●心の聖域
「お前は変わった生徒だよ」
「時代の一歩先を行く者はカリスマとして崇められ、時代の十歩先を行く者は奇人と蔑まれます。しかし、歴史が証明しているように、正しさなんて時代によって異なります」
先生が指導室の窓を開け、ポケットから煙草を取り出し、火をつける。
「教師が生徒の前で煙草なんていいんですか?」
「お前が黙っていれば問題ない。最近は喫煙エリアが減って、苦労しているんだ。それに肺までは吸っていない。ただ、ふかしているだけだ」
口から煙草の煙を吐き出す。
黒のパンツスーツと煙草は良く似合い、煙草を吸う先生の姿は絵になる。
「受動喫煙って、ご存知ですか?」
さらに俺と距離を取り、もう一度大きく息を吸い、煙を吐き出す。
「物事を整理する時、ストレスを一定以上感じた時、私は煙草をふかす。つまり今、私は余計な仕事を任されて、ストレスを感じている」
吸いかけの煙草を乱暴に携帯灰皿に押し込んだ。
「大和……お前は一年にして、生徒会長に就任。校則の緩和改正、地域への奉仕活動に力を尽くした。あいさつ運動、早朝、放課後の清掃活動も自らが率先して、生徒だけではなく、教師、保護者、地域の住民と数多くの人たちから絶大な信頼を得た」
「……昔話ですよ」
「それがある日、奇行じみた校則を提案し、生徒会長をリコールされた」
「奇行とは心外だ。俺はその校則を作るために生徒会長になったんですよ」
「その行動を恥じたことはないのか?」
「誇りに思えど、恥と思ったことは一度たりともありません。俺は自分の信念に従ったまでです。死ぬ時は、例えドブの中でも前のめりに倒れたい」
「確か……スパッツの着用推奨化だったか?」
「他には朝のホームルーム、体育でのスクワットの導入です。最近の女の子は細すぎます。もっとたくさんご飯を食べて、下半身を鍛えるべきです。それとスクール水着をユニタードタイプに変更し、体育の授業を男女一緒にする予定でした。結局は過半数の同意は得られず、リコールされてしまいましたがね」
「本当に変わった奴だな」
「俺は大真面目ですよ!」
「スパッツのどこがそんなにいいんだ? 私には理解できん」
人には誰しも心の中に聖域がある。
どんな温厚な人でも、他人に土足で聖域に足を踏み入れられた日には、烈火のごとく怒るだろう。
こうなると戦争である!
「先生はスパッツのことを知らないからそんなことを言うんだ!」
「大きな声で怒鳴るなよ。二日酔いの頭に響く……」
頭を抱えて、こちらを睨む。
「昔は生徒指導なんて男子教員の仕事だった。それが最近ではセクハラ、男女差別とかで、女教員までやることになった。私にとってはいい迷惑だ」
「心中お察し申し上げます」
「お前が言うな! イタタ……大声を出させるな……このスパッツバカ!」
「理不尽ですよ。お酒を飲み過ぎた先生が悪いんじゃないですか」
「昨日は合コンのはずだった。それなのに急遽、仕事でキャンセル。ヤケ酒くらい許されてもいいだろう!」
ギロリッと、切れ長の鋭い三白眼で睨み付ける。
「そもそも男子生徒は男子教員が面倒を見るべきだ! それをお前が……」
プルプルと先生の握り拳が震えている。
「あんなガッチリしたガタイして、少し口臭がキツイって言ったくらいで、へこむ小林先生も先生ですよ」
「バカ野郎! 小林先生は中学生の娘さんがいるんだ。その年頃の娘を持つ父親ってのは、そんな言葉に敏感で弱いんだよ!」
最初は体育教員の小林先生が俺の指導に当たった。
しかし、口臭を指摘した瞬間、先生は大きな体を震わせて、出て行ってしまったのだ。
「お前、本当に後で一緒に謝りに行くぞ」
「お手数おかけいたします」
「……わざと怒らせているわけじゃないよな?」
「そんなわけないじゃないですか。でも、どうせ怒られるなら、、俺だって中年の男子教員よりも、若い女の先生の方がいいですね」
「…………」
「女性は笑顔が一番ですね。怒るとせっかくの美人が台無しですよ。でも、先生の場合、怒った顔も素敵ですよ」
「ああ……また婚期が遠のく……」
「世の中、見る目がない男ばかりでビックリです。それに、そんなに焦らなくても大丈夫です。先生って確かまだにじゅ……」
「それ以上言うと、どうなるかわかっているな?」
背中に嫌な汗が流れる。
「い、いや~、あれですよ、あれ! 女性はしばしばワインに例えられる。寝かせるほどコクが増し、深みが出ます。それは洗礼された女性の美。とても若いだけの小娘には真似できません!」
「口の減らない生徒だ」
「本当は嬉しい癖に! 先生はもっと表情豊かにした方が可愛いですよ!」
「お前はよほど私の特別講習を受けたいようだな」
「鬼瓦先生の特別講習? なんだかアバンチュールな予感がしますね」
「呆れて怒る気にもならん」
再び頭を抱える。




