第六十五話「古井戸の呼び声と民雄鬼屋(四大心霊スポット篇・三)」
台湾祓清愛哀歌
第六十五話「古井戸の呼び声と民雄鬼屋(四大心霊スポット篇・三)」
1.赤レンガの迷宮と囚われた写真家
台中の夜景を後にしてさらに南下すること数時間。黒のカローラ・アルティスは、嘉義県民雄郷の鬱蒼とした木々に囲まれた一角に到着した。
時刻は午前3時を回り、夜気はさらに冷え込んでいる。
「……ここが『民雄鬼屋』。またの名を劉家古厝。台湾で最も有名な幽霊屋敷の一つです」
車を降りた李美鈴が、懐中電灯の光で赤レンガ造りの3階建ての廃洋館を照らした。かつては豪華だったであろうバロック風の邸宅は、今や巨大なガジュマルの根に侵食され、まるで生き物のように不気味な輪郭を晒している。
「今回の被害者は、カメラが趣味の男子大学生だ。ツアー中にこの屋敷の敷地内にある『古井戸』を撮影している最中、突然白目を剥いて倒れ、そのまま意識が戻らないらしい」
佐藤蓮が帰真剣グイジェンジエンを背負い直し、草木の生い茂る庭へと足を踏み入れた。
「ワン!」
シャドウが鼻を鳴らし、真っ直ずに庭の奥へと進んでいく。美鈴が翠色の瞳を凝らすと、ガジュマルの葉が擦れ合う音に混じって、女のすすり泣きのような不気味な精神波が押し寄せてきた。
「先輩、気をつけて……。ここには、かつてこの屋敷で悲劇的な最期を遂げた使用人の女性たちの強い未練が残っています。エセ霊媒師がウソの供養をしようとして、彼女たちのトラウマを刺激し、怒りを爆発させてしまったみたいです」
2.古井戸の底からの怨念
庭の奥に佇む、コンクリートで囲まれた古い井戸。その周囲には、まるで底なしの闇が溢れ出ているかのように、濃厚な霊障の霧がとぐろを巻いていた。
美鈴の目には、井戸の縁に腰掛け、虚ろな表情で暗闇の底を見つめている男子大学生の「魂」が視えていた。
その背後からは、何人もの髪の長い女の霊たちが、白い手を伸ばして彼の背中を井戸の底へと押し込もうとしている。
「引きずり込まれる……! 先輩、あの井戸の底は怨念の塊です。魂が完全に底に落ちたら、彼の肉体は二度と目を覚ましません!」
「そうはさせるか。」
シャドウが影の塊と化して井戸の縁へと跳躍した。シャドウは鋭い牙で女の霊たちの白い腕を噛みちぎり、大学生の魂を井戸の縁から引き剥がして組み伏せた。
「ギイィィィアアアッ!!」
静寂だった廃屋の庭に、耳を劈くような女の金切り声が響き渡る。ガジュマルの木々が激しく揺れ、赤レンガの壁からパラパラと破片が崩れ落ちた。怒り狂った怨念が、数十条の白い帯のような髪の毛となって、シャドウと魂へ襲い掛かる。
3.未練を断つ一閃
「道法無辺、急々如律令!」
蓮が素早く投げ放った四枚の符が、シャドウと少年の魂の周囲に強固な光の結界を展開した。激しい髪の毛の猛打を結界が火花を散らしながら弾き返す。
「主への恐怖、理不尽な死、誰にも気づかれなかった孤独……。あなたたちの無念は重々理解できる」
蓮は帰真剣の鞘を払い、抜き身の刃を闇の中に構えた。
「だが、関係のない未来ある若者を、自分たちの孤独の道連れにするな。……その未練、俺がここで引き取る!」
蓮は怨念の「核」である井戸の中心を真っ直ぐに捉える。
立ち上る髪の毛の隙間を縫うように、蓮の身体が弾丸となって突進した。
「帰真――本来の姿へ還れ」
闇を裂く眩い一閃が、井戸から噴き出していた黒い怨念の奔流を真っ二つに両断した。
激しい金切り声は、柔らかな溜め息へと変わり、引き裂かれた怨念は温かい光の粒へと霧散していく。美鈴の目には、白い服を着た女性たちの霊が、ようやく呪縛から解放されたように穏やかな笑みを浮かべ、夜空へと消えていくのが見えた。
少年の魂もまた、粒子となって消え、病院の肉体へと還っていった。
4.残るは最後の迷宮
「ふぅ……、これで三人目か」
蓮が帰真剣を納め、額の汗を拭うと、すぐにポケットの携帯電話がバイブレーションを鳴らした。陳巡査部長からだ。
『佐藤君! 嘉義の病院から連絡だ、カメラの彼が目を覚ましたよ! 自分のカメラを気に病むくらいピンピンしているそうだ!』
「良かったです。これで残るはあと一人ですね」
電話を切り、蓮が美鈴に視線を向けると、彼女は少し引き締まった表情でノートパソコンの画面を見つめていた。
「先輩、ついに次が最後のスポットです。……台南市にある、あの『杏林医院』」
その名を聞き、蓮も小さく息を呑んだ。
かつて台南最大級の総合病院でありながら、様々な事情で廃院となり、数十年にわたり放置され続けた巨大な廃墟。台湾最凶の心霊スポットとして知られ、映画の題材にもなった場所だ。
「最後の被害者は、ツアーを企画した悪徳旅行会社の若手社員です。エセ霊媒師に無理やり先頭を歩かされ、手術室の奥で行方不明になったまま……。これまでのスポットとは比べ物にならない規模の霊障が予想されます」
「フッ、上等だ。悪徳業者の社員とはいえ、無理やり巻き込まれたなら被害者だからな。夜明けまでに全員救い出して、林さんと陳さんに極上の報告書を叩きつけてやろう」
「はい! シャドウも、もうひと踏ん張り頑張ろうね!」
「ワンッ!」
カローラ・アルティスは再びエンジンを轟かせ、台湾の古都・台南へと向かって最後の進路を取った。東の空が、微かに紫がかり始めていた。
(四大心霊スポット篇・四へ続く)




