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【儀式編】第一話 その3:無効の蒼と、呪いの結晶

 視界を焼き尽くすような白光が収まった後、上沢(うえさわ) 緋女(ひめ)の足元に残されていたのは、先ほどまで命を削り合っていた男たちの成れの果て――小さな結晶体だった。


 掌の上で鈍い輝きを放ち、生き物のようにドクンドクンと不気味に脈動する三つの『宝石(ジェム)』。


 緋女は、赤茶色の長い髪を揺らす熱風を浴びながら、それを忌々しげに凝視した。血の通った人間だったはずの男たちが、死体すら残さず、光の粒子となってこの冷たい石の中に封じ込められた。

 その事実は、この島が常識の通用しない地獄であることを、何よりも雄弁に物語っていた。


「……あいつらが、この石になっちまったってのか」


 緋女は低く呟き、防刃仕様のグローブ越しに伝わる硬質な感触に眉を寄せた。

 この不気味な戦利品をどう扱うべきか。バックパックの重みを背負い直し、立ち上がろうとしたその瞬間だった。


「あまりその石を無防備に晒さない方がいいよ、上沢緋女さん。……それは、この島では何よりも価値のある『資源』だからね」


 背後の木陰から、鼓膜に染み入るような冷ややかで透き通る声が響いた。


「――ッ!」


 緋女の身体が、本能的な闘争本能によって弾かれたように回転する。


 強固な安全靴が白い砂を蹴り、鋭い視線の先、不自然に白化した大樹の影に潜む「不審者」を捉えた。


「……誰だ、お前」


 そこに立っていたのは、一人の少年だった。


 年齢は自分と同じか、あるいは少し年下に見える。だが、その佇まいはあまりに異質だった。

 ミントブルーの髪は、まるで月の光を反射する水面のように淡く輝き、その瞳は深く、どこまでも澄んだ水底を思わせる蒼を湛えている。

 何より異様なのは、彼の周囲を、意志を持っているかのように数球の「水塊」がゆらゆらと浮遊していることだった。


 灼熱の陽光が降り注ぐジャングルにおいて、その少年の周りだけが、まるで時間が凍りついたかのような静寂と涼気に包まれている。


 緋女の纏う「赤と熱」に対し、少年の放つ「青と水」。


 その決定的な対比に、緋女は森の温度が急速に奪われていくような、得体の知れない悪寒を覚えた。


「僕は観月(みづき) 進(すすむ)。君と同じ、この茶番(サバイバル)に放り込まれた神候補の一人だ」


 少年――観月は、感情の起伏を一切感じさせない無機質なトーンで名乗った。


「……何でアタシの名前、知ってんだよ」

「君は自分が思ってるより有名人なんだぜ。『血みどろ姫』や『悪鬼上沢』なんて不名誉な異名が、あちら側ではまかり通っているからね」


 観月は感情の動揺を見せず、淡々と上沢の手の中にある宝石を指差した。その動作一つ一つが、極めて冷静で無駄がない。


「上沢緋女さん。君の戦いは見ていた。粗削りだが、熱量は凄まじい。……けれど、その戦い方は、この島では三日と持たないよ」

「あぁ!? 初対面で説教かよ、青二才が」


 緋女の導火線に火がついた。格闘術を極めた彼女にとって、戦い方を否定されることは何よりも屈辱だったのだ。

 緋女は宝石を力任せに握り締めると、地面を爆発的な脚力で踏み抜いた。一瞬で間合いを詰め、少年の胸元へ、怒りと共に練り上げた『発熱』の拳を叩き込もうとする。


(その澄ました面、ひん剥いてやる――!)


