第四十八話「霧の茶園、幻影のティーパーティーとセイロンの香り」
台湾祓清愛哀歌:第四十八話「霧の茶園、幻影のティーパーティーとセイロンの香り」
1.リトル・イングランドの霧
「……台湾の山道も大概ですが、ここの道の険しさはそれ以上ですね」
スリランカ中央高地、標高二千メートルに位置する街・ヌワラエリヤ。
『リトル・イングランド』と呼ばれるこの避暑地は、熱帯の国スリランカにありながら、一年を通して冷涼で深い霧に包まれている。
佐藤蓮は、現地の空港で手配した無骨なレンタカーの四輪駆動車のハンドルを握りながら、険しい茶園の斜面を慎重に登っていた。助手席では、李美鈴がノートパソコンを膝に置き、周辺の地図データを確認している。後部座席では、検疫の特例手続きを済ませて同行した分霊のシャドウが、見慣れない景色に鼻をヒクヒクとさせていた。
「慎重に行くぞ、後輩さん。慣れない右ハンドルに加えて、この濃霧だ」
「はい、先輩。……でも、イザベラ先生からの直接の推薦状でのご指名です。失敗はできませんよ」
今回の依頼主は、この地で広大な茶園を経営するスリランカ人の名家だった。
美鈴の恩師であるイザベラが、かつて英国でこの一族の当主と交流があった縁で、台湾で凄腕の祓清屋として名を上げている二人に白羽の矢が立ったのだ。
依頼内容は、夜な夜な茶園の奥深くで発生する『幻影』の解決。深夜に茶摘みに出た労働者たちが、次々と濃霧の中で気を失い、極度の精神衰弱(霊障)を引き起こしているという。
2.終わらないティーパーティー
日が完全に落ち、茶園が濃密な霧と闇に沈んだ頃。
特別に許可を得て茶園の奥深くへと足を踏み入れた二人の前で、シャドウが低く唸り声を上げた。
「……先輩、来ます。前方の開けた場所です」
美鈴の生まれ持った霊感が、霧の奥から漂う強烈な霊的波動を捉えた。
二人が静かに茂みを抜けると、そこにはかつてイギリス統治時代に建てられ、今は廃墟となったはずの石造りの洋館が、当時の美しい姿のまま幻影として浮かび上がっていた。
庭先の青々とした芝生の上では、19世紀の豪奢なドレスやスーツに身を包んだイギリス人たちの霊が、優雅なティーパーティーを開いていた。
『……Ah, what a lovely tea...(ああ、なんて素晴らしい紅茶だ……)』
『……The ship to London will arrive soon...(ロンドン行きの船がもうすぐ着くわ……)』
彼らは虚ろな目で笑い合いながら、中身のないティーカップを傾け続けている。彼らは数世代前、祖国へ帰る日を夢見ながらこの異国の地で病に倒れ、帰らぬ人となった農園主とその家族たちの霊だった。強い郷愁と未練が、この土地に彼らを縛り付けているのだ。
3.共鳴するケルトの魔術
幻影のイギリス人たちが、蓮と美鈴の存在に気づき、一斉に顔を向けた。
『……New guests? Come, join us...(新しい客かい? さあ、ご一緒に……)』
彼らが手を差し伸べた瞬間、周囲の霧が急速に冷たさを増し、二人を『終わらないお茶会』の記憶の中へ引きずり込もうと襲いかかってきた。
「させません! シャドウ、牽制を!」
美鈴の掛け声と共に、シャドウが漆黒の弾丸のように飛び出し、迫り来る亡霊たちの前に立ちはだかって激しく吠え立てる。その霊的な威圧に、亡霊たちが一瞬ひるんだ。
美鈴は素早く印を結び、ケルトの呪文を唱え始めた。
