第二幕:遊行寺の密約 ―敗者の選んだ守り本尊―、1. アジール(避難所)の誓い
応永3年(1396年)、相模国。
藤沢の地を叩きつける雨は、すべてを洗い流さんとするかのように激しかった。
「……あそこだ。あそこなら、我らを拒まぬはずだ」 泥にまみれた法衣を纏い、得川 有親は息を切らしながら、目の前にそびえる惣門を見上げた 。
背後には、同じくボロボロの姿をした息子の親氏が、震えながら立ち尽くしている 。
二人は、かつて上野国(現在の群馬県)を本拠とした新田義重を祖とする名門・清和源氏の末裔であった 。しかし、足利尊氏以来続く熾烈な権力闘争に敗れ、残党狩りの刃から逃れるために、故郷を捨てて流浪の旅を続けていたのである 。
たどり着いたのは、時宗の総本山・藤澤山「遊行寺」。
そこは、この乱世において世俗の法が及ばぬ「アジール(避難所)」であった 。
門をくぐれば、たとえ罪人であれ敗残兵であれ、仏の慈悲の下で一命を取り留めることができる 。
「何用か」 門を塞ぐように現れた老僧の前に、有親は地に額を擦りつけた。
「……得川有親と申す。足利の追っ手から逃れ、もはや行く当てもございませぬ。どうか、我らに出家をお許しください」
応対したのは、遊行12代・尊観法親王であった 。
後醍醐天皇の孫とも伝えられる高貴な血を引くこの門主は、有親の眼の奥に宿る「絶望」と、それ以上に深い「執念」を見抜いていた 。
「追われる身に、名はいらぬ。有親は『徳阿弥』、親氏は『長阿弥』と名乗るがよい 」
尊観の許しを得て、二人はその場で剃髪した 。
名門武士としての矜持を捨て、名もなき遊行僧として生き延びる道を選んだのである 。
しかし、有親には、僧となる代償として、どうしても手放さねばならぬ「重荷」があった。
数日後、三河国へと向かう密命を受けた有親は、尊観の前に一体の像を差し出した 。
それは、人肌に温められた薄暗い奥殿で、不気味な光沢を放っていた。
とぐろを巻いた蛇の体。その上に乗る、深い皺を刻んだ老人の顔 。
人頭蛇身の異形――宇賀神の像であった 。
「これは、我が家系が代々守り本尊としてきた神でございます 」
有親の声は、雨音に混じって低く響いた。
「我ら得川の血脈は、足利に敗れ、泥を啜って生きてまいりました。……上人様、願わくばこの像を、この遊行寺の聖域に隠し祀らせてください。そして、これに添えたる私の願文を、末代まで神前に掲げてください」
有親が震える手で記した自筆の願文には、僧の慈悲とは対極にある、凄まじい「欲望」が綴られていた 。
『願わくば、蛇の御霊よ。我が子孫、百代の末に至るまで、この世のあらゆる金、衣、食、住、そして田畑の豊饒を与えたまえ。特に、黄金の福徳を一族の血に刻みたれ 』
「徳阿弥よ。この神がもたらす富は、命を育む水であるが、執着すれば己を飲み込む毒ともなるぞ」
尊観の諫めに対し、有親はただ、銀色の光を放つ宇賀神の瞳を見つめ返した。
「構いませぬ。一族が絶えることの屈辱に比べれば、毒など甘露に等しい」
有親の次男・泰親(独阿弥)が三河の土豪、松平家の婿養子となって旅立つ際、この宇賀神像は「宇賀神社」として正式に遊行寺に奉納された 。
後に徳川家康が三河を統一し、天下人へと登り詰める8代前の出来事である 。
有親が願った「子孫繁栄」の誓いは、宇賀神という名の蛇に食い込ませた毒矢のように、数百年の時を超えて徳川の血脈を押し上げ続けた 。そしてその「契約」の証拠は、幕府が公式記録から抹殺した『三河平井記』の中に、現代まで封印され続けてきたのである 。
藤沢の雨は、有親が流した血の涙を覆い隠し、宇賀神の像は遊行寺の地下深く、その暗闇の中で静かに獲物を待ち続けていた。