 熱波が空気を歪め、少年の髪をなびかせた、その直後。


「『無効水(アクア・ヌル)』」


 観月が静かに、祈るような低声で呟いた。


 次の瞬間、彼の周囲を漂っていた水球の一つが弾け、陽炎のように揺らめく緋女の拳を瞬時に包み込んだのだ。


「なっ……!?」


 緋女の動きが、物理的な拘束ではなく、概念的な拒絶によって制止された。


 驚愕すべきは、その「感覚」だった。


 自身の内側から溢れ出そうとしていた、マグマのような『発熱』の衝動。それが、冷水を浴びせられた焚き火のように、根源から急速に「消火」されていく。

 掴もうとした拳に熱が宿らない。細胞一つ一つが、強制的に沈黙させられていく絶望的な無力感。


「無駄だよ。僕の『水』は、神の能力の出力を否定する。君がどれだけ怒り、熱を産もうとしても、僕の前ではそれはただの『徒労』に変わる」


 観月の瞳には、勝利の昂ぶりも、相手を蔑む色もなかった。ただ、数式を解くような冷徹な事実の提示があるだけだ。


「……くっ、離せ!」


 緋女は強引に腕を振り払い、後ずさりして距離を取った。全身を薄く覆う水の膜が、彼女の闘争心を物理的に、そして精神的に冷やしていく。自分の誇りである「熱」が、ここまで容易く封じられたのは初めてのことだった。


「やれやれ……せっかく、その宝石の真実について、教えてあげようと思ったんだけどね」


 観月は自身の左手をゆっくりと掲げた。


 そこには、古めかしいが精巧な細工が施された銀の指輪が嵌められていた。指輪の中央には、緋女が拾ったものと同じ系統の、深く透き通った蒼いジェムが埋め込まれている。


「宝石の……真実?」

「教団はこれを『神の恩寵』と呼んでいるが、実態は違う。それは、敗北した能力者の『能力の残滓』……つまり、神の力が結晶化したものだ」


 観月の説明は、冷酷なまでに明快だった。


 剥き出しの宝石は、持ち主の精神を汚染し、生命力を過剰に吸い上げて、能力を暴走させる呪いの石であること。

 先ほどの中年男の腕が不自然に肥大していたのは、宝石の出力に肉体が耐えられなかった結果であり、そのまま使い続ければ最後は消滅していたであろうこと。


「この島で正しく生き残るには、宝石を制御するための『触媒』……すなわち、この様なアクセサリーが必要になる」


 観月は指輪を愛おしむように触れた。


「上沢緋女、君は素手で戦うことに誇りを持っているようだが、道具も持たず、ただ熱を垂れ流すだけでは、神候補を狙う教団の『掃除屋』や、宝石を狙う『コレクター』の餌食になるだけだ」


 緋女は歯を食いしばった。自分が、この場所ではただの「獲物」に過ぎないというのか。


「……だったら、どうしろってんだ。アタシはそんな指輪なんて持ってねえよ」

「だから、僕が誘いに来た。……僕は、この狂った儀式から脱出するための『仲間』を募っている」


 脱出、という言葉に緋女の瞳が揺れた。


「僕らは神になりたいわけじゃない。誰かを宝石にするためにこの力を使いたいわけでもない。ただ、この儀式から降りたいと願う者たちの集まりだ」


 観月の瞳は、どこまでも深く、高度な計算に基づいた光を宿している。彼は、儀式に参戦するつもりも、また教団に反抗するわけでもない、脱出を画策する第三勢力のリーダーだったのだ。


「君の『熱』は、僕たちの脱出に不可欠なエネルギー源になり得る。……今は信じなくてもいい。だが、この先もし限界を迎えた時、僕の場所へ来るといい。僕の盾が、君を守るはずだ」


