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第五話 スクラップ廃棄場の戦い

 ()は傾きかけていた。積み重なったスクラップから伸びる影の長さもそれを表していた。

 

 みなは小屋の二階付近で空中に静止していたが、毅然(きぜん)と立っていた訳ではなく、無重力下の宇宙飛行士のように斜めに傾いて浮遊していた。たまに犬掻きの様な姿勢にもなった。ゆっくりと漂いながらも安定し始めている感覚を掴むと、そのまま立ってみることにした。


「落ち着け……コントロールだ。まずはコントロールをしなければ」

 

 小学生の頃、バレエシューズからポワントのレッスンに移行した時も最初は立てなかったが、基礎練習と並行する事で筋肉が順応していき、時が経つにつれ、頭で考えなくとも立てるようになっていた。

 

 ここにはバレエスタジオのようなバーはない。だから腕を伸ばして……バランスを取りながら……ゆっくり、焦らずに。

 慎重に、姿勢が美しくなるように意識したら立つことが出来た。脚だけ、のように部位単位ではなく、全身を意識すれば姿勢が自ずとついてくるようだった。心の中で(こう動きたい)とイメージし、念じると、脚を前後左右に動かしても上半身は安定するようになった。


 さっき、半透明の膜が体を包んだ時は、風の唸りの音だけが聞こえたが、今は全くの無音だ。

 

 立ってみると、みなは、急に怖くなった。浮かんでいるのはいつまで? まだ上がる? 急に落ちたりしない?

 

 この高さから落ちては、受け身は意味がない。だがいつ落ちてもいいように、みなは体を丸めた。両腕を交差させて胸の前で組み、膝を曲げた。落下しても最低限、怪我が少なくなる姿勢、それがどんな姿勢かは分からなかったけれど、何となく。

 

 また風が吹いた。高所で風に煽られるのは恐怖だった。遊園地の絶叫マシンで似たような経験をしたっけ、と思った刹那(せつな)、みなは地上すれすれに浮かんでいた。


 まるで泳げない人間が川で溺れて、必死で脚を水底につけようともがいたのに、実は自力で立てる浅瀬だった……そんな感覚だ。恥ずかしくなったが、降りたいと思ったことで、高度が下がったのではないかと考えた。


(上がれ!……)


 そう念じたら、再び浮かび上がった。意のままに体が動く!

 次は、降下した。浮かんで立つのではなく、自分の脚で地面に接地できるかを試した。ヒールが少しめり込んでしまったが、無事に立てた。


 みなは、やっと胸を撫で下ろした。

 改めて、自分の体を確認した。SF映画に出てきそうな、ピッチリとタイトな白いスーツ。腰と、背中がよく見えないが、そこからオーロラとしか言いようのない半透明のふわっとしたマフラー的なものが複数伸びている。

 

 特に不思議なのは、『紅き天降り石』だ。それはもはやペンダントとは言えず、みなの胸の谷間に完全に密着してしまっているようだ。やはり、大きくなっている。

 

 服の形状はバレエで着ていたレオタードに近いが、見たことのない素材だ。そこかしこに赤と金と銀の流麗なラインの装飾があり、関節に相当する部分には『紅き天降り石』と同じ赤い石が光っている。バレエというよりは、フィギュアスケートの衣装のような華麗さだった。


「あ」


 思い出した。おばあさんの荷物をひったくった犯人。あのおじさんを追っていたのだ。

 そう思った瞬間、静けさはかき消え、無音ではなくなった。あらゆる音が一斉に飛び込んできた。それは1つずつ聞こえなくなり、男の荒い息遣いに収束した。ラジオをチューニングし同調した時に似ていた。息遣いはまるで、耳元でささやかれているように聞こえてきた。

 

 これは似た経験がある。ダミーヘッドだ。2つのマイクそのものを人間の頭部の模型に埋め込み、演者がその模型に向かって360度移動しながら話すことで音に立体感を持たせる。ヘッドフォンやイヤフォンで再生するとまるでその場にいるような臨場感を得られる技術だ。みなは以前、ゲームで体感したことがあった。ASMR動画も見たことがある。あれにそっくりだ。ということは——。

 

 息遣いは右前方の、塀の向こう、さらに奥。そこから聞こえる。角度まで認識できる。

 

