第10話 春 -花冠の約束-
春の風が吹く野原で、幼い姫は小さな手いっぱいに花を抱えていた。
気づけば、目で追うことが当たり前になっていた。
――春の野原で花を摘む、小さな背中を。
春の野原には、淡い花が一面に咲いていた。
風が草を撫でるたび、白や薄紅の花びらが小さく揺れる。
姫はしゃがみ込み、夢中で花を摘んでいた。
「美琴、何をしてるんだ」
少し離れた場所から声をかける。
賢木は木陰に寝そべり、片腕を頭の後ろへ回して空を見上げていた。
普段なら姿勢を崩すことなどないが、今日は気が緩んでいた。
姫と二人きりだからだろう。
誰の視線もない。
作法も役目も、今だけは遠い。
聞こえるのは風の音と、花を摘む小さな指先の気配だけだった。
「花冠を作っているの」
姫はそう答えながら、細い茎を不器用に編み込んでいく。
だがすぐに形が崩れた。
「あ……」
花がぱらりと膝へ落ちる。
姫はしばらくそれを見つめ、むっと口を結んだ。
「難しいわ……」
「向いてないんじゃないか」
「そんなことありません」
賢木は喉の奥で小さく笑った。
こういう時だけ妙に頑固だ。
諦めれば楽なのに諦めないし、上手くいかないほど意地になる。
姫は再び花を編み始めた。
途中で崩れ。
またやり直し。
少し形になったと思えば別の場所がほどける。
それでも手を止めない。
賢木は黙って見ていた。
手を貸そうと思えばできるが、何も言わない。
姫が自分で考えている時は、待った方が良いと知っていた。
春風が吹く。
草の香りが流れていく。
姫は膝を抱えるように花を集めながら、何度も手を動かしている。
鳥の声。
ゆっくりと流れる雲。
何気ない時間が重なる。
「できた!」
弾んだ声が響く。
姫が立ち上がり、こちらへ駆けてきた。
差し出された花冠は、少し歪だった。
花の向きも揃っていない。
編み込みも甘く、ところどころ隙間がある。
「どうぞ、兄様」
賢木はゆっくり身体を起こす。
「……ありがとな」
その瞬間、姫の表情は春の日差しみたいにぱっと変わる。
春の日差しより眩しいと思った。
風が吹く。
花びらが二人の間を横切った。
姫は嬉しそうに笑っている。
賢木もつられるように口元を緩めた。
空はどこまでも青い。
その光景を、賢木はなぜかずっと覚えていた。
姫と賢木の思い出のお話、いかがでしたでしょうか。
月で過ごした日々の中で、二人は少しずつ信頼を重ねていきました。
次は、姫が視察に行くお話に続きます。
どうぞお付き合いくださいね。




