第九話 みな、変身ポーズにチャレンジする
みなは両手を左右に広げ、脚を肩幅に開くと、足裏で地面を掴んで——大地と一体化するイメージで——立った。
瞬時に『紅き天降り石』が燃えるように発光した。
マンションの外構部分から、みなの足元目掛けて一陣の風が舞った。
まだ闇夜ではないとはいえ、初めて変身した時に比べて周囲は暗い。だからこそ認識できたのだが、体を包む風の二重螺旋はぼんやりと光を帯びていた。
そして、虹色の膜に護られて、みなの姿は変わっていった。あの時と同じように——変身した。
風が去って、みなは思わず「ふう……」と安堵の声を漏らした。再び変身できる保証は無かったのだから。
最初の変身で着ていた普段着が、元に戻ったときにほつれも繊維レベルで完全復元されたことから、この変身システムは可逆的だと確信していた。
だが冷静になって考えてみた。今後、お気に入りのおしゃれコーデや、可愛い下着を身につけていても変身しなくてはならない事態も起こりうるだろう。
特に、下着が分子レベルに分解され、また復元されることには些か躊躇いがあった。たとえ完全な復元精度だとしても、フィット感やレースの繊細さが劣化しないとも限らない。
もちろん非常時は受け入れよう。しかし、今回はテストなのだから——みなはスポーツブラとセットのショーツに、レギンスを身につけてから、その上にキュロットを履き、上半身は雑に扱っても構わないTシャツにパーカーというコーデにした。少々泥臭い。しかしテスト用としては抜かりはない。
ひらり、と回って変身した姿を確認し(戻れ!)と念じた。
すると、逆のシークエンスで、変身は解除された。
レギンスの締め付け感も元通りだ。なかなか経済的で女子に寄り添った変身システム。嬉しい。
「よーし。これで——」準備万端。
みなは思わず、エヘヘッと笑みを浮かべた。
いよいよ考えあぐねた末に編み出した『変身ポーズ』を試す時が来た。
みなは、今度は心の中で(変身!)と叫んだ。
両手の平を胸の中央で重ね、『紅き天降り石』に触れると、腕を広げて片脚を軸にクルッと体を時計回りに回転させた。バレエの回転技で『アンデダン ピルエット』という。そして回り終えたポーズで静止した。
「決まった……カナ?」
靴がスニーカーのため安定が悪く、少しブレたが、今日のところはこれでいい。念じただけでも、やはり変身できた。
家事の傍ら、動画サイトで『【MAD】特撮ヒーロー変身集』と、『【作業用】令和魔法少女ヒロイン変身シーン集』をじっくりと履修した。
その時に気がついたのは、どのキャラクターも……変身バンクが異様に長い……ということだった。
みなが変身にかかる時間は約三秒間で、全身が同時に変わってしまう。魔法少女のように、ブーツが現れ、グローブが装着され、という段階を踏まないので、変身ポーズは短く済ませなくてはならない。
それでも胸をおさえる『ティアハート』の動きも入れ、みならしくバレエの動きも入れてみた。
次に、飛行能力を試した。まずはマンション二階の梁の部分、そこに飛んでいき、タッチしてゆっくり降下した。続けて、三階、四階、五階。おそらくもっと上昇できるのだが、敷地を囲む壁を越える上昇は憚られた。周辺住宅街側から目撃される可能性を皆無にしなければならない。
(変身している間は……)
あのレギンスのフィット感が完全に消失し、まるで何も身につけていないかのような——いや実際に下着すら分解されているので身につけてはいないのだが——
このスーツはどこか心許なくも、シルクのような肌触りの、空気を纏っているような自由さ、それでいて完全に保護されている全能感がある。
次は水平飛行。駐車場のラインに沿って、マンションの奥側まで移動し、急旋回しUターン。そして水泳のキックターンのように、空気を蹴って対向方向へ転進した。スピードスケートの姿勢で低空を滑空、あるいは、スーパーマンのように体を水平にして飛んでもみた。宙返りも試したし、器械体操の平均台の演技も真似てみた。
「やっぱり、そうだ」
推進力はおそらく全身からだが、背中と腰の羽衣(他にいい例えが浮かぶまで便宜上こう呼ぶことにする)が特に、その役割を担っている気がする。
そして体が軽い。これは重力そのものが弱まっているのではないか。
例えば月面での重力は地球上の六分の一。体重六十キロの人が月では十キロ換算になるように。
変身してこの姿になると、重力の影響が減少または相殺されて、体重が軽くなるのではないだろうか。
ということは——地球上のどの内燃機関よりも高効率に、飛行時の推力・揚力を得られるのでは?
