第六十四話「廃トーチカの神隠しと望高寮(四大心霊スポット篇・二)」
台湾祓清愛哀歌
第六十四話「廃トーチカの神隠しと望高寮(四大心霊スポット篇・二)」
1.太陽餅と消えたOL
深夜の高速道路を、黒のトヨタ・カローラ・アルティスが南へと疾走していく。
助手席では、李美鈴が台中の名物である「太陽餅」を美味しそうに頬張っていた。サクサクとしたパイ生地の破片が落ちないよう、器用に箱を顎の下に当てている。
「先輩も一口どうですか? 中の麦芽糖がほんのり甘くて、長旅の疲れに効きますよ」
「運転中だから後でもらうよ。それより後輩さん、次の目的地の情報を整理してくれ」
佐藤蓮が前方の暗闇から目を離さずに言うと、美鈴はウェットティッシュで手を拭き、iMacから転送してきた資料を開いた。
「はい。第二のポイントは台中市にある『望高寮』。美しい夜景スポットとして有名ですが、同時に旧日本軍が遺したトーチカ(鉄筋コンクリート製の防御陣地)が点在していて、昔から幽霊の目撃情報が絶えない場所です。ここでエセ霊媒師のツアーに参加していた20代の女性会社員が一人、行方不明になっています」
「肉体ごとの行方不明、いわゆる神隠しか。霊障による催眠効果で、無意識のまま危険な場所へ誘導されている可能性が高いな」
蓮の言葉に、後部座席で丸くなっていた分霊の黒犬『シャドウ』が、微かな不安を感じ取ったように低く鼻を鳴らした。
2.無限に続く暗回廊
望高寮の小高い丘に到着すると、本来なら眼下に広がるはずの台中の美しい夜景は、不自然なほど濃い霧に遮られていた。
二人は懐中電灯を手に、遊歩道を外れて背丈の高い草むらをかき分け、丘の斜面に口を開ける廃トーチカへと向かった。
「……ひどい霊障です。霧のせいで方向感覚が狂わされますね」
美鈴がケルト系魔術で視界を研ぎ澄ます。彼女の翠色の瞳には、トーチカの入り口から漏れ出す、獲物を手招きするようなドロドロとした念の糸が視えていた。
「ワンッ!」
シャドウが鋭く吠え、迷うことなくコンクリートの暗がりへと飛び込んでいく。
「シャドウが対象の匂いを捉えました! この奥です!」
二人がトーチカの内部に入ると、そこは物理的な空間の法則が歪み、まるで無限に続く地下迷宮のように変貌していた。
霊感のない蓮だが、肌にまとわりつく湿気と、足元の感覚が狂うような目眩で、この空間が「生者のためのものではない」ことをはっきりと察知する。
「……見つけました! 先輩、右奥の通路です!」
美鈴が指差した先。そこには、虚ろな目をした女性会社員が、見えない何かに手を引かれるようにして、ぽっかりと口を開けた深い縦穴(かつての換気口跡)へ向かってフラフラと歩いていた。
彼女の足元には、暗闇で孤独に亡くなった浮遊霊たちが幾重にも重なり合い、黒い泥のような手となって彼女の足首に絡みついている。
3.暗闇を裂く剣閃
「落ちるぞ! シャドウ、引き留めろ!」
美鈴の叫びと同時に、シャドウが女性の背中に飛びつき、その重みで強引に彼女を床に引き倒した。
「ギィィィッ!」
獲物を奪われそうになった霊たちが、怒り狂って黒い泥の津波のようにシャドウと女性へ襲い掛かる。
「させない!」
蓮は素早く懐から黄色い符を取り出し、縦穴と女性の間に壁を作るように三枚の符を投げ放った。
「道法無辺、急々如律令!」
見えない結界が展開され、黒い泥の津波が激突して嫌な音を立てる。
「ここは暗くて湿っている。迷子同士で身を寄せ合いたい気持ちは分かるが、生きている人間を巻き込むな」
蓮は黒い布を払い、愛剣『帰真剣』を抜き放った。
暗闇と霊障で視界は最悪だが、蓮の武術家としての重心は微塵もブレない。美鈴の視線と、シャドウが護っている位置から、霊たちの「執着の根源」を完璧に見定めていた。
蓮は八極拳の力強い踏み込みでコンクリートの床を砕くような音を鳴らし、一気に間合いを詰めた。
「帰真――本来の姿へ還れ」
真言と共に、暗闇を美しい一筋の剣閃が切り裂いた。
空間を歪めていた未練の糸がプツリと断ち切られ、トーチカを満たしていた異常な冷気が一瞬にして吹き飛ぶ。美鈴の目には、泥のように絡み合っていた霊たちが、呪縛から解き放たれてふっと安らかな顔になり、天井を抜けて夜空へと昇っていくのが見えた。
4.夜明け前の報告
「……はっ! わたし、一体……!?」
霊障の催眠から覚めた女性会社員が、懐中電灯の光に目を瞬かせ、怯えたように周囲を見回した。
「もう大丈夫ですよ。悪夢は終わりました」
美鈴が優しく声をかけ、彼女の背中をさする。
女性は自分が廃墟の深い縦穴のギリギリに倒れていることに気づき、美鈴の胸で声を上げて泣き出した。
「ふぅ……。間に合って良かった」
蓮は帰真剣を鞘に収め、小さく息を吐いた。
トーチカの外へ出ると、濃かった霧はすっかり晴れ、眼下には台中の美しい夜景が宝石のように瞬いていた。
蓮が携帯電話を取り出し、警察の陳巡査部長に連絡を入れる。
『おお、佐藤君か! 今、地元の警察から保護の連絡が入った。怪我もないそうで何よりだ!』
「ええ。これで二人目、無事に『祓清』完了です。……しかしまだ半分。夜は長そうですね」
電話を切り、蓮が振り返ると、美鈴が女性を励ましながら車へと誘導していた。
「さて、後輩さん。太陽餅の次はどこへ向かう?」
「資料によると、次はさらに南、嘉義の有名な廃墟です。……先輩、ガソリンの残りは大丈夫ですか?」
「まだまだ走れるさ。行こう」
愚かなツアーが残した爪痕を消し去るため、双霊相談事務所の二人は休む間もなく、さらなる南の闇へと車を走らせた。
(四大心霊スポット篇・三へ続く)




