↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
台湾祓清愛哀歌ー祓清の絆  作者: シットライヌ
PR
86/107

第八十四話「夜空に咲く華と迷子の涙」

台湾祓清愛哀歌:第八十四話「夜空に咲く華と迷子の涙」

1.夏の気配と突然の依頼

湿度を含んだ熱風が、台北の街をじっとりと包み込む季節。 双霊相談事務所の朝は、変わらず佐藤蓮の静かな呼気から始まっていた。

「フッ……シッ!」 土間で八極拳の套路(型)を打つ蓮の動きは、あくまで道士としての体調管理と気を練るための日課である。じわりと滲む汗をタオルで拭いながら、彼は扇風機の風を浴びて息を整えた。

「先輩、お疲れ様です。今日は一段と暑いですね」

事務所のデスクでは、李美鈴がiMacの分厚いブラウン管モニターに向かい、ホームページのアクセス解析を行っていた。横では黒犬のシャドウが、冷たい床にお腹をくっつけて涼んでいる。

その時、デスクの上の黒電話がジリリリ!とけたたましく鳴った。

「はい、双霊相談事務所です」 美鈴が受話器を取ると、電話の主は市役所の林担当員だった。

「……はい。ええ、淡水河(タンスイホー)の河川敷ですね。……わかりました、すぐに向かいます」 受話器を置いた美鈴の表情が引き締まる。

「先輩、林さんからです。今夜開催される淡水河の花火大会の会場で、準備中のスタッフや場所取りの客が次々と『寒気』と『パニック症状』を訴えて倒れているそうです。霊障の疑いが強いとのこと」

「花火大会の会場か。人が密集する前に片付けないといけないな」

蓮は帰真剣を背負い、車の鍵を手に取った。

2.人混みと紙の地図

黒のカローラ・アルティスを会場から少し離れた路地裏に停め、二人は河川敷へと急いだ。 すでに浴衣姿の若者や家族連れ、屋台の並ぶ道は大変な熱気と喧騒に包まれている。

「後輩さん、現場の正確な位置は?」 蓮の問いに、美鈴はポケットから折り畳まれた紙の市街図を取り出し、赤いペンで印がつけられた場所を指差した。

「第3エリアの観覧席付近です。……この先ですね。急ぎましょう!」

屋台のいい匂いと人々の笑い声を抜け、指定のエリアに近づくにつれ、蓮も肌を刺すような異常な冷気を感じ取った。真夏だというのに、そこだけがまるで冬のように凍てついている。

3.怯える魂

「……いました。あそこです」 美鈴が立ち止まり、視線を川岸の暗がりへと向けた。シャドウも低く唸りながら、見えない何かに向かって警戒の姿勢をとる。

蓮の目には何も見えないが、美鈴の表情から事態の悲痛さが伝わってきた。

「どんな霊だ?」

「……小さな男の子です。ずっと耳を塞いで、震えて泣いています」

美鈴は痛ましそうに目を細めた。

「彼の周囲には『恐怖』と『孤独』の念が渦巻いています。おそらく、過去の時代……空襲か何かの大きな爆音で家族とはぐれ、そのまま命を落とした魂。花火の打ち上げテストの音を、恐ろしい爆撃の音だと勘違いして怯えているんです。それが霊障となって、周囲の生者に伝播しています」

「なるほど。誰かを恨んでいるわけじゃないんだな。なら、早く安心させてやらなきゃいけない」

4.優しい光への導き

「先輩、彼の周囲5メートルの空間を封じてください!」

「了解だ!」

蓮は懐から数枚の符を取り出し、美鈴の指示する空間へ向けて正確に投げ放った。

「道法無辺、急々如律令!」

符が宙で静止し、淡い光を放ちながら見えない壁(結界)を構築する。霊の放つ冷気とパニックの波長が遮断され、周囲にいた人々が「あれ、急に寒気が治まった」と不思議そうに顔を見合わせた。

結界の中に閉じ込められた男の子の霊は、行き場を失いさらに怯えを強くする。 そこで美鈴が一歩前に出た。彼女はケルトの古い言葉を紡ぎ、指先から蛍のような温かい緑色の光の粒を無数に生み出した。

「怖がらないで。これはあなたを傷つける音じゃないの。夜空を彩る、綺麗なお花の音よ」 美鈴の優しい声と魔術の光が、男の子の恐怖をゆっくりと解きほぐしていく。耳を塞いでいた男の子の霊が、恐る恐る顔を上げたその時だった。

ヒュルルルル……ドンッ!!

本番を告げる第一弾の花火が、夜空に高らかに打ち上がり、大輪の華を咲かせた。 色鮮やかな光が川面を照らし出す。男の子の霊は、夜空に咲く巨大な光の花に釘付けになり、やがてその顔に無邪気な笑顔を浮かべた。

「今だ、先輩」

「ああ」

蓮は静かに帰真剣を引き抜き、結界の中心――男の子の魂に向けて、真っ直ぐに剣先を向けた。それは刃を向ける行為ではなく、迷子になった彼の手を引くための道標だ。

「帰真(グイジェン)――本来の姿へ還れ」

浄化の真言と共に放たれた清浄な波紋が、男の子を包み込む。 花火の光に照らされながら、男の子は美鈴に向かって小さく手を振り、無数の光の粒子となって夏の夜空へと溶けていった。

5.夜空を見上げて

「終わったな」 蓮が剣を鞘に納めると、空では次々と色とりどりの花火が打ち上がり、歓声が河川敷を包み込んだ。

「はい。彼、最後はちゃんと『綺麗なもの』を見ることができてよかったです」

美鈴はホッと息をつき、足元のシャドウを撫でた。

「しかし、これだけ人が多いと公衆電話を見つけるのも一苦労だな。林さんへの報告は、少し落ち着いてからにするか」

蓮が苦笑いしながら周囲を見渡すと、美鈴がパッと顔を輝かせた。

「じゃあ先輩、せっかく花火大会に来たんですから、少し屋台を回っていきましょうよ! 私、大腸包小腸(もち米の腸詰と台湾ソーセージ)と、かき氷が食べたいです!」

「さっきまでしんみりしてたのに、相変わらず切り替えが早いな。まあいい、今日は俺の奢りだ」

ドーン、と腹に響く花火の音を背に受けながら、二人は賑わう夜市の光の中へと歩き出す。 幽霊と生者の世界が交差するこの街で、彼らが守りたかった平穏な夏の夜が、そこには確かに広がっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。