第六十九話「呪いのメールと電脳の迷子」
台湾祓清愛哀歌 第六十九話「呪いのメールと電脳の迷子」
1.受信トレイの怪異
「先輩、ちょっと画面を見てください。台北の学生たちの間で、妙な噂が広まってるんです」
双霊相談事務所のデスクで、李美鈴がiMacのブラウン管モニターを指さした。画面には、台北のローカルなネット掲示板の書き込みと、転送されてきた一通のメールが表示されている。
『このメールを3日以内に5人に転送しないと、今夜あなたの枕元に血塗れの女が立ちます』
佐藤蓮は、淹れたての烏龍茶が入った茶器を手に取りながら、呆れたようにため息をついた。
「20世紀の遺物、『不幸の手紙』の電子メール版か。どうせただのイタズラだろう?」
「それが、違うんです」美鈴の翠色の瞳が、真剣な光を帯びた。
「このメールを開いた人たちが、実際に不眠症や軽い幻聴を訴えています。文面の裏に、微弱ですが本物の『呪詛』の痕跡が編み込まれているんです。……ケルトの魔術回路で解析した結果、これは人工的に作られた霊障です」
「人工的な呪詛……」蓮の表情が引き締まる。
「インターネットを使って呪詛をばら撒く連中といえば、心当たりは一つしかないな」
「はい。あのネット引きこもりの呪詛の天才・張志豪と、その姉の麗華……『枢栄会』の仕業かもしれません」
蓮は傍らに立てかけていた愛剣『帰真剣』を手に取った。
「あの小悪党どもめ、ついに不特定多数へのテロ行為に手を出したか。大方、呪いを解くための『お守り』を高額で売りつけるマッチポンプだろう。後輩さん、発信元は特定できるか?」
「任せてください! 魔術とIPアドレスの逆探知を組み合わせます」
美鈴の足元から、分霊の黒犬・シャドウが「ワン!」と頼もしげに吠えた。
2.光華商場の電脳空間
黒のトヨタ・カローラ・アルティスが向かったのは、台北の秋葉原とも呼ばれる電子街「光華商場」の裏手にある、古びた雑居ビルだった。
「このビルの地下にある、レンタルサーバー室のルーターが呪いの発信源です」 薄暗い地下の廊下を進みながら、美鈴がノートパソコンの画面を確認する。霊感の弱い蓮には視えないが、美鈴とシャドウには、重い鉄扉の隙間から漏れ出すどす黒い冷気がはっきりと視認できていた。
「よし、開けるぞ」 蓮が錆びついた扉を押し開けると、中は無数のサーバーラックが立ち並び、冷却ファンの無機質な音が鳴り響いていた。しかし、その空間は完全に「陰」の気で満たされていた。
『ヘンシンガ……コナイ……』 『ダレカ……ワタシヲ……ミテ……』
部屋の奥、無数のLANケーブルが絡み合う床の中央で、青白い光を放つ霊体がうずくまっていた。 美鈴がケルトの視界で霊体を観察し、あっけにとられた声を出す。
「先輩……これ、枢栄会は関係ありません。ただの低級霊です。生前、ネットの掲示板に入り浸っていた孤独な若者の霊が、電子の海を漂う『誰かと繋がりたい』という人々の寂しさと同調して、怪異化しているだけです」
「なんだ、あの張姉弟は無実か。じゃあ、この呪いのメールは?」
「彼なりの『友達作り』のつもりみたいです。不器用にも程がありますけど……」
その時、二人の侵入に気づいた霊体が急激に膨張し、周囲のLANケーブルが蛇のようにうごめいて蓮と美鈴に襲いかかってきた。
「枢栄会が絡んでいなくても、霊障が起きているなら放ってはおけないな。仕事だ、後輩さん!」
3.祓清:物理的アクセスと送魂
「シャドウ、ケーブルを噛み千切って!」 美鈴の指示で、黒犬のシャドウが弾丸のように飛び出し、霊体を守るように蠢く物理的なケーブルの触手を次々と噛み砕いていく。
「道法無辺、急々如律令!」 蓮は懐から数枚の符を取り出すと、八極拳の鋭い踏み込みと共にサーバーラックの間を縫うように駆け抜け、四方の壁に符を貼り付けた。 バチッ!と音を立てて道教の結界が展開され、霊体の通信ネットワークへの逃げ道を完全に遮断する。
『サミシイ……サミシイ……!』 霊体が悲痛な思念を撒き散らしながら、乱気流のように部屋中の空気をかき回す。しかし、蓮の体幹はブレない。
「どこかの姉弟の仕業かと思って来てみれば、ただの寂しがり屋の迷子か」
蓮は低く身を沈め、帰真剣を静かに抜き放った。霊体の姿は蓮にはぼんやりとしか視えないが、シャドウが霊体の背後に回り込み、退路を断つように吠えている位置で核の場所を正確に把握する。
「寂しいなら、あっちの世界でゆっくり話し相手を探せ。生きている人間に迷惑メールを送って、気を引こうとするな」
踏み込みの衝撃で地下室の床が鳴った。 蓮の振るった中国風の直剣が、霊体の核を捉えて滑らかに一閃する。
「帰真――本来の姿へ還れ」
浄化の真言と共に、サーバー室を満たしていたどす黒い霧が、光の粒子となって天井へと昇っていく。けたたましく回っていた冷却ファンの音が正常なリズムに戻り、部屋には静寂が訪れた。
4.エピローグ:巨大フライドチキンと無実の悪党
「はぁ、一件落着ですね。メールの呪詛も綺麗に消滅しました」
光華商場の通りに出て、美鈴がノートパソコンを閉じながら大きく伸びをした。
「結局、枢栄会の連中は全くの無関係だったな」
「ですね。今頃、志豪は自分の部屋で古いオカルト資料でも読んでいて、麗華はネットオークションで小銭を稼いでるんじゃないですか? まさか自分たちが疑われていたなんて、夢にも思っていないでしょうね」 美鈴がくすくすと笑う。
「まあ、面倒な連中が絡んでいないに越したことはない。よし、仕事も終わったし飯にするか。後輩さん、この辺りに美味い屋台はあったか?」
蓮が尋ねると、美鈴の翠色の瞳がパッと輝いた。
「ありますよ! 光華商場に来たら、顔よりも大きな大鶏排を食べなきゃ損です! カリカリでスパイシーで、最高なんですから! 先輩、奢りですよね?」
「お前な……地下鉄の罰金の一件から、財布の紐が緩みっぱなしじゃないか?」
「いいじゃないですか! 枢栄会の凶悪な呪詛じゃなくて、ただの寂しがり屋の幽霊で済んでラッキーだったお祝いです!」
蓮はやれやれと首を振りながらも、屋台から漂う五香粉の食欲をそそる香りに、少しだけ口角を上げた。
「分かった、分かった。シャドウの分の肉も買ってやるから、案内しろ」
「やったー! さすが先輩、太っ腹!」
ネオンサインが瞬き始めた台北の街を、日本人の道士と香港人の魔女、そして黒いラブラドールレトリバーが、揚げたてのチキンを求めて歩き出していった。




