菓子……。今、わたくしの名探偵としての直感アンテナが告げています。これ、本当は賞味期限が今日まで残っていたのではありませんかしら!?」
その背後で、漆黒のドレスポロに袖を通し、二の腕をシルバーのアームガーターで締め上げている格好の巨漢――助手兼ボディーガードの響 駿影が、無表情に手元のPHSを確認した。
「主。あの日から既に四日が経過しています。当時のあなたは『お腹が空いたけど、これが期限切れなのは神の啓示だ』と言って捨てていました。仮に期限内だったとしても、夏のゴミ箱に放置されたチョコを回収することは許可できません。不潔です。それと、今は来客中です」
「うぐぅ……。失われたお菓子の情景が、わたくしの脳内をノイズで埋め尽くすのですわ……!」
みえは悔しそうに顔を上げると、傍らのデスクに置かれた使い捨てカメラを手に取った。
「このカメラに、未練という名の過去を現像してやりたいくらいですわ!」
その光景を入り口で呆然と眺めていたのは、記憶を失った少年・七篠 如人と、彼を強引に連れてきたガングロメイクの播磨 舞衣である。
「……舞衣さん。僕、やっぱり帰ってもいいかな? 記憶喪失の悩みより、この空間の『残念さ』に耐えられそうにないんですけど」
如人の切実な訴えを、舞衣は「何を言ってんのよ!」とガングロの笑顔で一蹴した。
如人はふと、事務所の隅に置かれた一鉢の観葉植物――パキラに目を留めた。
園芸同好会を一人で支えてきた彼にとって、植物の状態は自分の体調以上に気になる。本来なら艶やかであるはずの葉が、微かに端から内側へと丸まっていた。
(……? この子、なんだか元気がないな。七月の西日が強いとはいえ、冷房の効いた室内でここまで乾燥するのはおかしいな。葉の気孔が閉じようとしている……蒸散を防ぐための防御反応だ。霧吹きで湿度を補ってあげないと、細胞壁が維持できなくなる。後で、葉水をあげて良いか聞いてみよう)
植物の微かな「悲鳴」に敏感な如人は、室内を流れる空気が、いつの間にか肌をピリピリと刺すような、妙に「乾いた」質感に変わっていることに、誰よりも早く気づいていたのである。
◇◇◇
「おっほん! 見苦しいところをお見せしましたわ」
みえは慌てて立ち上がると、前後ろ逆になったパーカーの裾を整え(駿影に無言で首根っこを掴まれて直され)、探偵らしくビシッと指を立てた。
「初めまして。わたくしこそが、あらゆる『失われた情景』を現像する名探偵、加古川みえですわ! そしてこちらは、わたくしの手足となって働く忠実な下僕、駿影さんですの!」
「助手、兼、主の健康管理担当を担っております響です。主の脳内が現在、ダイヤルアップ接続並みの速度であることをお詫びします」
「えっと、僕は、七篠如人です。……舞衣さんから、ここでなら僕の無くした記憶が見つかるかもしれないって聞いてきたんですけど……本当に大丈夫なんですか?」
「もちろんですわ。どんな失せ物でもお任せあれ! 宝船に乗ったつもりで、夢の中へゴーですわ」
如人がおずおずと名乗ると、みえが自信満々で答えた。
「そこはかとなく不安なんだけど……」
「まあまあ、なおと君、大丈夫だって」
不安げな顔を隠さない如人に対し、舞衣が楽観的な言葉をかけた。そんな二人を微笑まし気にみながら、みえが口を開く。
「それで、どうして記憶を失ったのか、お話を聞かせて欲しいですわ」
「えっとね、なおと君さ、うちの妹やお友達とキャンプに出掛けたんだけどね、一人だけ記憶を無くして帰ってきたのよ」
「一人だけ? 他のお友達はどうされたのですわ?」
「わかんないの、行方不明でチョベリバなのよ! だから困って相談にきたの!」
みえの問いに、舞衣が勢いよく答えた。
「つまり、如人さんの記憶だけでなく、お友達も探して欲しいということですわ?」
「いや~、それが出来たらチョベリグだけど、まずはなおと君の記憶が先かな」
あくまでも優先順位は如人の記憶だと、舞衣はサラッと告げた。現在進行形で行方不明になっている妹、結衣のことも心配ではあるが、そこには舞衣が絶大な信頼を置いている上沢 緋女も同行している。
その時だった。今まで黙って話を聞いていた駿影が不意に一冊の手帳を取り出し、サラサラと何かを描き始めた。
「ところで七篠如人君。君が記憶を失った前後で、これと同じようなマークを見た覚えはありませんか?」
駿影が提示したのは、植物の蔦と「目」を組み合わせたような、不気味な意匠の紋章だった。
「えっ……? それは……」
如人が言葉を失う。そのマークはどこかで見覚えがあったからだ。
「私が独自に調べたところ、これは最近急激に信者を増やしている新興宗教団体、『白神救世教』の紋章です」
如人が首を傾げると、駿影は事務的な口調で説明を補足した。
「実は三週間ほど前、主の元にこのマークの入った招待状が届きました。私はそれを質の悪い『悪徳商法の勧誘』か『カルト教団の引き抜き』と判断して処分しましたが……」
「わたくし、それ知らないですわ」
