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台湾祓清愛哀歌ー祓清の絆  作者: シットライヌ
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第ニ話「淡水、夕陽の迷い子」

台湾祓清愛哀歌:第二話「淡水、夕陽の迷い子」

1.予兆

台北の午後は、湿った熱気が街全体を包み込んでいました。

大同区の事務所では、蓮が扇風機の前で八極拳の「震脚」を響かせ、床を揺らしています。

「先輩、暑苦しいです……。冷房の効きが追いつきませんよ」

美鈴がiMacの画面を見つめたまま、パタパタと手元を仰ぎました。

「心頭滅却すれば……と言いたいが、確かに今日は堪えるな。後輩さん、何か新しい依頼は?」

「ええ。市役所の林さんから紹介された、個人の方です。淡水に住むおじいさんからで、『孫娘が、海に向かって誰かと話している』と」

蓮は動きを止め、タオルで首筋を拭いました。

「子供の霊障か。放っておくと、そのまま『あちら側』に引きずり込まれる可能性があるな。急ごう」

2.潮風と影

黒のトヨタ・カローラ・アルティスを走らせ、二人は台北から北の港町、淡水へと向かいました。2000年代初頭の淡水は、古き良き石畳の街並みと、新しく整備された遊歩道が混じり合う不思議な活気に満ちていました。

依頼人の古い一軒家を訪ねると、そこには疲れ果てた表情の老人が一人と、虚空を見つめて笑う5歳ほどの少女、シュウメイちゃんがいました。

「……いるわ。でも、悪意じゃない」

美鈴が小声で呟くと、足元からシャドウがヌッと姿を現しました。黒いラブラドールレトリバーの姿をした分霊は、少女の背後、何もない空間に向かって低く唸ります。

「後輩さん、何が視える?」

蓮には、ただの穏やかなリビングにしか見えません。

「……若い女性です。昔のセーラー服のような服を着ている。でも、身体が透けすぎていて、自分が幽霊だという自覚すら薄いみたい」

その女性の幽霊は、シュウメイちゃんに優しく語りかけ、海の方へと手を引こうとしていました。それは悪意ある誘いではなく、「一緒に遊びに行こう」という純粋で、それゆえに断りきれない強力な催眠効果を伴っていました。

3.黄昏の追跡

日が沈み始め、淡水の海がオレンジ色に染まる頃。少女はふらふらと家を出て、海岸沿いの旧い桟橋へと向かいました。

「まずい、あの先は崩れかかっている! 後輩さん、シャドウで動きを止めろ!」

美鈴が指を鳴らすと、シャドウが弾丸のように飛び出し、少女の影を物理的に踏みつけるようにして固定しました。ケルト魔術による「影縫い」です。

驚いて立ち止まる少女。その隣で、セーラー服の幽霊が悲しそうに顔を歪めました。

「先輩、今です! 彼女、自分が死んだことに気づいて、誰かに見つけてほしかっただけなんです。でも、このままじゃシュウメイちゃんまで連れていかれちゃう!」

蓮は帰真剣を抜き放ち、八極拳の歩法で一気に間合いを詰めました。

霊感のない蓮には、幽霊の姿は「空気のわずかな揺らぎ」としてしか感じられません。しかし、美鈴の視線とシャドウの位置が、正確な座標を彼に伝えていました。

「道教のことわりに照らし、迷える魂を導かん」

蓮は符術を剣に纏わせ、幽霊と少女を繋ぐ「未練の糸」を鮮やかに断ち切りました。幽霊が驚いて動きを止めた瞬間、蓮の送魂が始まります。

「君の時間は、もうここにはない。だが、君の孤独は終わった。……還るべき場所へ、迷わず行け」

剣先から放たれた柔らかな光が幽霊を包み込みます。セーラー服の少女は、最後に一度だけ美鈴を見て、小さく会釈をしてから、夕陽の彼方へと溶けるように消えていきました。

4.阿給アゲの味

シュウメイちゃんは、糸が切れたように蓮の腕の中に倒れ込みましたが、すぐに穏やかな寝息を立て始めました。

「……終わりましたね、先輩」

美鈴がシャドウを自身の影に戻し、大きく伸びをしました。

「ああ。霊障による身体被害も、これなら最小限で済むだろう。林さんには、解決したと報告しておいてくれ」

帰りがけ、二人は淡水名物の阿給アゲの屋台に立ち寄りました。

油揚げの中に春雨を詰め、魚のすり身で蓋をして蒸し上げた料理に、甘辛いタレがたっぷりかかっています。

「はふはふ……美味しい。淡水に来たら、やっぱりこれを食べないと」

美鈴が頬を膨らませて笑います。

「後輩さんは、本当に食べ物の時だけは幸せそうだな」

「失礼ですね! 私はホームページの更新だって、ちゃんと幸せを感じながらやってますよ」

オレンジ色から藍色へと変わっていく淡水の空。

蓮は、隣で阿給を頬張る相棒を見ながら、自分たちが救った小さな平穏を噛み締めていました。

「……さて、明日はホームページにどんなブログを書くんだ?」

「タイトルは決めてます。『夕陽と少女と、時々、剣士』。……あ、先輩の八極拳の写真はボツですからね!」

二人の笑い声が、潮騒の中に溶けていきました。


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