第二十ニ話「鬼月の狂騒、迷える宴」
台湾祓清愛哀歌:第二十二話「鬼月の狂騒、迷える宴」
1.門が開く街
旧暦七月、台湾。この時期は「鬼月」と呼ばれ、あの世の門が開き、幽霊たちが現世へと里帰りする一ヶ月とされています。
台北の街角には、あちこちに供え物を並べた供物台が置かれ、先祖や「好兄弟(ハオションディ:無縁仏への敬称)」をもてなすための紙銭(金紙)を焼く煙が立ち込めていました。
「……暑い。煙い。そして、視えすぎます……」
双霊相談事務所のベランダで、美鈴がぐったりと机に突っ伏していました。霊感の強い彼女にとって、街中に幽霊が溢れかえるこの時期は、満員電車の中に一ヶ月間閉じ込められているようなものです。
「後輩さん、無理するな。この時期の依頼は、市役所からも『緊急性の高いものだけ』に絞るよう言われてるからな」
蓮は窓を閉め、冷房の温度を下げました。
その時、タイミングを見計らったようにiMacがメールの受信音を鳴らしました。市役所の林担当員からです。
「……龍山寺近くの広場。中元普渡(大規模な供養祭)の準備中に、お供え物が次々と『凍りつく』現象が起きているそうです。……これは、ただの幽霊じゃないわ」
2.凍てつく宴
黒のトヨタ・カローラ・アルティスで龍山寺付近へ向かうと、そこは異様な光景でした。
真夏にもかかわらず、広場の一角だけが白く凍りつき、豪華に並べられた豚の丸焼きや果物の上に、薄く霜が降りています。周囲の人々は「好兄弟の怒りだ」とパニックになっていました。
「先輩、あそこ! 祭壇の真ん中に、すごく古い軍服を着た男の人が立っています」
美鈴が震える指で指し示しました。彼女の目には、周囲の喧騒を一切無視し、ただ一心に机の上の食べ物を「拒絶」するように睨みつける軍人の幽霊が視えていました。
「軍人か。……旧日本軍の生き残り、あるいはその時代の亡霊か」
蓮が帰真剣を手に、慎重に間合いを詰めます。しかし、彼が数歩踏み込んだ瞬間、足元のタイルがパリパリと音を立てて凍りつきました。
「近寄らないで、と彼は言っています。……ううん、違う。彼は『毒が入っているから、食べるな』と警告しているんです!」
美鈴の叫びと同時に、シャドウが霊的な冷気の渦の中へ飛び込みました。黒いラブラドールレトリバーの姿をした分霊は、冷気を物ともせず、幽霊の足元に座り込んで小さく鼻を鳴らしました。
3.解かれた誤解
「毒……? ああ、そうか。戦時中の飢餓や毒殺の記憶が、彼を縛っているのか」
蓮は剣を収め、代わりに一枚の符を空高く放り投げました。
「道法無辺、清浄の理をここに! 彼の眼を曇らせる古い記憶を、今だけ払い落とせ!」
符が燃え上がり、温かな光が広場を包み込みました。
美鈴の視界の中で、軍人の幽霊がハッとしたように周囲を見回しました。彼は、ここが戦場ではなく、現代の平和な台北であり、自分を歓迎するための宴が開かれていることを、ようやく理解したようでした。
「先輩、今です! 彼はもう、戦わなくていいんだって教えてあげて!」
蓮は再び帰真剣を抜き、今度は優しく、空を撫でるように一閃しました。
「帰真――お前の戦いは、もう半世紀以上前に終わっている。この宴は、お前の苦労を労うためのものだ。安心して、本来の場所へ還るがいい」
送魂の光が、凍りついた祭壇を溶かしていきます。軍人の幽霊は、最後にシャドウの頭を一度だけ撫でるような仕草を見せ、満足そうに深い一礼をして、煙の中に消えていきました。
4.エピローグ:夜市の温もり
「……ふぅ。鬼月の幽霊は、いつも以上に感情が剥き出しで疲れますね」
事件解決後、二人は龍山寺近くの夜市を歩いていました。
「だが、あの軍人も、最後は笑っていたように見えたよ。……美鈴のおかげだな」
「先輩、珍しく素直じゃないですか。ご褒美に、今日は『マンゴーかき氷(芒果冰)』を奢ってくださいね! 身体を温めるのも大事ですけど、今は冷たいものが食べたいです!」
二人は山盛りのマンゴーが載ったかき氷を一つのスプーンでつつき合いながら、賑やかな夜市の雑踏に紛れていきました。
「……ところで先輩。ブログのタイトル、決まりました。『凍りついた供物台と、微笑む軍人』。……あ、先輩が冷気で滑って転びそうになった写真、隠し撮りしてたので載せちゃいますね!」
「おい、それは消せ! 事務所の威信に関わるだろ!」
賑やかな笑い声と共に、台北の鬼月の夜は更けていきます。幽霊も人間も、同じ空の下でひとときの宴を楽しむ、そんな不思議な季節の出来事でした。
第22話、完。




