第八話 みな、心と体のストレッチ
日曜の朝。飛鳥の夢を見た。
一緒に神社へお参りに行って、帰り道の茶屋でお団子を食べて。
電車で「チンチラが可愛いからお店においでよー」と、動物の話をし始めたと思ったら、急にインディーズバンドのライブに行く、と言って立ち上がって隣の車両に歩いていった。
電車が止まって、乗り降り口のドアが開いた。
近くにいた誰かに、降りないのか、どうするのかと聞かれて、困ってしまった。
飛鳥がいない。なのに降りた。
でも駅にいるって分かってた。
駅にいるから大丈夫、すぐに見つかる筈と思って、駅を探したけど……やっぱりいなかった。
何度も、何度も探したけれど、見つけられなかった——。
「……飛鳥っ!」
みなは目を覚ました。頬を涙が伝った。夢を見ながら泣いていた。
時計をみると、もう九時に近かった。
階下のキッチンから音がする。
一階に降りると、父の健が朝食をテーブルに並べてくれていた。
「おはよう」
「おはよう。ごめん、寝過ぎた」
「いいんじゃない。寝るのは美容にいい」
健は既にワイシャツを着ていた。昭和の刑事ドラマ感のある、タバコを燻らせるのが似合いそうな顔立ち。実際は吸わないのだが。
むしろ健康に気を遣うタイプで、この日も納豆をかき混ぜながら、新聞を読んでいた。
健は神奈川県警特殊犯罪課の捜査官で、土日も不在がちだった。非番の日は不定期で平日にあたるため、学校帰りには一緒に過ごせるとしても、土日は何時に帰ってくるか、あるいは帰れるかどうかもわからない。
だからこうして、日曜の朝に父がいる事実は、みなにとってはかなり珍しいことだった。そして飛鳥の話を直接質問できるのは、奇跡的ですらあった。
みなは、ケトルでお湯を沸かすと、自然な雰囲気を心がけながら——飛鳥の一件を切り出した。
失踪のこと、お母さんが訪ねて来たこと。
健は、新聞から目を離さなかったが、逐次「うん、うん」と相槌を打ちながら聞いてくれた。
みながコーンスープを飲みながらダイニングテーブルに座ると、健は新聞を閉じ、失踪事件のあらましを語ってくれた。
「これから話すことは、内密に頼む」
最近似たような事を誰かに言われたっけ——ああ、佐々木君か。
「一連の失踪事件で、藤沢では現在三人が行方不明になっている。飛鳥ちゃんが三人目。二人は無事に帰って来ていて、うちの女性警官が調書をとった。拉致当時の記憶は鮮明で、黒服の男たちに車に押し込められた後、揮発性の麻酔薬を吸入させられている。その後の記憶は断片的だが、大きな病院の個室に軟禁状態だったそうだ」
みなは、車で連れ去られる飛鳥を頭に思い浮かべた。
「県内全体だと、他に四人戻ってきているが、証言内容はさっきの子達と同じだ」
「じゃあひょっとしたら、飛鳥も同じ奴らにさらわれて……」
「そうかもしれない。現状は現地周辺の監視カメラを部下にチェックさせているところだから、はっきりしたことや、飛鳥ちゃんのお母さんやお前を安心させられるようなことはまだ言えない。でもさらった側からのコンタクトがない以上、他の女の子たちと同じように、例の『神隠し』に遭った可能性は高い、とは考えられる」
「うん」
「それから、重要ではないかもしれんが、女の子たちに共通点がある」
「どんな?」
「みんなスポーツに秀でていて、そこそこ名前が通った選手だった。特待生とか、スカウトが来ていたりとか」
(飛鳥はダンスとバスケをやっていた。何かで賞を取ったりはしていないけれど……)
みなは頷きながら、そのスカウトがグルなのでは? と考えを巡らせた。
「……みな、この話は本当は娘のお前でも言ってはいけない話なんだ。でも少しは気が楽になるんじゃないかと思ってなぁ。絶対に、他の人には秘密でな」
「うん、わかった……ありがとう」
「お父さんはこれから仕事に行くから、留守番頼むな。捜査に進展があることを祈ろう。ちゃんと勉強しとけよ」
「うん、任せといて」
みなは朝食を終えると、髪をシュシュでまとめ、ヨガウェアに着替えて自室でストレッチを始めた。
トップスはゆとりのあるTシャツ、ボトムスはルージュピンクのレギンス。
これは、平日は就寝前に、土日は午前中に、日課として継続している。バレエを習っていたときの名残だ。
以前は、レオタードかジャージでやっていたが、お父さんに頼んでレギンスを買ってもらった。少し大人のおねえさん気分を味わってみたかったのだ。
昨日、三浦を追いかけて走ったことと、変身してもがいたことで、負荷のかかった体を念入りにほぐそうと思ったが、意外なほどにコンディションが良い。
