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台湾祓清愛哀歌ー祓清の絆  作者: シットライヌ
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第八十九話「電脳の迷い子と大鶏排の熱」

第八十九話「電脳の迷い子と大鶏排の熱」

1.和音の着信と電脳の祭典

湿気を帯びた生ぬるい風が、台北の古いレンガ造りの街並みを撫でる朝。双霊相談事務所の土間には、今日も佐藤蓮の深く静かな呼気が響いていた。 「フッ……ハッ!」 踏み込みの鋭い音が、年季の入った床板を小さく震わせる。道士としての気脈を整え、日々の体調を管理するための八極拳の套路(型)である。実戦で使うことはないが、この反復練習こそが、いざという時に帰真剣を振るう強靭な肉体と精神の土台となっていた。 タオルで首筋の汗を拭いながら一息ついた蓮の耳に、デスクの方からピコピコという電子音が届いた。李美鈴の持つ折りたたみ式携帯電話の、単調な十六和音の着メロだ。

「はい、双霊相談事務所です。……黄さん? ええ、今日は台北世界貿易センターのゲームショウに行っているんですよね」

分厚いスケルトンカラーのiMacのモニターから顔を上げ、美鈴が受話器を耳に当てる。電話の主は、フリー記者の黄(ホァン)だった。

「……なるほど。特定の新作オンラインゲームのブース周辺で、来場者やコンパニオンが次々と悪寒やめまいを訴えて倒れている、と。機材の不調じゃないんですね? わかりました、すぐに向かいます」

美鈴がパタンと携帯を閉じ、蓮に視線を向ける。

「先輩、出番です。ゲームショウの会場で、大規模な霊障の疑いがあります」

「人が密集するイベント会場か。被害が拡大する前に手を打たないとな」

蓮は帰真剣を背負い、二人は黒のカローラ・アルティスに乗り込んで信義(シンイー)区の会場へと急行した。

2.熱狂の裏側に潜む冷気

二〇〇〇年代初頭の台北ゲームショウは、まさに熱気と混沌の坩堝だった。 会場内には巨大なブラウン管モニターが壁のように積み上げられ、無骨なタワー型パソコンと複雑に絡み合うLANケーブルが床を這っている。各ブースからは大音量のゲームミュージックが鳴り響き、紙のパンフレットを配るコンパニオンと、コントローラーを握りしめる若者たちの熱気でむせ返るようだった。

「こっちよ、二人とも!」 人混みを掻き分けて現れた黄が、首から提げた一眼レフカメラを揺らしながら手招きをした。

「あそこの『幻境伝記Online』っていう新作MMORPGの試遊ブースなんだけど、近づくだけで冷蔵庫みたいに寒いの。さっきもプレイヤーが急にバタッと倒れて、救護室に運ばれたわ」

蓮が黄の指差す方向へ目を向けると、そこだけがぽっかりと人が寄り付かず、異常な静寂に包まれていた。霊感がほとんどない蓮の目には何も視えないが、肌を刺すような凍てつく「陰の気」ははっきりと感じ取れる。

「……かなり強い未練だ。後輩さん、頼む」

「はい」

美鈴が静かに目を閉じ、自身の見鬼の力を研ぎ澄ませた。彼女の足元の影から、分霊の黒犬・シャドウが這い出し、ブースのメインモニターに向かって低く唸り声を上げる。 美鈴の視界に、現実の景色とは異なる半透明の青白い姿が浮かび上がった。

「……見えます。度の強い眼鏡をかけた、若い男性の霊です」

美鈴の表情が痛ましそうに歪む。

「ボロボロの服を着て、虚空に向かって必死に見えないキーボードを叩き続けています。おそらく、このゲームの開発スタッフの一人。マスターアップ(完成)の直前に、過労で命を落としてしまったプログラマーの魂です」

「自分が死んだことにも気づかず、まだバグ取りを続けているのか」 「ええ。彼には一切の悪意はありません。ただ、『このゲームを完成させて、みんなに遊んでほしい』という強すぎる執念が霊障となり、周囲の生者から体温と気力を無意識に奪ってしまっているんです」

3.電脳の結界と、繋がる世界

「誰かを傷つけたいわけじゃないなら、なおさら早く安心させてやらなきゃな。これ以上ここにいれば、彼の魂そのものがすり減ってしまう」 蓮は一切の躊躇なく、懐から数枚の符を取り出した。ターゲットの位置さえ分かれば、あとは彼の独壇場だ。

