第十一話「休日の残り香、西門町の幻」
台湾祓清愛哀歌:第十一話「休日の残り香、西門町の幻」
1.道場としての事務所、市場としての街
日曜日。大同区の古いビルには、仕事の依頼メールも、市役所の林さんからの緊急連絡も届いていません。しかし、佐藤蓮の日課は変わりません。
「……ふっ、はっ!」
事務所の中央で、蓮の八極拳が空気を切り裂きます。踏み込みの一撃が床を鳴らし、窓ガラスが微かに震えました。
「先輩、もうお昼ですよ。今日は休みって決めたじゃないですか」
ソファで愛犬(分霊)のシャドウの頭を撫でていた李美鈴が、呆れたように声をかけました。
「悪い。体が鈍ると、いざという時に帰真剣の重さに振り回されるからな」
「修行もいいですけど、今日は光華商場に付き合ってくれる約束です。iMacのメモリを増設しないと、枢栄会の呪詛ノイズを解析する時にフリーズしちゃうんですから」
2000年代初頭、台北の秋葉原と呼ばれる光華商場は、マニアックな電子機器と熱気で溢れていました。蓮は苦笑いしながらタオルを手に取りました。
「わかったよ。カローラを出すほどでもないな、MRT(地下鉄)で行こうか」
2.2000年代の喧騒、西門町
用事を済ませた二人は、その足で若者の街・西門町へと繰り出しました。
当時の西門町は、日本のポップカルチャーが色濃く混ざり合い、大型ビジョンからはJ-POPが流れ、若者たちが最新のファッションに身を包んで闊歩していました。
「……賑やかだな。幽霊が実在する世界だっていうことを、みんな忘れてるみたいだ」
蓮が雑踏を見渡して呟くと、美鈴は少し寂しそうに微笑みました。
「それでいいんですよ、先輩。私たちが戦っているのは、こういう普通の日々を守るためなんですから」
その時、美鈴の隣を歩いていたシャドウが、ある「プリクラ」のブースの前で立ち止まり、不思議そうに首を傾げました。
「……先輩、見て。あそこのブースだけ、霊的な『ノイズ』が混じってる」
美鈴が霊感を研ぎ澄ますと、ブースのカーテンの隙間から、ぼんやりとした青白い光が漏れていました。
3.「視えない」記念写真
二人がブースの中を覗くと、そこには誰もいないはずなのに、機械が勝手に起動し、カウントダウンを始めていました。
「幽霊か? だが、悪意は感じないな」
蓮が帰真剣の代わりに持っていた買い物袋を置き、周囲を警戒します。
「……女の子です。数年前、ここで友達と撮るはずだった約束を守りに来たみたい。でも、彼女はもう、実体としての姿を現せないくらい薄くなってる」
美鈴の目には、泣きそうな顔で操作パネルの前に立つ、セーラー服の少女が映っていました。彼女は「シャッター」を押す力がなく、立ち尽くしていたのです。
「……送魂するまでもない、小さな未練だな。後輩さん、手伝ってやれるか?」
「はい!」
美鈴が少女の手の上にそっと自分の手を重ね、代わりにシャッターボタンを押しました。フラッシュが瞬き、機械からウィーンという音と共に写真がプリントされてきます。
出てきた写真には、美鈴の隣で、透けるような笑顔を浮かべる少女の姿が一瞬だけ写り、そしてすぐに消えていきました。
少女の霊は満足したように霧散し、温かな風だけがブースに残りました。
4.エピローグ:阿宗麺線の幸せ
「休日までお節介しちゃいましたね、先輩」
「いいじゃないか。たまには剣を振るわない解決も悪くない」
二人は西門町の名物、「阿宗麺線」の前に並びました。
立ち食いスタイルが基本のこの店では、常に大勢の客が熱々のカップを手にしています。カツオ出汁が効いたとろみのあるスープに、モツの旨味が溶け込んだ細麺。
「ふー、ふー……熱い! でも、パクチーを多めに入れると最高に美味しいです」
「後輩さんは本当に美味そうに食うな。……ほら、シャドウも欲しそうな顔をしてるぞ」
「ダメですよ、これは私の一部なんですから、私が食べる=シャドウが食べるってことです!」
二人の笑い声が、2000年代の台北の喧騒に溶けていきました。
救い出した小さな幸せと、手に残る麺線の温かさ。
明日からまた始まる「影」との戦いに向けて、二人の心は少しだけ軽くなっていました。




