第四十一話「知本の湯けむり、地脈を巡る澱み」
台湾祓清愛哀歌:第四十一話「知本の湯けむり、地脈を巡る澱み」
1.湯けむり消えた温泉街
佐藤蓮と李美鈴は祓清の依頼を受け、台湾南東部の都市・台東へと到着していた。
二人が向かったのは、台湾でも屈指の歴史を誇る名湯・知本温泉である。本来ならば、豊かな自然と立ち上る白い湯けむりに包まれ、多くの観光客で賑わっているはずの温泉街だが、今日の街はゴーストタウンのように静まり返っていた。
「……ひどいですね。温泉街全体が、どす黒い冷気に包まれています」
美鈴が眉をひそめながら、温泉街を流れる知本渓の川面を見下ろした。
本来は無色透明で「美人の湯」と称される温泉だが、今はヘドロのように濁り、鼻をつくような嫌な臭いを放ちながら冷たくなっている。
「依頼人の話通りだな。数日前から突然、源泉からこの真っ黒な冷水が湧き出し始めた。観光客は次々と体調不良を訴えて帰ってしまい、現地の祓清技能士たちも手を焼いているらしい」
蓮は帰真剣を入れた細長いケースを肩に担ぎ直し、周囲の気配を探った。霊感のない彼でも、この土地全体が「重い病」に罹っているような息苦しさを感じる。
「わんっ、わぅ……」
普段は勇ましい分霊のシャドウも、この嫌な空気には少し尻尾を下げていた。
2.地脈の結節点
二人は最も被害が酷いという、温泉街の最奥にある源泉地帯へと足を踏み入れた。
岩肌から吹き出すはずの熱い蒸気はなく、代わりに黒い霧が地面からじわじわと滲み出している。
「後輩さん、原因はわかるか? これだけ大規模だと、ただの地縛霊の仕業とは思えないが」
蓮の問いに、美鈴は静かに目を閉じ、ケルト魔術の探知結界を足元に展開した。緑色の淡い光が、波紋のように地面を這って広がっていく。
「……わかりました。これは人間の幽霊ではありません。土地そのものの地脈『龍脈』が、何らかの理由で詰まってしまっているんです。人間の体で言う、重度の血栓のようなものです」
美鈴が目を開き、黒い霧が最も濃く噴き出している岩山の一角を指差した。
「かつてこの山中で行われたという旧日本軍の実験の影響か、あるいは長年この土地が吸い込んできた人々の負の感情が蓄積したのか……。とにかく、あの岩山の奥にある『結節点』に、巨大な霊的エネルギーの塊が詰まっています。それが地脈の循環を止め、温泉を腐らせているんです」
「なるほど、土地のツボ押しが必要ってわけか。俺の八極拳と帰真剣の出番だな」
蓮はケースから帰真剣を抜き放ち、ゆっくりと岩山へ近づいた。
3.震脚と破邪の一閃
蓮が結節点に近づくと、土地の防衛本能なのか、黒い霧が実体化し、巨大な泥の獣のような姿となって二人に襲いかかってきた。
「シャドウ、足止めを!」
美鈴の指示で巨大化したシャドウが泥の獣に飛びかかり、その突進を食い止める。さらに美鈴は光の鎖を放ち、獣の四肢を岩肌に縫い留めた。
「先輩、今です! ツボはあの巨大な岩の真下、地下三メートルの位置です!」
「地下三メートルか……。剣だけじゃ届かないな。なら、気を直接叩き込む!」
蓮は深く息を吸い込み、岩の真正面に立った。
八極拳は、大地を踏みしめる力(震脚)を爆発的な打撃力へと変換する武術だ。蓮は道教の符を帰真剣の切っ先に巻きつけ、それを真下に向けて両手で構えた。
「道法無辺、大地よ、目覚めろ!」
ドォォォォンッ!!!
蓮の渾身の震脚が知本の岩盤を激しく叩き、それと同時に帰真剣が岩肌に突き立てられた。
物理的な破壊力と、符に込められた浄化の気が、震脚の衝撃波に乗って地下深くへと浸透していく。
バキバキと音を立てて目に見えない「澱み」の殻が砕け散る感覚が、蓮の手に伝わってきた。
次の瞬間。
岩山の隙間から、それまで滞っていた大地のエネルギーが、解放されたように天高く吹き上がった。泥の獣は瞬時に浄化の光に飲み込まれて消滅し、黒かった温泉の湯が、みるみるうちに透き通った本来の姿へと戻っていく。
「ふう……。上手くいったみたいだな」
蓮が帰真剣を抜き、額の汗を拭う。
足元からは、心地よい硫黄の香りと共に、温かい真っ白な湯けむりが勢いよく立ち上り始めていた。
4.エピローグ:釈迦頭と癒やしの湯
その夜。
無事に知本温泉の地脈を回復させた二人は、依頼主である温泉組合の厚意で、老舗の高級温泉旅館に招待されていた。
それぞれ別々の露天風呂で大地の恵みを存分に堪能した二人は、旅館の風情ある中庭で合流した。
火照った体に、南国の涼しい夜風が心地よい。
「あーっ、最高のお湯でした! お肌がツルツルです!」
浴衣姿の美鈴が、満足そうに両手で頬を包みながら笑う。シャドウも温泉の蒸気が気に入ったのか、中庭の石畳の上で気持ちよさそうに腹を出して転がっている。
「ああ、長旅の疲れも一気に吹き飛んだな。……ほら、組合長からの差し入れだ」
蓮はテーブルの上に、台東名物のフルーツ『釈迦頭』と、冷たく冷やした台湾ビールを並べた。釈迦の頭のようなゴツゴツとした緑色の皮を割ると、中からクリームのように甘く白い果肉が現れる。
「わあ! 釈迦頭、甘くて美味しいです! 温泉の後にこれなんて、天国ですね」
美鈴が目を輝かせて果肉を頬張る。
「しっかり休んでおけよ。明日もまた、台北に戻るための長旅が待ってるからな」
蓮はビールを煽りながら、星空を見上げた。
今夜は、大地の温もりに身を委ね、心静かに羽を休める。立ち上る知本の湯けむりの中に、二人の和やかな笑い声がいつまでも響いていた。