ここまで考えて、これ以上は推測できなくなった。まだ実験と検証の段階で、仮説に仮説を重ねる考証に意味が見出せなかったからだ。
(ああ! まだ見ぬ博士! 頼れる博士が私にいてくれたらなあ!)
みなは銀縁メガネに白い髭を蓄えた白衣の紳士の柔和な表情を思い浮かべ、いつか出会えることを願った。
次は聴覚。
「あのとき、ひったくり犯の声がダミーヘッド音源のように聞こえたけど。これは全くわかんないなあ……」
まずは再現。みなは「もう、何でもいいから音が聞こえるように」と願ってみた。
やがて、耳鳴りがし始め、車の排気音、エンジン音、タイヤとアスファルトの摩擦音が聞こえてきた。
すると、その音は波長を変えて、ドップラー効果を伴って消えた。だが感覚的に、それはかなり遠くの音を拾ってきたもののような気がした。すると、今度は別の車の音に切り替わった。これはさっきと音が違う。タイヤの摩擦音にモーター音、ジャズの音楽が聞こえた。
(なんとなくだけど——ここから遠いところにマイクが設置してあって、そこと私の耳が繋がっている——そんな感じ)
(今のは、マイクの前を二台の車が通過した音。一台目は普通の自動車で、二台目はハイブリッドカーかな。それじゃあ、そのマイクの位置を変えてみよう)
目を閉じて、意識を集中した。レーダーのように、闇の中を照らす灯台の明かりのように。感覚を研ぎ澄ませた。
一斉に、音が傾れ込んできた。
犬の鳴き声、テレビの音、誰かが洗い物をする水音、遠くを走る車のエンジン音、子どもが笑う声——全部が同時に流れ込んでくる。
やがてそれは、区別がつかないほどに混ざり合い、ハウリングのように高周波の音になった。
「うっ……」
慌てて聴覚への集中を遮断した。この方法は全方位からの集音になって、判別できないほど混濁してしまう。
しかし、なぜ? どのような原理で聞こえるのだろうか。
視覚、嗅覚は変化がないので、聴覚にも変化はないと仮定する。ならばこれも変身能力の一つだろうか。
音は空気を振動させて伝わる。この変身能力は、風を発生させることから考えても、空気をコントロールしているようだ。その力で糸電話のように、空気を細いパイプ状に変化させて、対象の音源と、私を繋いでいるのではないだろうか。
(だとすれば、パイプを絞ればいい)
指向性を一点に絞れば——。
みなは藤沢駅の方向を選び、一本の線を伸ばすイメージで、意識を向けた。
いつも遠くに見えていた、住宅街へ。
すると、消防車のサイレン音が聞こえた。
「あれ?」
やがて、サイレン音に混じって、子どもの泣き声が聞こえてきた。
かすれて、消え入りそうな小さな泣き声。
みなは泣き声に集中した。確かに聞こえる。なぜ泣いているのだろう。
みなはそっと上昇し、マンションの防音壁から外を覗いた。そして泣き声が発せられている方向を見た。
はるか遠く、公団住宅の、最上階——一室の窓がオレンジ色に揺らめき、黒煙が立ち上っていた。
目を凝らした。見間違いでありますように。だが事態は恐れていた通り危機的な局面だった。
揺れて見えたのは、炎だった。




