表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月影の記憶  作者: しまゆり
第二章 月の姫と賢木の出会い

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/10

第9話 冬 -手を離さない-

冬の月の宮。

高熱に倒れた姫は、初めて胸の奥に隠していた不安を初めて零す。

その夜、賢木はようやく“守りたい理由”を知ることになる。

 その冬、月の宮には珍しく深い雪が降っていた。

 夜になる頃には庭も回廊も白く染まり、静寂が雪に吸い込まれている。


 姫が熱を出したのは、そんな日のことだった。


 最初は少し顔色が悪い程度だった。

 だが夕刻を過ぎる頃には熱が上がり、立ち上がることもできなくなっていた。


「姫様、お休みください」


 女官たちが慌ただしく行き交う。

 賢木は寝台の傍らへ立っていた。


 額には濡れ布。


 頬は赤く染まり、呼吸も浅い。

 こんな姿を見るのは初めてだった。


「賢木様」


 女官から薬湯を渡される。

 賢木は黙って受け取り、姫の身体を支えた。


「……ん」


 熱い。

 肩へ触れた指先から体温が伝わる。


「飲めるか」


 耳元で声を掛けると、姫はうっすら目を開いた。

 焦点の合わない瞳が賢木を探す。


「……にい、さま……?」


「俺だ」


 賢木は薬湯を差し出した。


「少し飲め」


 姫は素直に口を付けてくれて、賢木は少し安堵した。

 その後も賢木は部屋を離れなかった。


 薬を温め直し。

 濡れ布を替え。

 熱を確かめる。

 補佐役として当然のことだと思っていた。


 だが夜が更けた頃だった。


「……や……」


 小さな声が聞こえた。

 賢木は顔を上げる。

 姫が苦しそうに眉を寄せていた。


 熱に浮かされている。

 夢を見ているのかもしれない。


「行かないで……」


 賢木の動きが止まった。

 姫の指先が何かを探すように動く。

 やがて、小さな手が衣の袖を掴んだ。


「ひとり……やだ……」


 賢木は言葉を失った。


 その声はわがままではなかった。

 叱られることを恐れる子供の声でもない。


 もっと深いところから零れたような声だった。


 姫はいつもよく笑う。

 誰に対しても気を遣う。

 期待にも応えようとする。


 だが時折、不思議な顔をすることがあった。


 褒められた時。

 頼った時。

 傍にいると伝えた時。


 どこか信じきれないような表情を向ける。

 今なら分かる気がした。


 この子はずっと不安だったのだ。


 胸の奥が小さく痛んだ。

 こんな感覚は初めてだった。


「……行かない」


 気づけば口にしていた。

 賢木は姫の手をそっと握る。


「ここにいる」


 姫の指先から力が抜け、呼吸も少し穏やかになった。

 その様子を見ながら、賢木は小さく息をつく。


 守らなければと思った。

 補佐役だからではない。

 命じられたからでもない。


 もっと単純な理由だった。


 この子が泣くのは嫌だ。

 不安そうな顔をするのも嫌だ。


 ただ、それだけだった。


「……美琴」


 自然に名前が零れる。

 姫がうっすら目を開いた。


「……にい、さま?」


「大丈夫だ。俺がいる」


 その夜、賢木は一度も姫の手を離さなかった。


 ◇


 数日後。

 今度は賢木が熱を出した。

 姫から風邪をもらったのである。


「兄様!」


 部屋へ飛び込んできた姫は、真っ青な顔で寝台の傍へ駆け寄った。


「ごめんなさい……」


 泣きそうな声だった。

 けれど手は止まらない。


 濡れ布を絞り。

 薬湯を運び。

 何度も熱を確かめる。


「ちゃんと飲める?」


 賢木は手際よく準備された薬湯を見る。

 少し前まで寝込んでいたとは思えないほどだ。


「……美琴」


「なに?」


「案外、看病が上手いな」


 姫は少しだけ照れたように笑った。


「兄様が教えてくれたもの」


 賢木は目を閉じる。

 胸の奥が温かかい。


 姫は再び濡れ布を取り替える。

 その横顔は真剣そのものだった。

 賢木はぼんやりとその姿を見つめる。


 あの日の不安そうな声は、まだ耳に残っている。

 けれど今は違った。


 姫の手は温かい。

 その温もりを感じながら、賢木はそっと目を閉じた。


 窓の外では雪が解け始めていた。

 春は、もう遠くなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