第八十話「林檎の結界と電脳の幽鬼」
台湾祓清愛哀歌 第八十話「林檎の結界と電脳の幽鬼」
1.内湖の怪現象
台北のシリコンバレーとも呼ばれる内湖科技園区。その一角にある新興IT企業のサーバールームに、異様な冷気が立ち込めていた。
「フッ、ハッ!」 双霊相談事務所の朝。佐藤蓮がいつものように八極拳の套路(型)で心身の気を練り上げている傍らで、李美鈴は愛機である真っ白な半球体のベースから可動式アームで液晶が伸びる、通称「大福」こと『iMac G4』の前に陣取り、猛烈な勢いでキーボードを叩いていた。
「先輩、今朝の依頼は物理的な現場じゃありません。サイバー空間です」
美鈴が翠色の瞳をディスプレイに反射させながら言う。
「サイバー空間の霊障だと?」 蓮は汗を拭い、怪訝そうな顔をした。
「はい。内湖のIT企業からSOSです。昨夜からサーバーが謎のハッキングを受けているんですが、アクセス元が『存在しないIPアドレス』なんです。しかも、ハッキングされるとモニターから血の涙を流す女の顔が浮かび上がり、サーバーラックが物理的に凍りつくそうで……」
「なるほど。『門』の開いたこの世界では、インターネットという巨大な情報の海も、霊たちにとっては新しい居場所になり得るというわけか」
蓮は帰真剣を手に取った。
「行くぞ。だが、俺の剣でパソコンを叩き割るわけにはいかないだろう?」
「ええ、今回は私のiMacとケルト魔術の出番です! 先輩は最後の『物理的な仕上げ』をお願いしますね」
2.ゴースト・ハッカーとの攻防
カローラ・アルティスに美鈴のiMac一式を積み込み、二人は内湖のサーバールームへと到着した。 部屋は冷凍庫のように冷え切り、何台ものモニターにノイズ混じりの「怨」という真っ赤な文字が乱舞している。
「ひどい陰の気だ。……美鈴、やれるか?」
蓮が警戒する中、美鈴は手際よく自分のiMacをオフィスのローカルネットワークに物理接続した。
「ケルトの魔術は、自然界の『結びつき』や『網目』を操るのが得意なんです。電子の海も、魔力の流れに置き換えれば同じこと。……シャドウ、ファイヤーウォールを展開!」
美鈴の足元から這い出した黒犬・シャドウが、唸り声を上げてiMacのケーブルに噛みつくような仕草をした。その瞬間、シャドウの姿がスッと消え、iMacの画面上に「黒い犬のアイコン」となって現れた。分霊を直接ネットワークのデータ層にダイブさせたのだ。
『……ジャマ、スルナ……オレノ……プログラム……』
突然、iMacのスピーカーから、機械音声のような不気味な声が響いた。 画面が霜で覆われ始め、カーソルが美鈴の操作を無視して勝手に動き出す。90年代のITバブル崩壊時に過労死し、ネットの海を彷徨っていたプログラマーの怨念――ゴースト・ハッカーだ。
「させません! シャドウ、敵のパケット(念の塊)に噛みついて!」
美鈴の指先が、キーボードの上で残像を残すほどの速度で踊る。彼女が打ち込んでいるのはただのコードではない。ケルトのルーン文字と現代のプログラミング言語を融合させた、独自の「電子呪符」だ。 画面の中で、黒犬のアイコンが赤いバグの塊を次々と食い破っていく。
3.林檎の結界
『アアアァァァ……! ネットハ、オレノ、セカイダ!!』
激昂したゴースト・ハッカーが、内湖のサーバーから美鈴のiMacへと直接的な念の逆流攻撃を仕掛けてきた。iMacの真っ白なボディから、ミシミシと嫌な音が鳴り始める。
「先輩、奴が私のiMacを乗っ取ろうとしています!」
「物理的な干渉が始まったな。どうする気だ?」
蓮が符を手に、いつでも動けるよう身構える。
「あえて乗っ取らせて、一つの箱に『隔離』します!」
美鈴はUSBポートに、持参した大容量のポータブルハードディスク(HDD)を接続した。 「ルーン・プロテクト、解除! 敵のアクセスを許可……ただし、経路はこのHDDのみに限定!」
『……モラッタ!!』
ゴースト・ハッカーの巨大な念が、美鈴のiMacを通り抜け、一直線にポータブルHDDへと流れ込んでいく。 通信ランプが異常な速度で点滅し、HDDの金属ケースが極寒の氷に覆われ、ガタガタと激しく震え出した。
「今です、先輩! 奴の『核』がこのHDDに固定されました! ネットの海から切り離した今なら、物理で叩けます!」
美鈴がEnterキーをターンッ!と強く叩き、ネットワークを物理的に切断する。
4.デリートと夜市の香り
「よくやった、後輩さん!」
蓮は間髪入れず、手にした三枚の符を暴れるHDDの周囲に貼り付けた。
「道法無辺、急々如律令!」
バチィッ!という強烈な音と共に結界が展開し、HDDから噴き出そうとしていた黒い霧を完全に封じ込める。
「最新のテクノロジーも悪くないが、最後は昔ながらのやり方で終わらせる」
蓮は背中から帰真剣を静かに抜き放った。 狙うのは、高価なパソコン機材ではなく、HDDの中に凝縮された「怨念の核」のみ。
「帰真――本来の姿へ還れ」
寸分の狂いもない鋭い一閃が、HDDの数ミリ上空を薙いだ。
直後、HDDから『ピィィィ……』というエラー音に似た断末魔が響き、黒い霧が一瞬にして浄化の光の粒子となってサーバールームの空調へと吸い込まれていった。 モニターを埋め尽くしていた「怨」の文字が消え、正常なデスクトップ画面が戻ってくる。
「ふぅ……アンインストール完了、ですね」
美鈴がiMacの画面からシャドウを実体化させ、愛機の白いボディをよしよしと撫でた。
「お前のそのパソコン、なかなかいい度胸してるな」
蓮が帰真剣を布で包みながら、少しだけ感心したように言った。
「ふふん、伊達に毎日私と徹夜でネットサーフィンしてませんからね! ……あー、でも頭をフル回転させたら、甘いものが食べたくなりました」
美鈴の翠色の瞳が、蓮のほうをチラリと見る。
「……分かってる。内湖の近くの饒河街夜市で、胡椒餅とタピオカミルクティーだな」
蓮はやれやれとため息をついた。
「わぁい! あ、でも今日は大活躍した私のiMacちゃんにもご褒美が必要だと思うんです! というわけで、帰りに光華商場(パソコン街)で新しいメモリを買ってもいいですか? もちろん経費で!」
「……後輩さん、霊の怨念より物欲のほうがよっぽど怖くないか?」
サイバー空間の平和を取り戻したサーバールームに、蓮の呆れ声と美鈴の明るい笑い声が響く。デジタルとオカルトが交差する台湾の夜は、今日も香ばしい胡椒餅の匂いと共に更けていくのだった。




