第六話 倒されたおじさん、ファンになる
倒れたまま動かなくなった三浦を見て、みなは焦った。再び自分の手足を見下ろした。
神様、これは、この格好がやったのであって、私がやったわけではありません、とでも言いたげに。
「これは……強力すぎる」
幸いなことに、その場所には大小さまざまなサイズの廃タイヤが積まれており、吹き飛んだ衝撃がそれで緩和されたと思われた。三浦は涎を垂らして、タイヤに寄りかかって伸びている。
蹴った自分が言うのも妙だけど、この飛ばされ方からするとどこかに怪我をしていてもおかしくない。もしかしたら骨折しているかもしれない。
骨折……ほんとにしていたらどうしよう。法的責任を追及されたらどうしよう。
でも……でも、自業自得だよね……。
みなは恐る恐る屈んで、三浦の呼吸を確認した。胸が上下に動いているし、顔を見てみると、鼻毛も同じリズムで揺れていた。
「ああ、よかったあ〜」
三浦が大丈夫そうなのでとりあえずは安心したが、それよりも問題なのは自分の状況だ。
さっきは体が意識に対して先行して反応した……勝手に。いや、それは言い訳だ。このおじさんが逃げるのを止めなきゃと思った時には既に蹴ってしまっていた。もし仮に超能力を得たのだとしたら、制御できないのはまずい。
「速いし、パワーもありすぎ」
それに、どうしたらいいの。この格好じゃ……
みなは変身した謎よりも変身の解き方を知りたかった。
「元に……早く元に戻りたい」
緊張が解けたことと、心細さが重なり、思わず涙が滲んだ。
でも、ここで泣いても埒が明かない。スクラップ置き場まで戻れば何か分かるかもしれないと思い、みなはバッグを抱えると空に上がった。飛ぶ感覚を掴みはじめて、塀の高さ程度なら怖くはなかった。顔だけひょこっと出してスクラップ置き場にまだ誰も居ないことを確認し、バラック小屋のそばに飛ぶと、バッグを置き、目を閉じて手を合わせて念じた。
(戻れ、戻れ、戻れ)
来た。さっきと同じ風だ。だが変身しているせいか、かなり弱く感じる。
目をあけると、あの半透明の渦が実体化し体を包み始めていた。同じプロセスで元に戻れるのかもしれない。
体を包んでいた衣装が白と赤の光の粒子になって宙へ散ると、胸の『紅き天降り石』に吸い込まれた。長く伸びていた髪が消えて、元の長さと色に戻った。白いブーツも、手袋も、光の粒になって消えていった。
すると、分解されたはずの私服がぼんやりと現れ、徐々に色と輪郭を取り戻すと、一瞬で元に戻った。
みなはそこに立っていた。さっきまで着ていた元通りの私服姿で、スニーカーを履いて。
「……戻った!」
この間、何秒くらいだろうか。実際にはわずか三秒程度の出来事に思える。美しい光の中で、何もない空間から物体が現れる不思議なマジックを見せられたようだ。
私服を確認しても、一度分解されたというのに、繊維の一本も乱れていない。それどころか、お腹の裾にほつれが一箇所あったが、それも再現されている。
待てよ、と気になって、デニムショートパンツのお腹のゴムを伸ばして覗いてみたが、下着も元のままだ。
元の格好に戻ったことで、みなは少し平静を取り戻し、変身から今までのことを思い返した。
「これって、つまり……アレだよね」
みなは、『紅き天降り石』のペンダントを手のひらに載せ、見つめながら、ポツリと呟いた。
「私は……、魔法少女になってしまった」
昨日カフェで飛鳥と交わした会話がフラッシュバックした。魔法少女になれるなら、なりたいと。
しかし、かねてより描いていたイメージと全く違った。
「ああは言ったけれど、何と戦うの? これヒロインムーブだよね……」
みなは瞑目し、【カードマスターソリティア】ソシャゲ版ティアハートの変身シーンを脳内再生した。
本年度ベスト1と謳われた偉大な変身バンク。あんなふうに決めポーズをしたかった。分かっていたらやったのに。ティアハートも初変身ではうまくやったのに。
私は慌てて、なんかわちゃわちゃしていただけだった。空を飛べるのに空中で溺れたし。
さっきは突然変身したが、おじさんを追跡した行動の中で、変身するきっかけがあった筈。それがどれなのか、どこなのかはわからないけれど、『紅き天降り石』が反応したのだと分析した。
「この石で変身できるよ」とは祖母も母も言わなかったし(例え言われても信じるわけがなかった)、科学的根拠は何もないが、漫画やアニメならヒゲを蓄えた偉い博士が出てきてそう説明してくれる。
「あっ、お土産の入ったバックパック、あのまま置いてきちゃったけど大丈夫かな……」
それに、本命のおばあさんのバッグ。魔法少女になったと言っている場合ではなかった。まずはバッグをおばあさんに返そう。
来た道を辿ってバス停に戻ると、おばあさんはベンチに座って、みなの荷物をかかえて待ってくれていた。
さっき通報をお願いしたおばさんも一緒だ。
「あらあ! 取り戻せたの?」
おばさんが目を丸くして叫んだ。
「ええ、色々ありまして。はい、どうぞ。中身を確認してください」
みなは自分のバックパックとおばあさんのバッグを交換し、去ろうとした。
「でもあなた、相手は男だったでしょ。一体どうやって——」
事情を聞かれるのはまずい。いずれ警察が来る。その前に立ち去ろう。
「そこの奥にあるスクラップ置き場まで追いかけたら、おじさんが転んで、気絶しちゃったんです。警察の方に伝えてください。では私は用があるのでこれで——」
二人に会釈して、足早にその場を離れた。
後ろから「ああそう? んじゃ、ありがとねぇ!」という声が飛んできた。
警官によって三浦茂雄は無事に発見されたが、状況が状況だったために、大事をとって病院に運ばれた。
打撲に加え、肋骨に軽微なヒビが入っていたらしい。
ベッドに寝ていると、若い男の看護師が現れて「頭を打たれたようなので念のため脳の検査をしますが、検査室の空きが出るまで横になっていてください」と声をかけてくれた。
脳か。検査で脳が正常だとしても、もう、人生終わりだ。あとはブタ箱行きなんだろうしな。そう考えると、どうでも良くなった。
うとうとしたその時。とても短い夢を見た。
あの空飛ぶ美少女だ。真っ白い空間にふわふわ浮かんでいた。
かわいらしい笑顔で、三浦に向かって、手を伸ばしている。
三浦は夢の中で、美少女に向かって全力で走った。そして何かに躓いて転んだ。
うつ伏せのまま、慌てて顔をあげた。しかし少女は遠く、光に飲まれて消えようとしていた。
「待って! 行かないで!」
全身がビクッと震え、目が覚めた。開いた指は天井に向かって伸びていた。
カーテンの向こうから看護師が声をかけてきた。
「……どうされました?」
「あ、いや大丈夫です……」と三浦はぼんやり天井を見たまま答えた。
「鎮痛薬は眠くなりますからね。ご家族の夢でも見てらしたんでしょう」
「いや……」
三浦は瞼を閉じて、かき消えてしまった彼女の像を脳裏に焼き付けようとした。
「女神だ……」
三浦茂雄は、そう信じて疑わなかった。
その夜、一人の敬虔な信者が生まれたことを、世界中の誰も知らなかった。