「お見せせずに処分しましたので」
みえと駿影のやり取りの合間、手帳をためつすがめつ眺めていた如人はようやくその心当たりに思い至り声を上げた。
「あっ……! これと同じマークの紙、僕のポケットにも入ってます!」
如人は慌てて、ズボンのポケットからクシャクシャになった一枚の紙を取り出す。それは如人や他の仲間、即ち神候補の元に届けられた招待状だった。
「これっ確かに、同じマークです!」
「なにこれ、くちゃくちゃじゃないの」
舞衣が呆れ顔で突っ込んだ。みえはそれを見て爆笑している。
「いや何だか分からないけど、捨てられなくって。えっと、つまりこれが僕の記憶を取り戻すのに関係があるってことですか?」
「さあ?」
「さあって、関係ないんですか!?」
「慌てないでください。少し良いですか?」
駿影は人差し指を天井に向けながら顔の前に出すと、ゆっくりと語り始めた。
「後に調べたところ、その教団は十年くらい前から、莫大な資金力で勢力を拡大している要注意団体でした。一九九九年七月の終末予言を利用し、『白き神の光で救済する』と謳っていますが、強引な勧誘や無理やり喜捨させるといった黒い噂が絶えません」
舞衣も横から忌々しげに言葉を添えた。
「そう言えば、なおと君。私も前に『蛇みたいな不気味な男』に襲われた時、その教団が関わってるって聞いたわ。親友だったシロッちなんて、私のことを『神様への最初の供物』だなんて言ってきたんだから。真っ当な連中じゃないわよ」
駿影がみえの元に届いた招待状を即座に処分した背景には、元傭兵としての危機管理能力があった。彼はみえが「能力者」として選ばれたことを知る由もなかったが、教団が裏で不穏な動きを見せていることを察知し、独自に調査を進めていたのである。
「実は我々に、人探しの依頼が複数件来ています」
「人探し?」
「はい。そしていなくなった人の元には、そのマークの入った封筒などが届いていたそうです」
「いなくなった現場に痕跡が残っていたということですか?」
「いいえ、何も残されていませんでした」
駿影が首を振りながら、如人の問いに答える。
「私が何故、この教団を調査しているのか、気になりますか?」
「駿影さん、もったいぶりすぎですわ!」
「失礼いたしました。実は招待状が主の元に届いた回数は、既に四度に上っております。何度処分しても新たに届くのです」
「「「えっ!?」」」
駿影の言葉にその場の全員が一斉に驚きの声を上げた。その様子を一頻り確認すると、駿影は再び言葉を紡ぎ始める。
「ここで、行方不明になった方々の話に戻しましょう。私は今回の行方不明者に共通点はないか、依頼者に聞きました。するとですね、この招待状が届いた人物に不思議な共通点があったのです。皆さん九死に一生を得るような体験をなさってました」
「どういうことですの?」
「教団は『九死に一生を得た人間を調べ上げ、その人間に招待状を送りコンタクトを図った』そして、『秘密裏にその人間を連れ出して何処かに移動させた』という事です」
「それは一体、何のためにですの?」
「さあ、怪しげな宗教団体ですからねぇ、どこぞで怪しげな儀式でも行っているのかも?」
駿影の話を聞いて、思い当たる節がある人物が、記憶をフル稼働させていた。播磨舞衣である。彼女は過去に教団の関係者に攫われた経験があり、そこで「次の神様になる」といった話を聞いている。
「シロッちの儀式、知ってる! 次の神様になるって、シロッちが言ってた……それと、お緋女さまも」
「お姫様?」
聞き覚えがあるような、しかし白くぼやけて思い出せない言葉を如人が首をひねりながら呟く。今の彼に相棒の顔を思い出すのは荷が重い。そんな如人をしり目に、駿影が舞衣に問いかけた。
「シロッちとは誰の事ですか?」
「シロッちは、さっきも言ったけど、私の元親友で……その宗教の教祖の娘だよ」
「教祖の娘ですか。舞衣さんは、お顔が広いのですね」
「えっ、お姉さん、小顔で通ってるんだけど!」
「わたくしもそう思いますわ! 舞衣さんはお顔が小っちゃくて、まるでマカロンのようですわ!」
「マカロン? グラタンに入ってると美味しいよね!」
「まあ、グラタンに? わたくし、そのグラタンは食べたことありませんわ」
「えっ、本当に!? 冬になったら、うちに食べにおいでよ」
「ええ、ぜひご馳走になりにゆきますわ」
「……お二人はいったい何の話をしているのですか。まあ、良いでしょう。とにかくこれで確信が持てました」
女子大生二人のずれた会話を無視して、駿影は手帳をポケットに仕舞うと、アームガーターで締め上げられた腕を組み、改めて如人と舞衣を見据えた。その場の空気が、パキラの葉が枯れる音すら聞こえそうなほどに張り詰める。
「最後の確認です。お二方は――『超能力者』、あるいはそれに準ずる特殊な力の持ち主ではありませんか?」
駿影の問いに、如人と舞衣は、まるで示し合わせたかのように全力で首を横に振るのだった。
その3 終わり