 観月はそう言い残すと、周囲の水球と共に、森の霧の中に溶けるようにして姿を消した。

 後に残されたのは、不気味に燃え上がる火山島の静寂と、緋女の手の中で脈動する、呪われた宝石だけだった。


「宝石……アクセサリー……チッ、めんどくせえ事になってきやがった」


 緋女は宝石を力任せにポケットに押し込むと、島の中央に見える不気味な白亜の施設を見据えた。

 観月進という「静かなる脅威」が見せた底知れぬ力。そして、この島を支配する理不尽なルール。


「儀式だか何だか知らねえが……アタシの熱は、指輪なんか通さなくても、全部焼き尽くしてやるよ」


 復讐の炎は、冷たい水の洗礼を受けてなお、その中心部でより激しく、赤黒く燃え上がっていた。


 上沢緋女の本当の戦いは、今この瞬間から始まったのである。


◇◇◇


 漂白された森を見下ろす岩肌剥き出しの高台。その吹き抜ける風の中に、一人の男が妙に不自然な姿勢のまま、彫像のようにピタリと静止していた。


 その男は、両手の親指と人差し指で小さく綺麗な輪を作り、それを双眼鏡のようにして自身の片目にぴったりと当てている。


 男の持つ異能――能力『望遠』。彼の特異な視界は、ここから優に一キロメートルは離れた、先ほどまで上沢緋女が凄惨な死闘を繰り広げていた広場の様子を、遮る霧を透過して克明に捉えていたのだ。


「……ありゃりゃ。こいつは驚いたな、あの凶暴なヤンキー女、想像以上のバケモノですよ。こっちが猟犬代わりに仕向けて放っていた二人組、あの女一人に良いようにボコボコにされて、あっさりと力尽きて冷たい『宝石』に変えられちゃいました」


 男は可笑しそうに肩をすくめると、ようやく目の前に作っていた指の輪を解き、自身の真後ろに広がる濃い影へと振り返った。


 そこには、遮るもののない鈍い陽の光を派手に反射するほどの、鮮やかな金髪を完璧なオールバックに整え、不気味な黒いサングラスをかけた、威圧的な巨躯の男がまるで巨大な岩塊のように厳然と佇んでいた。


 金髪の男は太い腕を組み、彫深く獰猛な表情を一つ変えることもなく、色彩を完全に失った漂白の森の深淵をじっと見据えている。


 ただそこに立っているという事実だけで、周囲の空気をチリチリと肌が痛むほどの圧倒的な威圧感で支配しており、彼を囲むように直立している四人は、恐怖と崇拝の入り混じった目で、その一挙手一投足に全神経を集中させていた。


「……フン。呆気なく終わるなら、所詮は最初からその程度の価値しか持たない、ただの安い『資源』だったということだ。気にするに値せん」


 金髪の男の口から漏れ出た声は、地響きのように低く、周囲の人間を心の底から見下すような絶対的な傲慢さを湛えていた。


「それで、これから俺たちの動きはどうします? あのアマを今すぐこの人数で囲んで叩きますか?」


 望遠の能力を持つ男が、伺うような薄薄しい笑みを浮かべながら金髪の男に問いかける。


「いや、一旦切り替えだ。無駄な消耗を避けるためにも、候補者狩りはここで一時中断とする。ここから先は、この予測不能な儀式を生き抜くために拠点探しを最優先に動くぞ」

「承知しました、仰る通りに。それじゃあ、俺は周囲に他の邪魔な勢力や使えそうな隠れ家がないか、もう少しこの目で遠くまで探ってみますよ」


 そう軽薄に言うと、望遠の男は再び高台の特等席へと戻り、指の輪を構えて漂白された世界へ視線を落としていった。


「あの……。先ほどあの女に奪われてしまった、仲間の『宝石』は本当に取り戻さないんですか? 今ならまだ、女も消耗していて簡単に奪い返せるチャンスだと思うんですが……」


 それまで黙って後ろに控えていたうちの一人が、焦りを滲ませた声で恐る恐る金髪の男に問いかけた。その問いに、金髪の男はサングラスの奥にある肉食獣のような鋭い眼光をギラリと覗かせる。


「だから慌てるんじゃねえよ。今はまだ、あの女の首を獲るべきその時じゃねえって言ってるだろ。こういうゲームってのはな、いつだって完璧な『準備』を整えた奴だけが最後に笑うようにできているんだぜ?」


 不気味な黒いレンズの奥で傲慢な瞳を一層細めながら、金髪の男は、これから始まる更なる惨劇を予感させるような、狂気に満ちた不敵な笑みを深く浮かべるのだった。


 その圧倒的な存在感は、運命の戦いへとの期待を嫌応なしに跳ね上げるに十分なものだった。


その3 終わり

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