第五十四話「休日の十六張、牌の音と冬瓜茶の甘い午後」
台湾祓清愛哀歌:第五十四話「休日の十六張、牌の音と冬瓜茶の甘い午後」
1.ジャラジャラと鳴る休日の音
双霊相談事務所の応接スペースには、普段の張り詰めた空気は微塵もなかった。
あるのは、古い手積みの麻雀牌がプラスチックのマットの上でジャラジャラとかき混ぜられる、ひどく平和で生活感のある音だけだ。
「……やっぱり、16枚は長いな。手牌が横に広がりすぎて、どう組み立てていいか未だに感覚が掴めない」
佐藤蓮は休日のラフな姿で腕を組み、目の前にズラリと並んだ16枚の牌を渋い顔で睨みつけていた。日本の13枚麻雀に慣れ親しんできた彼にとって、台湾特有の『十六張』麻雀は、同じルールでありながら全く別のゲームに思える。
「ハッハッハ! 佐藤さん、考えすぎは禁物だよ。台湾麻雀はスピードと勢い! 牌の導きを素直に受け入れるのがコツさ!」
豪快に笑いながら声を掛けてきたのは、向かいに座る陳巡査部長だ。
普段の警察制服姿からは想像もつかない、派手なアロハシャツに身を包んだ彼は、すっかり非番の休日を満喫していた。数々の霊障事件で蓮たちに捜査協力を依頼していくうちに、今ではすっかり私生活でも卓を囲む仲になっていた。
「陳さん、非番だからって佐藤さんから巻き上げすぎないでくださいよ。……と言いつつ、チー(吃)です」
台北市役所祓清課の林担当員が、陳巡査部長の捨てた牌をすかさず拾い、自分の手牌を開く。彼も今日は役所の人間らしい四角四面な雰囲気はなく、ポロシャツというリラックスした姿だ。
「林さん、口でフォローしながらちゃっかり鳴かないでくださいよ。……ポン(碰)! 役牌、いただきます」
李美鈴がニコニコと笑いながら、林の捨て牌を無情にも拾い上げる。
学生時代から台湾に留学している彼女は、すっかりこちらの16枚麻雀にも適応しており、蓮よりもずっと手慣れた手つきで牌を捌いていた。
「後輩さん、楽しそうだな……」
「ええ、霊障の気配に怯えなくていい休日は最高ですから! さあ先輩、ツモ番ですよ」
足元のフローリングでは、黒いラブラドール姿のシャドウが「自分には関係ない」とばかりに、大あくびをして昼寝を決め込んでいた。
2.ルーウェイとブラウン管のバラエティ
局の合間、誰かがアガるたびに、卓の横に置かれたキャンパスノートに手書きで点数(正確には台湾麻雀特有の『台』という単位)が書き込まれていく。デジタルな点数表示機能などない、昔ながらのアナログな風景だ。
「ほら、お茶を淹れ直しましたよ。林さんが買ってきてくれた『滷味』も温め直したから、つまみながらやりましょう」
蓮がキッチンから、大きなビニール袋に入った台湾風の煮込み料理『滷味』と、紙パックから注いだキンキンに冷えた冬瓜茶を運んできた。
八角や醤油の甘辛い香りが、事務所いっぱいに広がる。
「おお、林さん、今日は駅前の有名な屋台で買ってきたんですね? 気が利くじゃないですか。ありがとうございます。」
「ええ、この前の合同捜査の時に、陳さんがここの百頁豆腐が好きだって言ってたのを覚えてたんですよ」
陳巡査部長が竹串で茶色く染まった豆腐や昆布を刺して頬張りながら、満足そうに頷く。
蓮も竹串で練り物をつまみ、甘くて冷たい冬瓜茶でそれを流し込んだ。
部屋の隅に置かれた分厚いブラウン管テレビからは、2000年代の台湾で大流行している、テロップが画面中を飛び交う騒がしいバラエティ番組が垂れ流しになっている。
「それにしても平和ですねぇ。最近は証拠の無い呪詛事件の裏付け捜査だの、きつい現場が続いてたんで、こういう普通の休日が身に染みますよ」
林担当員が牌を並べながらしみじみと呟いた。
「本当にそうですね。警察の陳さんや市役所の林さんが揃って事務所に来る時って、いつもは不穏な事件の持ち込みばかりですから。こうして麻雀牌を持ってきてくれるのは大歓迎です」
美鈴の言葉に、陳巡査部長が苦笑いする。
「全くです。自分も職務質問や調書作成ばかりじゃ息が詰まります。たまにはこうして、ただの『麻雀好きのオヤジ』に戻どれて嬉しいですよ。……ねえ林さん、それを言うなら佐藤さんの殺気ですよ。リーチ(聴牌)がかかった瞬間、八極拳の『震脚』でも踏むんじゃないかってくらい空気が重くなるんだから」
陳巡査部長の冗談に、卓を囲む面々からドッと笑い声が起きる。
蓮は苦笑いしながら、手牌の端にあった不要な牌を河に捨てた。
「……そういう陳さんも、手が止まってますよ。俺の捨て牌、当たりなんじゃないですか?」
蓮の言葉に、陳巡査部長がニヤリと笑った。
3.オーラスの行方
「……ロン(胡)です。しかも、海底撈月のおまけ付きですよ」
陳巡査部長がパタンと16枚の手牌を倒す。そこには、綺麗に揃った萬子の染め手と、台湾麻雀特有の役がいくつも複合していた。
「うわっ、マジですか! 陳さん、非番でも容赦なさすぎですよ、さすが現役の警察官!」
「あーあ、林さんがまた点数を削られましたね。これで今日の最下位は林さんで確定かな?」
「美鈴ちゃん、他人事みたいに言ってるけど、君もだいぶ佐藤さんに振り込んでるからな!」
ワイワイと文句を言い合いながら、ノートに最後の点数が書き込まれる。
結局、長年の経験と勘で打ち回した陳巡査部長がトップ、手堅く守った美鈴と林担当員が二位、果敢に攻めた蓮が沈むという結果に終わった。
「いやあ、面白かった! やっぱり気心の知れた連中と打つ麻雀は最高ですね。佐藤さん、今度は13枚の日本ルールでも教えてください。今度非番の日に、美味い酒でも持ってまた来ますよ」
「ええ、喜んで。でも、その時は俺が勝ちますよ」
蓮がフッと微笑んで答えると、陳巡査部長は「言いますねえ!」と豪快に肩を叩いた。
その音に反応して、昼寝をしていたシャドウがムクリと起き上がり、「終わったなら散歩か?」とばかりに短い尻尾をパタパタと振る。
夕暮れ時。
ブラインド越しの窓から、オレンジ色の西日が事務所の中に差し込んでいた。ブラウン管テレビの喧騒と、微かに残る滷味と線香の匂い。
幽霊も妖怪も出ない。ただ牌の音と笑い声だけが響く、古き良き台湾の休日の午後。
蓮と美鈴にとって、こんな何気ない日常こそが、過酷な霊障事件に立ち向かうための何よりのエネルギー源なのかもしれない。




