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台湾祓清愛哀歌ー祓清の絆  作者: シットライヌ
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第五十九話「摩天楼に淀む執着」

第五十九話「摩天楼に淀む執着」


1.摩天楼からのSOS

台北市大同区、双霊相談事務所。

朝の湿気を吹き飛ばすような佐藤蓮の八極拳の踏み込みが、古いレンガ造りの事務所に心地よく響いていた。その傍らで、李美鈴は熱心にiMacの画面と向き合っている。


「先輩、すごい依頼が来ましたよ! 場所はなんと、あの信義区です!」

美鈴が興奮気味に声を上げた。


「信義区……? 台北で一番地価が高い、新興の高級住宅街じゃないか。後輩さん、うちのような下町の事務所に、なぜそんなセレブからの依頼が?」

蓮は套路とうろを終えて息を整えながら、首にタオルを巻いた。


「特急案件です。依頼主は若きIT起業家で、最近購入したばかりの超高級タワーマンションのペントハウスで、毎晩『窓から飛び降りようとする背広の男の影』を見るそうです。そのせいで酷い睡眠障害とパニック発作を起こし、仕事にも支障が出ているとか」


「なるほど、典型的な霊障だな。富と欲望が渦巻く場所には、強い念が残りやすい。準備をしてくれ、後輩さん」

美鈴の足元で、分霊の黒いラブラドールレトリバー『シャドウ』が、立派な邸宅への出陣を察してか、ピンと耳を立てた。


2.天空の密室

黒のトヨタ・カローラ・アルティスは、建設途中の巨大な超高層ビル(後の台北101)の鉄骨を見上げながら、きらびやかな信義区の大通りを滑るように進んでいった。


案内されたタワーマンションの最上階は、大理石の床と豪華なシャンデリアが輝く、下町の事務所とは別世界のような空間だった。しかし、パノラマビューの巨大な窓が広がるリビングには、ひどく淀んだ、油のようにねっとりとした冷気が立ち込めていた。


蓮には幽霊の姿は視えないが、その重苦しい霊障の気配に思わず眉をひそめる。

「……後輩さん、どうだ?」


美鈴は静かに目を閉じ、ケルトの術式で視界を異界へと繋ぐ。目を開けた彼女の翠色の瞳には、絶景の夜景を背にした巨大な窓ガラスに、血眼になってしがみつく中年男の霊が視えていた。


「視えました。よれよれのスーツを着た男の人です。ブツブツと株価や借金の数字を呟きながら、ガラスを引っ掻いています……。おそらく、以前の所有者か、あるいはこのビジネス街で破産して全てを失い、自ら命を絶ってしまった人の強い執着が、この部屋の『富』の気配に引き寄せられて居着いてしまったんだわ」


シャドウが低く唸り声を上げ、窓際の男の霊に向かってゆっくりと歩み寄る。


3.断ち切る剣、開かれる門

「財産への未練と、絶望の念か……。これ以上ここに縛り付けておけば、新しい住人の命まで削りかねないな」

蓮は懐から黄色い符を取り出すと、素早い動作で巨大な窓を囲むように四枚の符を投げ放った。


「道法無辺、急々如律令!」

展開された結界が、リビングの窓際を完全に封鎖する。霊が再び飛び降りるというトラウマの連鎖を断ち切り、同時に霊障が外部へ漏れ出すのを防ぐための処置だ。


見えない壁に弾かれた男の霊が、悲痛な声(物理的な音ではなく、直接脳に響く念)を上げてうずくまった。


「シャドウ、押さえ込んで!」

美鈴の指示で、シャドウが霊の足元に飛びかかり、その場に縫い留める。


「そこだな」

蓮は、黒い布に包まれた帰真剣を静かに引き抜いた。霊感のない蓮だが、美鈴の目線とシャドウの位置取りで、対象の急所を完全に捉えている。


「金も、地位も、向こうの世界には持っていけない。……もう自分を許して、還るべき場所へ行け」

蓮の言葉は冷徹な術者のものではなく、不器用なほど真っ直ぐな、迷える魂への手向けだった。


八極拳の確かな重心から放たれた帰真剣が、淀んだ空気を一刀両断する。

「帰真――本来の姿へ還れ」


真言と共に剣が振り抜かれると、リビングを満たしていた重く粘り気のある冷気が、ふっと霧散した。

美鈴の目には、スーツ姿の男が最後に窓の外の夜景を一度だけ振り返り、憑き物が落ちたような穏やかな顔で光の粒子となって消えていくのが見えた。


4.セレブの街と庶民の味

「ふぅ……。終わったな。結界を張ったとはいえ、この高さの窓際で剣を振るのは妙に足がすくんだよ」

蓮が帰真剣を鞘に収め、眼下に広がる信義区のまばゆい夜景を見下ろした。


「先輩でも高いところは怖いんですね。でも、見事な送魂でした。シャドウもよく頑張ったね」

美鈴がしゃがみ込み、シャドウの喉元を撫でると、シャドウは気持ちよさそうに目を細めた。


依頼主のIT起業家からは、顔色が見違えるように良くなったと感謝され、分厚い封筒に入った破格の特別報酬を手渡された。


タワーマンションを出ると、高級車が立ち並ぶ大通りには都会のスタイリッシュな風が吹いていた。

「高級マンションというのも考えものだな、後輩さん。光が強ければ強いほど、そこに落ちる影も濃くなる」

蓮が車のキーを取り出しながら言う。


「そうですね。でも、これで事務所の家賃も当分安心です! さて先輩、信義区といえば高級フレンチやイタリアン……と言いたいところですが、私は近くの臨江街夜市(通化夜市)に行きたいです!」

美鈴が分厚い報酬の封筒をバッグにしまいながら、満面の笑みで宣言した。


「ははは、やっぱりそう来ると思ったよ。よし、今日は奮発して、絶品の塩水鶏イエンスイジー(塩茹で鶏)と、地瓜球ディーグァチウ(さつまいもボール)を山ほど買ってやろう」

「やった! シャドウも美味しいお肉が食べられるよ!」


きらびやかな摩天楼を背に、カローラ・アルティスは庶民の活気と匂いが溢れる夜市へと向かって走り出す。

幽霊の哀しみが溶け込んだ街で、二人のささやかで温かい日常がまた続いていくのだった。

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