彼女が使うケルト系魔術は、英国発祥の自然魔術だ。この『リトル・イングランド』と呼ばれる霧深い土地、そして相手がイギリス人の霊であるという条件が揃ったことで、彼女の魔術は台湾にいる時以上の強烈な共鳴を起こした。
「――大地の茨よ、迷える魂をその場に縛り付けよ!」
美鈴の足元から、眩いエメラルドグリーンの光を放つ霊的な茨が放射状に広がり、洋館とティーパーティーの参加者たちを瞬く間に包み込んだ。亡霊たちは光の茨に囚われ、その場から一歩も動けなくなる。
「すごいな。魔術の威力が跳ね上がってる」
「先輩、彼らの未練の核は、中央のテーブルにある『銀のティーポット』です! あれを断ち切ってください!」
4.異国の地で舞う八極拳
「了解した、後輩さん。見事な拘束だ!」
蓮は背中のハードケースから『帰真剣』を引き抜き、光の茨が作り出した道を一気に駆け抜けた。
しかし、茶園の地面は傾斜がキツい上に、夜露で酷くぬかるんでいる。並の踏み込みでは滑ってしまい、剣に十分な威力を乗せることはできない。
だが、蓮は日々の鍛錬で培った八極拳の『震脚』で、ぬかるんだ大地をドスッ! と力強く踏み砕き、強引に自らの足場を固定した。
「道法無辺。――あんたたちの帰るべき場所は、ここじゃない。船はもう、迎えに来ているぞ」
蓮の言葉と共に、帰真剣の刀身に道教の符が巻き付き、清冽な白い光を放ち始める。
蓮は腰の回転と大地の反発力を剣先へと伝え、テーブルの上の『銀のティーポット』に向かって、渾身の一撃を振り下ろした。
ガァンッ!!
金属が弾け飛ぶような霊的音が響き渡り、ティーポットの幻影が真っ二つに裂けた。
同時に、洋館とティーパーティーの幻影が、ガラス細工のようにガラガラと崩れ落ちていく。
『……Ah... London...(ああ……ロンドンへ……)』
蓮が静かに送魂の真言を唱えると、農園主たちの霊は安らかな表情を浮かべ、空高く立ち昇る霧と共に、光の粒子となって天へと帰っていった。
5.エピローグ:本場のスパイスと琥珀色の紅茶
翌日。昨夜の濃霧が嘘のように晴れ渡り、ヌワラエリヤの茶園には眩しい太陽の光が降り注いでいた。
見事、農園の霊障事件を解決した二人は、依頼主である当主の豪邸のテラスに招かれ、極上の朝食を振る舞われていた。
「ふう……! 凄いスパイスだ。美味いけど、台湾の唐辛子とは全く違うベクトルの辛さだな……!」
蓮は額に汗を滲ませながら、本場のスリランカ・チキンカレーと、ココナッツミルクで煮込んだレンズ豆のカレー(パリップ)をライスに混ぜ合わせて頬張っていた。複雑なスパイスの香りが食欲を強烈に刺激する。
「ふふっ、先輩、汗だくですよ。でも、本当に美味しいですね」
美鈴もスパイスの効いたカレーに舌鼓を打ちながら、食後のティーカップを優雅に傾けた。
注がれているのは、この農園で今朝採れたばかりの最高級のヌワラエリヤ紅茶だ。明るい琥珀色の水色と、高地特有の青々とした花の香りが、戦いの疲れを優しく癒してくれる。
足元では、スパイス抜きで特別に茹でてもらった鶏肉を、シャドウが尻尾を振りながら夢中で平らげていた。
「この紅茶、イザベラ先生にも送ってあげたいです。絶対に喜んでくれるはずですから」
「そうだな。今回の報酬で、最高級の茶葉をスコットランドへ送ろう。後輩さんの魔術の冴え渡りっぷりも、手紙で報告しておかないとな」
スリランカの青い空と見渡す限りの緑の茶園を前に、双霊相談事務所の二人は、異国の地でのスリリングな夜と、至福の朝食の時間を心ゆくまで楽しむのだった。




