第二十七話「スイートルームの不在客」
台湾祓清愛哀歌:第二十七話「スイート・ルームの不在客」
1.優雅なる異変
台北市信義区。2000年代初頭の再開発で活気付くこのエリアに建つ、超一流ホテル「グランド・タイペイ・プレミア」。
ロビーのカフェで、蓮と美鈴は市役所の林担当員と向き合っていました。
「……実は、最上階のスイートルームで奇妙なことが続いてまして。予約も入っておらず、鍵もかかっているはずの部屋に、毎晩『誰か』がチェックインしている形跡があるんです」
林担当員の話によれば、清掃員が朝入ると、ベッドは使われ、バスルームには湿り気が残り、ルームサービスの注文票まで書かれているのだといいます。しかし、監視カメラには誰も映っていない。
「姿なき宿泊客、ですか。面白いじゃないですか、先輩」
美鈴がiMacならぬ、今日は持ち出し用のノートパソコンでホテルのフロアマップを確認しながら不敵に笑いました。
「ああ。だが、一流ホテルの屋上で騒ぎは起こせない。静かに、かつ確実に『チェックアウト』してもらおう」
2.鏡の中の残像
夜、二人はホテル側の協力で、問題の808号室に潜入しました。
蓮は部屋の四隅に目立たないよう浄化の符を貼り、美鈴は中央で精神を研ぎ澄ませます。
「……いるわ。でも、実体化する力が弱すぎて、機械には映らないみたい」
美鈴が短く唱えると、彼女の影からシャドウがヌッと現れました。黒いラブラドールレトリバーは、誰もいないはずのキングサイズのベッドの横で、静かに尻尾を振りました。
「シャドウが懐いてる? 悪意のある霊じゃないのか、後輩さん」
「ええ。すごく……優しい気配。あ、先輩、ドレッサーの鏡を見て!」
美鈴の瞳が青く輝きます。蓮には何も見えませんが、美鈴の視界には、鏡の中にだけ映る「老貴婦人」の姿がありました。彼女は鏡の前で、大切そうに真珠のネックレスを首に当てる仕草を繰り返していました。
「彼女、このホテルがオープンした時の最初の宿泊客だったみたい。……でも、ある『忘れ物』が心残りで、ここから離れられないんです」
3.失われた真珠の行方
「忘れ物? 宝石か何かか」
「いいえ、もっと個人的なもの。……当時のベルボーイに宛てた、一通の感謝の手紙です。彼女、チェックアウトの時に渡しそびれちゃったんですって」
美鈴が霊との対話を試みる間、蓮は部屋の「気」の流れを調整し、彼女が言葉を発しやすい環境を整えました。蓮の帰真剣が微かに震え、部屋の中に柔らかな霊界の道筋が生まれます。
「道法無辺。想いがあるなら、今この瞬間に繋ぎ合わせよう」
蓮は帰真剣の柄を叩き、静かな波紋を広げました。
すると、古びたサイドテーブルの引き出しの奥から、一枚の黄色く変色した封筒がポロリと落ちました。それは数十年前、彼女が書き残し、家具の隙間に吸い込まれてしまった手紙でした。
「先輩、今です。彼女の想いを、空へ届けて!」
蓮は落ちた手紙を手に取り、美鈴が示す鏡の中の影に向かって、静かに送魂の真言を唱えました。
「帰真。お前の感謝は、時を超えて今、確かに届けられた。……もう、自分を縛る必要はない」
鏡の中の貴婦人は、蓮の手にある手紙を見て、満足そうに微笑みました。その姿が光の粒子となって消えていくと同時に、部屋を満たしていた不思議な湿り気も、すっと消えていきました。
4.エピローグ:夜景とご褒美
「……結局、あの手紙はどうしたんですか、先輩」
深夜、ホテルの裏口から出てきた二人は、信義区の夜景を見上げていました。
「林さんに預けたよ。当時のベルボーイは、今はもうこのホテルの総支配人になっているそうだ。きっと、彼の手まで届くさ」
蓮の言葉に、美鈴は「ロマンチックですね」と少しだけ顔をほころばせました。
「さて、後輩さん。一流ホテルの依頼だ、報酬も期待できる。何か食べて帰るか」
「決まってます! ホテルの近くにある『鼎泰豊』の小籠包です! 本店の行列は凄いですけど、この時間なら分店で持ち帰りができるはずですから」
「はは、結局そうなるか。だが賛成だ。シャドウにも、美味しい肉まんを分けてやらないとな」
二人は2000年代の台北の輝きの中へ、カローラ・アルティスを走らせました。
姿なき宿泊客が残していったのは、恐怖ではなく、数十年前の温かな感謝の記憶でした。
第27話、完。