「先輩、メインモニターの正面、半径三メートルの範囲です!」

「了解だ!」

蓮が鋭い踏み込みと共に符を投げ放つ。 「道法無辺、急々如律令!」

四方に散った符が空中でピタリと静止し、淡い光の結界を展開した。ブースから漏れ出していた致死量の冷気が完全に遮断され、周囲の気温がスッと元に戻る。遠巻きに見ていた来場者たちが「あれ、急に寒くなくなったぞ」と不思議そうに顔を見合わせた。

結界の中に閉じ込められたプログラマーの霊は、キーボードを叩く手を止め、戸惑ったように周囲を見回した。そこへ、美鈴が一歩足を踏み入れる。 彼女の指先から、ケルトの魔術による温かく優しい緑色の光の粒がこぼれ落ち、青年の霊を包み込んだ。

「もう、あなたがバグを探す必要はありませんよ」

美鈴は、ブラウン管モニターで実際にゲームを楽しそうにプレイしているデモ映像を指差した。

「ほら、見てください。あなたの作った世界に、今日、こんなにもたくさんの人が集まっています。みんな、笑顔で遊んでいますよ。あなたの仕事は、もう立派に完結しているんです」

青年の霊が、信じられないというようにモニターを見つめた。画面の中では、彼が命を削って組み上げたキャラクターたちが、美しく広大なファンタジー世界を生き生きと駆け回っている。 青年の瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。彼は深く、深く頷くと、憑き物が落ちたように穏やかな微笑みを浮かべた。

「今です、先輩」

「ああ。見事な仕事だったぞ、後輩さん」

蓮は背に負っていた帰真剣を静かに引き抜き、結界の中心――青年の魂へと真っ直ぐに刃を向けた。

「帰真(グイジェン)――本来の姿へ還れ」

浄化の真言と共に放たれた清浄な波紋が、青年の霊を貫く。彼は最後に、美鈴と蓮に向かって深々と一礼すると、モニターから溢れる光の粒子に溶け込むようにして、天へと昇っていった。 直後、ノイズが走っていたモニターの映像が、本来の鮮やかな色彩を取り戻した。

4.夜市に咲く笑顔と大鶏排(ダージーパイ)

「いやぁ、お見事! さすが双霊相談事務所ね。おかげで『幽霊も遊びたくなる新作ゲーム!』っていう最高の記事が書けそうよ!」 事件が無事に解決し、再び熱気を取り戻した会場の外で、黄が一眼レフのフィルムを巻き上げながら上機嫌に笑った。

「もう、黄さんは相変わらずですね。私たちは別に宣伝のために祓清をしたわけじゃ……」

美鈴が苦笑しながら言いかけたその時、彼女のお腹から「きゅるるるるぅ……」と、周囲の喧騒を切り裂くような盛大な音が鳴り響いた。 美鈴は耳まで真っ赤にして、慌ててお腹を押さえる。

「ははっ!」 蓮が吹き出した。

「人の未練を解きほぐすのは、気力を使うからな。後輩さんの腹時計が鳴ったなら、今日の仕事は本当におしまいだ。黄さんも一緒にどうだ? 帰りに士林(シーリン)夜市に寄ろう。今日は俺の奢りだ」

「やったぁ! 蓮くん太っ腹!」

数十分後、夜の帳が下りた士林夜市。無数の赤い提灯が灯る人混みの中を、三人は満面の笑みで歩いていた。 彼らの手には、顔の大きさほどもある巨大なフライドチキン「大鶏排(ダージーパイ)」が握られている。紙袋から顔を出すカリカリに揚がった鶏肉からは、五香粉(ウーシャンフェン)の甘くスパイシーな香りと熱々の肉汁が溢れ出していた。

「はふっ、熱っ! でもこのスパイスの香り、たまりません!」

美鈴が大きな口を開けて大鶏排にかぶりつき、極太のストローで冷たい珍珠奶茶(タピオカミルクティー)を勢いよく吸い込む。足元では、シャドウが衣のついていない鶏肉の端っこをもらって、千切れんばかりに尻尾を振っていた。

「うん、激務の後の揚げ物は格別だな」

蓮も額に汗を滲ませながら、満足げに笑う。 最先端の電脳空間で彷徨っていた魂を無事に空へと送り届け、彼らの夜は、昔から変わらない台湾の熱気と美味しい匂いの中へと、心地よく溶けていった。


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