(位置が……わかった。あのおじさんがどこに居るのか。私にはわかる)

 みなは地面を蹴って飛び立つと、空中で旋回し、音源を目指した。



「まいたかな……。まいたよな……」

 男の名は、三浦茂雄。五十二歳。現在、無職。

 追いかけられてスクラップ廃棄場に逃げ込んだあと、目ざとくトタン塀に隙間を見つけ、外に抜け出した。そこは暗渠(あんきょ)の上を塞ぐコンクリート蓋の通路で、廃タイヤが積まれていた。三浦はその影に身を潜めた。

 

 ほんの出来心だった。もうすぐ、失業保険の期限が切れてしまう。貯金も少ない。別れた元妻に養育費も振り込まなくては。なんとかしなければ、なんとか——。

 追い詰められたその思いが、犯罪と言う行為で現れてしまった。

 

 (こんなこと、しなければよかった。あのおばあさんには悪いことをした)

 

 (しかし、焦ったなあ。あの感じ、年格好(としかっこう)から判断して女子高生くらいだろうか。あんなに本気で追いかけてくる女の子がいるなんて思いもしなかった)

 

 三浦も、ここまでの全力疾走は久しぶりだった。動悸が収まらないし、息も上がっている。

 耳を澄ませて探っていたが、物音はしなかった。もう引き返しただろう。オドオドしながら三浦は中腰で立ち上がり、その場を立ち去ろうとした。


「ちょっと! おじさん!」


「ひぃッ!」


 後ろから声がした。あの女の子の声だ。三浦は息を呑んで振り向いた。だが、女の子と声は同じだが、姿は全く違っていた。

 飛んでいた。白く煌めく衣装を纏った女の子が、後光を放ちながら、自分の背よりも高い位置——空中に浮かんでいた。


「え? え?」

 

 三浦は何度も瞬きをした。目を閉じれば状況が変えられるとでも思っているかのように。だが何も変わらなかった。女子高生らしい女の子……いや、これは、さっきの子ではない。

 この少女は、美しい。なんて美しい(ひと)だろうか!


 まるで天女のような、フワフワした衣装。風になびく長い髪。美しいプロポーション。細い脚。全身のオシャレな赤い宝石。上から、俺を見下ろしている。ああ。その高い位置がいい。俺を見つめてくれ。もっと、ずっと、上から!

 

 ウルウルした青い瞳……なんて悲しそうな目なんだ。

 どうして悲しんでいるんだ、誰だ、この美少女を泣かせる奴は——。

 ——まさか、俺か? 俺なのか?——。

 

 「おばあさんのバッグ、返してください」


 「あ、は、はい」


 三浦は現実かを疑いつつも、美少女のかわいらしい声に魅了されて、なんでも言うことを聞いちゃおう、この子の願いならば——と、ゆっくり目の前の美少女に届くように高々とバッグを掲げた。


 みなは手を差し伸べて受け取りながら、この先どうすればいいのか迷って困り顔になっていた。だが、こう告げるしかない。


「では、警察に自首しましょうね」


(自首しましょうね……自首しましょうね……)それを聞いた三浦の体が反射的に動いた。


(やっぱ逃げよう! ずっと美少女を見ていたいけど捕まりたくない)


 青ざめた顔で三浦は踵を返そうとした。

 その時みなの体が動いた。跳躍し、右脚を軸に回転すると、左脚が一閃(いっせん)して三浦の脇腹に入った。バレエのピルエット(片足を軸に回転する技)のように、鮮やかに。

 

 ——だが、みなには回し蹴りを繰り出す気持ちも、触れた感覚もなかった——後で思い返してみても、みなのキックが三浦の体に触れる寸前、彼は吹き飛んでいた。ブーツの先端が届く前に、見えない力が三浦に炸裂し、圧倒した。


 ああ、なんて……なんて美しいんだ……。

 三浦茂雄は、スローモーションで虚空を飛びながら思った。走馬灯のように今までの出来事が脳裏に浮かぶと思っていたがそうではなかった。

 

 見えたのは暗く霞む視界の中、神々しい光を纏った美少女が羽衣を揺らしながらゆっくりと歩いてくる姿だった。

 やがてそれも暗転し──三浦茂雄は恍惚の表情で意識を失った。

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