「アニメや特撮だと、変身すると普通の筋力じゃなくなるし、防御力も強くなる。これも、そうなのかも」
調子が良いので、さまざまなアーサナやプランクを試してみた。キツいけれど、ポーズを終えて休むタイミングが気持ちいい。
ある程度やりたいポーズを終えると、瞑想に入った。普通はマインドを落ち着かせるものだが、今日は雑念を払うことをやめ、考え事を始めた。むしろ、ここは全力で考え事をしなければならない局面だ。
昨日は五里霧中の状態で後先考えずに飛鳥を探したけれど、やっぱりあのやり方じゃ無理だ。範囲が狭すぎる。警察で捜査を進めているにしても、発見がいつになるのかわからない。もし神隠しが本当だとして、病室に閉じ込められているとしたら……
「やっぱり助けに行かなきゃ」
みなはタオルで汗を拭くと、机の上に置いてあったペンダントを窓からの日差しにかざして、親友に対するように話しかけた。
「お守りと言われたけれど、あなたはこのためにここに来たの?」
そうだ、あの力。
変身して、空を飛べるだけじゃない。音を聞き分けられるあの能力を使えば——。
使っていなかった大学ノートを取り出して、昨日変身した時のことを思い出しながら、感じていた謎や疑問を箇条書きにした。まずは力の根源と、能力を分析し、自在にコントロールできるようにしなくては——。
疑問点をノートに列挙し終えると、傍に自分の考えを添えた。
■Q1/なぜ変身できたか。
——目下の最大の疑問。でも解明方法が不明。取り付く島もない。
理由はわからないが変身はできる。まず若者らしく形から入ろう。次の変身では綺麗に、美しい姿勢でキメる。
→【変身ポーズの検証。ティアハートを参考に、私らしいポーズを考案】。
■Q2/なぜ飛べるのか。
——変身する理由自体が、飛ぶ能力を得るためかも? とにかく動力を持たない人間が空を自在に飛ぶのはニュートン力学に著しく矛盾している。
■Q3/言い伝えの古文みたいなのはヒント?
——『白き羽衣を授けん、姿は天羽の巫女に似たり』というフレーズ。確かに昨日の私は白い衣装で、オーロラのような羽衣を纏っていた。ということは、あの言い伝えの文は変身できることを語っている?
→【言い伝えの文言と、変身後の姿の類似性。色は巫女衣装に似ている】。
■Q4/おじさんを吹き飛ばした「見えない力」の正体は?
——脚でキックした時、ブーツとおじさんの間に何か目に見えないものがあった。仮にそれを空気の膜と仮定すると、それが脚に先行しておじさんにぶつかり、私の脚にはクッションとして作用し、衝撃が伝わらずに済んだのではないか。
■Q5/なぜおばあちゃんとお母さんは「この事実」を教えてくれなかったのか?
——一番ミステリアスな疑問。二人とも「お守り」と言っていた。二人も、歴代の継承者たちも、変身のことを知らなかったんだろうか。だとしたら、石が私にだけ反応する何かしらの理由があるのか。もし私だけが変身できるなら、変身しちゃいました、とは言わない方がいい。信じてもらえないし、証明するには変身しなくてはならない。恥ずかしすぎる。
→【天羽家の女系に伝わる石。おじいちゃんは神主だから知っているとして、お父さんも知らされているのだろうか?】。
「いまのところ、この五つの疑問点を解くのが先決か——」
みなは掃除、洗濯、宿題、買い出しなどの雑事をこなしながら、日が暮れるのを待った。夜の屋外で、今度は自分の意思で変身し、能力を実験するために。
自宅から自転車で三分ほどの距離に、建設中のまま工事が中断したマンションがある。
四方を囲む防音壁もそのままで、ゲートは厳重に閉鎖されていて、立ち入り禁止となっている。
しかし、二年ほど前に探検と称して同級生と入ったことがある。ゲートの反対側の防音壁に一箇所、子どもが通れるくらいの小さな扉があって、そこであれば人目につかず中へ入ることができた。
午後七時過ぎ。日没時刻を過ぎて、マンション敷地に入ったみなは、しばらく建物の外観を眺めていた。予想していたよりも暗く、不気味で、陰鬱に感じる。
コンクリートの基礎が剥き出しのまま並んでいる。梁はあるが天井はなく、空がそのまま見えていた。今夜は雲が少なく、東の空から星がいくつか瞬き始めていた。
暗いだろうと思って選んだ場所だが、おそらく防犯目的だろう。駐車場には街灯が点いていた。
自分以外は誰もいないようだ。みなは早速実験に取り掛かることにした。
そして、すう、と大きく息を吸い、呼吸を整え、丹田に力をこめて、叫んだ。
「——変身!」




