第四話 初めての変身
お昼ご飯は神前へのお供え物を兼ねていたので、筍ご飯、鯛の刺身、漬物、菜の花のおひたし、お吸い物。
育ち盛りの高二女子には些か物足りない、と内心がっかりしているところに、「One more thing……」とばかりに祖母がぶっつけ本番で作ったというビーフストロガノフが加わった。
「はい試作第一号」
「いい匂いがしたと思ったけど、正体はこれか」
全くもって伝統のある古社にはそぐわない。
祖母と母は料理雑誌に載っているメニューを、後先考えず、材料が100%揃っていなくとも、作ってしまう癖があった。
しかし、期待せずに食べてみたら予想以上に美味だった。思いつきの産物にしては侮れない。
「これ、持っていきなさい、お父さんの好きなやつだよ」
瓶入りの自家製の漬物と、贈答品と思しき南部煎餅の詰め合わせを渡された。
「じゃあ来週の三者面談、お願い」
「木曜日だったよね。大丈夫」
「おばあちゃん、じゃあねー」
「おう、達者で暮らせよ」
午後一時を過ぎた頃、鳥居の前で退散の挨拶をして、みなは帰途に着いた。
電車の中でスマートフォンをチェックしたが、飛鳥はまだLINEを見ていないのか既読はついていなかった。
いつもなら、五分と経たずに既読がつくし、何かしらのレスがある──なのに。
「珍しいこともあるものだなぁ」
昨日は、江ノ島のイベントに一人で行くと言っていた。誰か別の友達と出掛けていて、夢中になっているのかな。
最寄り駅近くの弁当屋で夕食用の惣菜を買った後、みなは自宅に向かった。古い商店街の道を抜け、高架橋の下にある側道を歩いている時だった。
前方のバス停に、女性が二人──七十代くらいのおばあさんと、五十代くらいのおばさんが立っていた。すると高架下から作業服姿の男が現れ、おばあさんにスッと近づくと、手にぶら下がったバッグを奪い取り、脇目もふらずに走り去って行った。おばあさんは腕を引っ張られ、よろけて膝をついてしまった。
「あ、あ」
おばあさんと一緒に立っていたおばさんが大きな声を張り上げ、何度も叫んだ。
「泥棒! 誰かそいつ捕まえて! ドロボー!」
だが、あいにく男の近くには誰も見当たらない。
みなはおばあさんに駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
おばあさんは気が動転したのか、ひったくり犯が逃げた方向を指差しながら、おろおろしているだけだった。
みなは隣でひとしきり叫び終わったおばさんに向かって、
「これをお願いします。私が捕まえますから! あ、っとそれから警察に電話を!」
そう叫ぶと、バックパックをバス停のベンチに置いて、走り始めた。
目測だが、五十メートル以上は離れているだろうか……すると男は急に左を向いて再び高架下に入った。巨大な橋脚が視界を塞ぎ、姿が見えなくなった。だが、みなは諦めるつもりはなかった。
同じように高架を抜けてみると男はまだ走っていたが、若干距離が縮まったように感じた。
「待ってください!」
みなが叫ぶと、男は振り向いた。追っ手がいるとは思わなかったのか「ワァッ」と叫ぶと、また前を向いて走り続けた。五十歳前後、小太り、身長は百六十センチくらいか。
「追って来ないでーッ」
おかしな叫び声だと思いながらも、みなも走った。脚力には自信があるのだ。
「来ないでーッ」
男は枝道に入った。
枝道の入り口は狭く、地面には古びたタイルが埋め込まれていた。苔や雑草も生えている。普段は人が立ち入らない道の様だ。両脇に塀が建っているが、左右で形と色が異なっていた。私道なのかもと思いつつ、みなは枝道に入り、速度を上げる。
駆け抜けた先に空間が広がった。そこは、トタン製の高い塀で囲まれた工事現場らしき場所だった。地面は全て乾燥しきった土と砂で埋められている。その上に、押しつぶされた自動車が雑然と山のように積まれている。
