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台湾祓清愛哀歌ー祓清の絆  作者: シットライヌ
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第五十二話「迷宮の古都、九曲巷の足音と甘い薫風」

台湾祓清愛哀歌:第五十二話「迷宮の古都、九曲巷の足音と甘い薫風」


1.赤煉瓦の古都、鹿港ルーガン

「……先輩、本当にこの地図のルートで合っていますか? さっきから同じような赤煉瓦の壁ばかりで、まるで狐につままれたみたいです」


台湾西海岸の古い港町、彰化県鹿港ルーガン

李美鈴は、事務所のiMacでプリントアウトしてきた地図を助手席で広げ、街灯の少ない暗い街並みを不安そうに見つめていた。


「大丈夫だ。鹿港の古い路地は、わざと見通しを悪くして海風や海賊を防ぐように作られているからな。歴史の教科書通りさ」


佐藤蓮は黒のカローラ・アルティスを慎重に走らせ、目的地の近くにある廟の駐車場に車を止めた。車外に出ると、どこか懐かしい線香の香りと、古い港町特有の湿った風が二人を迎える。


蓮は後部座席から中国風の剣『帰真剣』を静かに取りだした。

足元では、黒いラブラドールレトリバーの姿をした分霊のシャドウが、深夜の古い土の匂いを機嫌よく嗅ぎ回っていた。


今回の依頼は、鹿港の自治体から林担当員を通じて回ってきたものだった。

歴史的な旧市街である「九曲巷ジューチューシエン」と呼ばれる折れ曲がった路地で、夜な夜な旅行者が迷い込み、何時間も同じ場所を歩かされた挙句、精神耗弱状態で発見されるという『壁打ち(鬼打牆)』の霊障が多発しているという。


蓮がズボンのポケットから折りたたみ式の携帯電話を取り出し、バックライトの緑色の液晶画面で時間を確認する。深夜一時。街は完全に静まり返っていた。


2.九曲巷の迷い風

二人が九曲巷の狭い入り口に一歩足を踏み入れた瞬間、空気がぐっと重くなった。

外を吹いていた風の音が遮断され、代わりに耳の奥で『トントン、トントン』と、古い木靴で石畳を叩くような足音が不規則に響き始める。


「……来ました、先輩。この先の角、右に折れた斜め上です」


美鈴の鋭い霊感が、歪んだ空間の結界を捉えた。

霊感の薄い蓮には、ただの暗い赤煉瓦の路地にしか見えないが、美鈴の目には、路地の壁が生き物のようにぐにゃりと歪み、本来の道を覆い隠しているのがはっきりと見えていた。


「シャドウ、行って!」


美鈴の指示で、シャドウが漆黒の影となって狭い路地を駆け抜ける。シャドウが曲がり角の向こうに向かって鋭く吠えると、空間の歪みがビキビキと音を立ててひび割れた。


そこにいたのは、古い時代の衣服を着た、片足を引きずる男の霊だった。かつてこの迷路のような路地で追っ手から逃げ惑い、そのまま命を落とした者の未練が、通りかかる人間を同じ迷宮へと引きずり込んでいたのだ。


『……出口ハ……ドコダ……。コノ先モ……壁、壁、壁……ッ!』


男の霊が絶叫した瞬間、九曲巷の赤煉瓦の壁から無数の「見えない手」が伸び、蓮と美鈴を壁の中へと引きずり込もうと襲いかかってきた。


3.狭小空間の八極拳

「後輩さん、俺の後ろへ!」


蓮は帰真剣を正面に構え、美鈴を背中に庇った。

九曲巷の道幅は、大人が二人並んで歩くのがやっとの狭さだ。大きく剣を振り回せば、歴史的な赤煉瓦の壁を傷つけてしまう。


しかし、この極限の狭さこそ、蓮が日課としている『八極拳』の真骨頂だった。

八極拳は、元々衣服の袖を引っ張られるほどの至近距離での戦闘を想定して作られた拳法だ。大きな予備動作を必要としない。


蓮は両足を狭く保ちながら、路地の石畳へと鋭く『震脚』を踏み込んだ。

ドスッ! という重い衝撃が狭い路地に響き渡り、壁から伸びていた霊的な手の動きが一瞬で硬直する。


「美鈴、術式を固定してくれ!」

「はい! ――大地の枷よ、迷える足跡をここに留めよ!」


美鈴が素早くケルト魔術の印を紡ぐと、エメラルドグリーンの光の鎖が路地の地面から這い上がり、男の霊の足元をガッチリと拘束した。


「道法無辺――!」


蓮は帰真剣を胸の前に水平に構え、肘を鋭く突き出す八極拳の技『頂肘ちょうちゅう』の要領で、剣の柄頭から「送魂の気」を最短距離で男の霊へと叩き込んだ。

狭い空間だからこそ、無駄を削ぎ落とした最短の術式が、恐ろしいほどの密度で炸裂する。


純白の浄化の光が、狭い九曲巷の壁を優しく照らし出した。


『あぁ……、道が……開いた……』


男の霊は、目の前の壁が消え去り、美しい光の道が現れたのを見て、安らかな笑みを浮かべた。そして、光の粒子となって、夜空の向こうへと静かに消え去っていった。

歪んでいた空間が本来の姿を取り戻し、心地よい海の風が路地を吹き抜けていく。


4.エピローグ:夕暮れの牛舌餅

翌日の夕方。

無事に任務を終えた二人は、すっかり賑やかさを取り戻した鹿港の古い街並みを歩いていた。昨夜の不気味な空気は消え去り、通りには観光客の楽しげな声が響いている。


「いやあ、無事に解決して良かったですね、先輩。林さんからも、現地の自治体がすごく感謝していたって、さっきショートメールが来ましたよ」


美鈴は現像したばかりの使い捨てカメラの写真を愛おしそうに眺めながら、嬉しそうに笑った。


「ああ。狭い路地での立ち回りは肝を冷やしたが、後輩さんの拘束のタイミングが完璧だったおかげだな」


蓮も少しリラックスした表情で微笑む。

二人が立ち止まったのは、鹿港の名物として名高い老舗の伝統菓子店の前だった。店先からは、小麦粉と麦芽糖が焼ける、たまらなく甘く香ばしい匂いが漂っている。


「さあ先輩、鹿港に来たらこれを食べなきゃ嘘ですよ! はい、お疲れ様の『牛舌餅ニウシャービン』です!」


美鈴が手渡してくれたのは、その名の通り牛の舌のような形をした、焼き立ての平たいお菓子だ。

蓮がサクッと一口齧ると、何層にも重なったパイのような軽い生地の中から、ほんのり温かい麦芽糖の優しい甘さが口いっぱいに広がった。


「……美味いな。素朴だけど、このサクサク感が癖になりそうだ」


「でしょう? 台北の太陽餅とはまた違った、しっかりした歯ごたえがあって美味しいんです!」


美鈴も自分の牛舌餅を嬉しそうに頬張りながら、幸せそうに目を細めた。足元では、味のついていない特別に分けてもらったクッキーの端切れを、シャドウが嬉しそうにハグハグと咀嚼している。


夕暮れ時の鹿港。

オレンジ色の夕日が、古い赤煉瓦の街並みを美しく染め上げていく。

数々の怪異を乗り越えてきた双霊相談事務所の二人は、伝統の甘いお菓子を味わいながら、古都の穏やかな黄昏時を心ゆくまで堪能するのだった。

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