第二十一話「電子の鎖、届かね返信」
台湾祓清愛哀歌:第二十一話「電子の鎖、届かぬ返信」
1.掲示板の怪
台北の夏空の下、双霊相談事務所ではiMacの冷却ファンがフル回転していました。
「……先輩、これを見てください。最近、台北の若者たちの間で流行っている『迷い犬』というスレッドです」
美鈴が画面を指差します。2000年代初頭、インターネット掲示板は情報を求める若者たちの聖域でした。
「『迷い犬』? 掲示板でペットを探してるのか?」
蓮が八極拳の套路を終え、汗を拭いながら覗き込みます。
「いいえ。スレッドに書き込まれた『特定のURL』をクリックすると、携帯電話に真っ黒な犬の画像が届くんです。それを受信した人は、数日以内に高熱を出して倒れ、うわ言で『返さなきゃ』と繰り返すようになる……。林さんからも、これに関連した霊障の調査依頼が来ています」
「デジタルを媒介にした催眠効果か。厄介だな。発信源はわかるか?」
「書き込みのIPアドレスを辿ったら、西門町の古いネットカフェに行き着きました。行きましょう、先輩」
2.ノイズの中の咆哮
二人は黒のカローラ・アルティスで、若者のエネルギーが渦巻く西門町へ向かいました。
たどり着いたのは、雑居ビルの地下にある薄暗いネットカフェ。当時はまだ珍しい常時接続の回線を求めて、多くの若者がモニターに向かっていました。
「……っ。先輩、ここです。空気が静電気みたいにバチバチしてる」
美鈴が眉をひそめます。彼女の目には、店内のLANケーブルを伝って、どす黒いノイズのような霊気が這い回っているのが視えていました。
「シャドウ、お願い!」
美鈴が唱えると、影から黒いラブラドールレトリバーのシャドウが躍り出ます。シャドウは特定のサーバーラックに向かって、激しく吠え立てました。
すると、店内の全モニターが一斉に暗転し、そこからドロドロとした黒い影が這い出してきました。それは、多くの人の「孤独」と「返信を待つ焦り」が電子のノイズと混ざり合い、犬のような形を成した霊的変異体でした。
3.繋がらない想いの祓清
「実体がない……! 後輩さん、座標を!」
蓮が帰真剣を抜き放ちますが、霊体はモニターの間を高速で移動し、物理的な攻撃を寄せ付けません。
「先輩、あれは幽霊というより、電子の海に溜まった『未練のゴミ』です! 結界で動きを止めてから、大元のサーバーを浄化してください!」
美鈴がケルト魔術の呪文を唱え、シャドウが霊体の影を噛み切り、その動きを一瞬だけ封じました。
「道法無辺! 魂を本来の場所へ導かん!」
蓮は符術をサーバーラックに貼り付け、帰真剣をその中心へと向けました。彼は視えない敵に対し、美鈴の声とシャドウの唸り声だけを頼りに、一点に精神を集中させます。
「届かなかった言葉も、伝えられなかった想いも、すべて現世の軛を解いて消え去れ。――帰真!」
蓮の放った送魂の力が、サーバーを通じてネットワーク全体に波及しました。
画面を覆っていた黒いノイズが、まるで古いテレビの砂嵐が消えるように静まり、店内に本来の静寂が戻りました。
4.エピローグ:画面越しの救い
事件後、掲示板の「迷い犬」スレッドは跡形もなく消え、倒れていた若者たちも次々と回復に向かいました。
「……結局、あのアドレスをクリックして届いた『黒い犬』は、誰かに自分の存在を気づいてほしかった寂しさの塊だったのかもしれませんね」
美鈴が事務所のiMacで報告書を作成しながら、ポツリと呟きました。
「21世紀になって便利になっても、人の心の隙間は埋まらないもんだな」
蓮は窓の外の台北の夜景を見つめました。
「さて、先輩。今日は頭を使いすぎて糖分が足りません! 西門町で食べ損ねた『雪王冰淇淋』のアイス、テイクアウトしてきてくれましたよね?」
「ああ、もちろん。後輩さんの分は、ちょっと珍しい『肉鬆(肉でんぶ)』味にしておいたぞ」
「えっ、普通にマンゴーが良かったです! 先輩のいじわる!」
笑い合う二人の後ろで、シャドウが満足そうに欠伸をしました。
電子の海に漂う哀しみも、二人の手にかかれば、いつかは静かな眠りにつくことができるのでしょう。
第21話、完。