二階建てのバラック小屋が三棟並んでいるが、どれも古く、外装は錆が浮いてひどく傷んでいる。まるでスラム街だった。名前のわからない重機が幾つも置かれていたが、これもかなり以前に廃棄されたもののようだ。
土曜だから無人なのか、それとも営業しておらず廃墟化しているのか。ここには、追っていた男どころか、人の気配が全く感じられなかった。
「出てきてくださーい!」
叫んではみた。しかし必死に逃げていた犯罪者が、呼ばれたからといって素直に出てくるなんてあり得ない。
「見失った……」
みなは、息を弾ませながら周囲360度を見渡した。捕まえると言ったのに、私は……そう思うと急に疲れが押し寄せてきた。
呼吸を整えるために、中腰になって休んだ。
すると、下から涼しい風が吹きあげてきた。
ああ、気持ちいい。
……でも、何か変だ。
周りは高さ五メートルほどの塀とバラック小屋で囲まれている。スクラップとなった車、タイヤも無秩序に積みあがり、風が入り込む隙間はありそうにない。
みなは視線を落とした。足元では、風が自分を中心に渦を描き、砂塵を巻き上げている。渦は二重になっていた。内側の渦が時計回りなら、外側の渦はその逆だった。やがて綺麗な正円を形取って、渦はみなの体を囲みながら、螺旋状に頭上へと伸びて行った。
それは風ではなかった。半透明なフィルムに畝がついた繊維のようで、シャボン玉のように、虹色に輝いていた。渦の向こうは霧に包まれたように霞み、色褪せ、やがて見えなくなった。
回る渦の内壁に赤い光が映っていた。みなは、その光がどこから来ているかすぐに分かった。
胸だ。首にかけた『紅き天降り石』の赤色だ。石が発光しているのだ。
みなが身に着けていた服と靴が、粒状に分解し、渦に吸い込まれていった。同時に胸のペンダントから白と赤の光が帯状に噴出して、瞬く間に全身を包み込んでいった。光は次第に肌に密着していき、白くきらめく衣装へと姿を変えた。
驚く暇もなかった。みなを覆っていた二重の螺旋の渦は弾けるように広がり、これもまた透明な粒子になって、消えて行った。
みなはその場に立ちすくんだ。
……さっき私、裸になったよね……。
じゃあ、今着てるのは、何。
みなは、恐る恐る見た。
自分の手、胸、腰、そして脚を。
そして気がついた。脚が地面に接していないことを。体が宙に浮かんでいることを。
パニックになった。脚を前後にジタバタ動かしても届かない、と思ったら、急に上昇し、トタン製の塀の高さまで浮かび上がった。
「……高い高い高い!」
空に浮かんでいるのに、みなは海で溺れたかのように無我夢中でもがいた。いつの間にか流されて、バラック小屋に近づいていた。二階のガラスに、自分が映り込んでいるのが分かった。
「あ」
そこに映っていたのは、みなであって、みなではなかった。
白いレオタード状の衣装。膝の上まである白いブーツ。腰と背中から流れるように広がるのは──オーロラのような不定形の光だった。昔話で読んだ天女の羽衣という言葉の方が近いかもしれない。瞳は碧く、髪は紺色に変わり、肩より遥か下に伸びていた。耳の上には赤い、鋭角な髪飾り。
……そして胸の中央には、あの『紅き天降り石』のペンダントが──三倍以上はあろうかというサイズに変形して、煌々と光を放っていた。
「これは──これってどういう──」
ガラスに映った姿は、間違いなく自分だ。
しかし心の中では、何が起きているのかを正確に把握しきれていない。
みなは堪らず「なんでこんな格好なの!?」と叫んでいた。
だが、何度見直しても、間違いない。
「私、変身してる……」
みなは唖然として、しばらく動けなかった。ガラスの中の自分と、見つめ合ったまま。




