第七十三話「炭鉱町の幻猫げんびょう」
台湾祓清愛哀歌
第七十四話「炭鉱町の幻猫げんびょう」
1.猫の消えた村
「……というわけで、村から猫が消えました」
「それは由々しき事態だな」
双霊シュアンリン相談事務所のデスクで、佐藤蓮は真面目な顔で頷いた。
iMacの画面には、台北郊外にある猴硐ホウトンからの依頼メールが表示されている。かつては炭鉱の町として栄え、現在は多くの野良猫が住民と共生する「猫の村」として知られ始めている場所だ。
「消えたといっても、どこかへ行ってしまったわけじゃないんです」
李美鈴がキーボードを叩きながら説明を続ける。
「村のあちこちに隠れて、怯えて出てこないそうです。それと同時に、夜な夜な『巨大な猫の影』が現れ、遭遇した住民や観光客に引っ掻かれたような原因不明の熱と痛みを引き起こしていると。……典型的な霊障ですね」
「猫を愛する人々にとっては見過ごせない事件だな。後輩さん、準備をしてくれ」
蓮が帰真剣グイジェンジエンを布に包みながら立ち上がる。
美鈴の足元から這い出した分霊の黒犬・シャドウも、これから向かう「猫の縄張り」を察してか、少しだけ鼻を鳴らした。
2.黒犬と怯える猫たち
黒のカローラ・アルティスで基隆河沿いの山道を抜け、二人は猴硐に到着した。
かつての運炭橋や古い駅舎が残るノスタルジックな風景が広がっているが、本来なら日向ぼっこをしているはずの猫たちの姿が全く見当たらない。
「静かですね……。それに、山の方からかなり古い『念』が流れてきています」
美鈴がケルトの魔術回路を開き、翠色の瞳で村を見渡す。
すると、シャドウが駅舎のベンチの下に向かって、小さく「クゥン」と鳴いた。
「先輩、あそこです」
美鈴が指差す先、ベンチの陰や古い木箱の隙間から、何匹もの本物の猫たちが不安げな瞳でこちらを覗き込んでいた。彼らは犬の姿をしたシャドウを怖がるどころか、霊的な存在であるシャドウの放つ清浄な気に引き寄せられるように、すり寄ってくる。
「どうやら、普通の動物の直感でも『ヤバいもの』が村を徘徊していると理解しているらしいな」
蓮がしゃがみ込み、一匹の三毛猫の頭をそっと撫でた。
「念の出処は分かりますか、後輩さん」
「はい。この先の山道……古い炭鉱のトンネルの奥からです」
3.坑道の集合霊
閉鎖された炭鉱の坑道口。ひんやりとした空気が流れ出すその場所は、霊界への「門」の影響で陰の気が吹き溜まるスポットと化していた。
二人が奥へ進むと、暗闇の中から巨大な二つの青い眼光が浮かび上がった。
『ニャアアァァァッ!』
空気を震わせる歪な咆哮。それは一匹の猫の声ではない。
美鈴の視界には、かつて炭鉱が栄えていた時代、ネズミ捕りとして重宝されながらも、閉山と共に取り残され、この地で命を落とした無数の猫たちの念が視えていた。彼らの「人間への未練」と「孤独の悲しみ」が寄り集まり、巨大な化け猫の姿をとって実体化していたのだ。
「現代の平和な猫たちを妬んでいるわけじゃない。寂しくて、パニックになっているだけです!」
美鈴の叫びと同時に、巨大な猫の影が鋭い爪を振り下ろしてきた。
「シャドウ、引きつけろ!」
シャドウが闇の中を駆け抜け、猫の影の気を逸らす。霊感の弱い蓮には巨大な猫の輪郭がぼやけてしか視えないが、霊体が放つ圧倒的な冷気と、シャドウの動く気配で距離と位置を測る。
「道法無辺、急々如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」
蓮は懐から三枚の符を引き抜き、坑道の壁と天井に向けて放った。
道教の言霊が暗闇の中でバチッ!と弾け、強力な結界が展開される。巨大な猫の影は結界の内側に閉じ込められ、それ以上の身動きが取れなくなった。
『ミャオォォ……』
拘束されたことで、攻撃的な咆哮が悲しげな鳴き声へと変わる。
「先輩、核は喉元です! 無数の霊がそこで絡み合ってます!」
「了解した。……お前たちの役目は、もうとっくに終わっている。今はゆっくり眠れ」
蓮は帰真剣を静かに引き抜いた。霊の動きを封じた結界の中へ踏み込み、美鈴が示した喉元の位置へ向けて、下からすくい上げるように剣を振るう。
「帰真グイジェン――本来の姿へ還れ」
浄化の真言と共に放たれた剣閃が、巨大な影の核を正確に貫いた。
剣から波紋のように広がった光が、絡み合っていた無数の猫たちの念を優しく解きほぐしていく。黒い霧はふわりと輝く光の粒子に変わり、炭鉱の天井を抜けて、あるべき場所へと還っていった。
4.猫と犬の平和な午後
坑道から外に出ると、どんよりとしていた村の空気がすっかり晴れ渡っていた。
霊障の気配が消え去ったことを察知したのか、村のあちこちから猫たちが出てきて、いつものように日向ぼっこを始めている。
「ふふっ、良かった。みんなすっかり安心したみたいですね」
駅前の広場で、美鈴は数匹の猫に囲まれながら嬉しそうに微笑んでいた。シャドウも猫たちに鼻を押し付けられ、タジタジになりながら尻尾を振っている。
蓮は少し離れた場所から、その平和な光景を眺めていた。
「……先輩は、撫でないんですか?」
猫を一匹抱き上げた美鈴が、首を傾げて尋ねる。
「俺はいい。こういうのは、お前やシャドウの方が向いている」
蓮はそう言って、ズボンの裾にすり寄ってきた茶トラの猫を、そっと足先で避けた。
「あ、さては先輩、犬派ですか? それとも猫アレルギー?」
「ただ不器用なだけだ。……さあ、仕事は終わったぞ。帰る前に、瑞芳ルイファンの駅前で美食街にでも寄るか」
「あ! 胡椒餅フージャオビンと、芋圓(タロイモ団子)のかき氷が食べたいです!」
「また甘いものか……。まあ、今回は特別だ」
村の猫たちに見送られながら、黒のカローラ・アルティスはゆっくりと猴硐を後にする。
助手席でご当地グルメの検索に夢中になる美鈴と、呆れながらもハンドルを握る蓮。彼らの帰路には、いつもの穏やかな日常が待っていた。




