第五十一話「交番の小さなお節介と、午後の甘い豆花」
台湾祓清愛哀歌:第五十一話「交番の小さなお節介と、午後の甘い豆花」
1.大同区の昼下がり、陳さんからのSOS
台北市大同区。双霊相談事務所から歩いて数分の場所にある地元の交番は、いつもなら近所の老人たちが世間話をしにやって来る、のどかで平和な場所だ。
しかし、その日の午後、いつも誠実で笑顔を絶やさない陳巡査部長は、ひどく困り果てた顔で事務所のドアを叩いた。
「いやあ、蓮くん、美鈴くん。本当に申し訳ないんだけど、少しだけ助けてくれないかな。……実は、交番の中で『見えない誰か』が悪戯をするんだよ」
陳さんの話によると、数日前から交番内で不思議な現象が起きているという。
机の上に置いていたボールペンが勝手に引き出しにしまわれたり、飲みかけの熱いお茶がほんの数秒で冷たくなったり、未整理の書類がいつの間にか(しかし順番はバラバラに)綺麗に積み上げられたりしているらしい。
「悪意は全く感じないんだ。ただ、仕事のペースが狂ってしまってね……。ご近所の手前、大げさな祓清騒ぎにはしたくないから、君たちにこっそりお願いできないかと思って」
「なるほど。わかりました、陳さん。日頃からお世話になっている俺たちに任せてください」
蓮は『帰真剣』を抜き出して布でぐるぐると巻き、ただの木剣のように偽装した。
「さあ行きましょう、先輩。シャドウ、出番よ!」
美鈴の足元から、黒いラブラドールレトリバーの分霊・シャドウが嬉しそうに尻尾を振って飛び出した。
2.交番の小さなお節介
交番の中に入ると、シャドウは唸り声を上げることもなく、トコトコと奥の休憩スペースへと歩いていき、何もない空中に向かって尻尾を振り始めた。まるで、見えない誰かに頭を撫でられているかのような仕草だ。
「……後輩さん、どうやら危険な悪霊じゃないみたいだな」
「ええ。とても温かくて、穏やかな気配です」
霊感がほとんどない蓮には何も見えないが、美鈴にはその正体がはっきりと視認できていた。
そこにいたのは、古びたハンチング帽を被り、ほうきを手にしたお爺さんの幽霊だった。
「陳さん、このお爺さんに見覚えはありませんか? ハンチング帽を被って、よく掃除をしてくれているような……」
「ハンチング帽……ああっ! もしかして、町内会長だった王さんかい!?」
陳さんがポンと手を打った。
王さんは、この地域で長年ボランティアとして毎朝通りの掃除をし、交番の陳さんにもよく差し入れを持ってきてくれていた、とても面倒見の良いお爺さんだったという。半年前に老衰で亡くなったはずだった。
「王さん、自分が亡くなったことに気づかず、陳さんの仕事を手伝おうとしてくれていたんですね」
美鈴が優しく微笑みながら、ケルト魔術の印を小さく結んだ。
「――風の精霊よ、淡き光で姿を映し出せ」
美鈴の指先から放たれた柔らかな緑色の光が空中に漂うと、霊感のない蓮や陳さんの目にも、王お爺さんの半透明な姿がぼんやりと浮かび上がった。
『おお……陳巡査。今日も忙しそうじゃのう。ワシが机を片付けておいたぞい』
王さんの霊は、自慢げにふんすっと胸を張った。
3.感謝と穏やかな送魂
「王さん……。ありがとうございます。でも、書類の順番がバラバラになっちゃって、少し困ってたんですよ」
陳さんが苦笑いしながら頭を下げると、王さんの霊は『おや、そうだったかのう』と照れくさそうに頭を掻いた。
「王さん、あんたが毎日この街を綺麗にしてくれていたことは、陳さんも、街の人たちもみんな覚えてる。だからもう、ゆっくり休んでいいんだ」
蓮は王さんを刺激しないよう、八極拳の構えも取らず、ごく自然な立ち姿のままそっと帰真剣の柄を握った。
そして、道教の鎮魂の符を一枚、ゆっくりと王さんの足元へ滑らせる。
「道法無辺。――お疲れ様でした。あとは、俺たち若い世代に任せてください」
蓮が優しく送魂の真言を唱えると、帰真剣から温かい陽だまりのような白い光が溢れ出した。
『そうか……ワシはもう、お迎えが来とったんじゃな。陳巡査、これからもこの街を頼んだぞい』
王さんの霊は満足そうに目を細めると、シャドウの頭をもう一度撫でるような仕草をして、光の粒子と共に天井の奥へと静かに昇っていった。
交番の中には、フワリと古いお茶のようないい香りが残った。
4.エピローグ:午後の甘い豆花
「いやあ、助かったよ。王さんには生前もすごくお世話になっていたから、ちゃんとお別れが言えて良かった」
すっかり普段の空気を取り戻した交番の裏手で、陳さんがほっとした表情で冷たいお茶を飲んでいた。
「一件落着ですね! 王さん、陳さんのことが心配でたまらなかったんでしょうね」
「ああ。だが、これからは陳さんも自分で机の整理整頓をしないとな」
美鈴がくすくすと笑い、蓮も冗談めかして肩をすくめた。
「お詫びとお礼と言っちゃなんだけど、ちょっと待っててくれ。そこの角の店で買ってこよう」
陳さんが小走りで買ってきてくれたのは、台北の夏の定番おやつ・冷たい『豆花』だった。
絹ごし豆腐のように滑らかな豆花の上に、甘く煮たピーナッツ、タピオカ、そしてモチモチの芋圓(タロイモ団子)がたっぷりと乗せられ、冷たいシロップがかかっている。
「うわぁ! ここの豆花、いつも行列ができてるから気になってたんですよ!」
美鈴がプラスチックのスプーンで豆花を掬い、嬉しそうに頬張る。優しい甘さと冷たさが、夏の台北の蒸し暑さをスッと忘れさせてくれる。
「ん、美味いな。派手な立ち回りがない仕事の後の甘いものも、悪くない」
蓮も豆花の素朴な味わいに目を細めながら、隣で茹でたピーナッツのおこぼれを貰って喜んでいるシャドウの頭を撫でた。
大同区の平和な昼下がり。
幽霊が出ても、それが必ずしも恐ろしい事件とは限らない。双霊相談事務所の二人は、陳さんと共に街の温かさを噛み締めながら、甘く冷たいおやつタイムを満喫するのだった




