4.殺意の因数分解
割り当てられた自室へ戻る途中、廊下の天井灯がわずかに明滅した。自分と佐々木のほかには誰もいない白い通路に、二人分の足音だけが、やけに大きく反響している。
自室に着くと、佐々木も無言のまま続いて入ってきた。両腕には、いくつもの端末を抱えている。その動きに、ためらいはなかった。
「先ほどの続きとなりますが、いくつか報告があります。相澤様が目を覚ましてから二週間。つまり、初回襲撃からは一ヶ月と二週間が経過しています」
俺は頷き、ベッドの縁に腰を下ろした。
視線だけで続きを促すと、佐々木は迷いなく端末を操作した。
「被害の拡大は、依然として重大な問題です。直接の破壊だけでなく、難民の急増や医療資源・衛生環境の逼迫が深刻化しています。我が国のみならず、とくに南半球諸国では、寒冷地への避難が困難で……」
「数字を」
「我が国の避難民は推定約四十万人。国外からの流入も含めると七十万を超える見通しです。
死者・行方不明者は六万四千名ほど、被災地外での二次的な影響による死者も、すでに一万人を超えています」
俺は静かに呼吸を整えた。予想はついていた。それでも、数字として突きつけられる現実は、どこまでも重い。
「防衛体制は?」
一瞬の間を置いて、佐々木は次の端末を開いた。
「国際共同防衛研究機関「VELUCT」が設立されました。
正式名称は“Viable Entity-Level Unification for Counter-TARAK”。
これは、TARAK-Xを『生きた個体として直接対応可能な存在』と認定し、個体単位で対抗策を講じる枠組みです。
現在、二十七カ国が参加を表明しており、技術共有とデータ統合が進められています」
俺はその言葉を、胸の内で反芻する。
生きているなら、殺せる――各国もまた、同じ結論に辿り着いたということだ。
「……サンプルは?」
「はい。これまでに確認・回収されたTARAK-X由来の物質は、計四十三点です。そのうち主要な十項目について、報告書の記述をそのまま読み上げます。自分には専門外の内容ですので、解釈はお任せいたします」
そう前置きしてから、彼女は端末をスクロールしていく。
「一、外殻断片:長さは約23センチ、金属と有機質の複合構造です。
二、内部粘膜様組織:紫色で乾燥せず、常に湿度を保ちます。
三、発光器官と思われる構造物:高エネルギー反応を確認済み」
少し息継ぎをして、後半に入る。
「四、黒色液体:高分子構造を持つが、外部反応性は極端に低い。
五、未同定の軟組織:柔軟性と自己修復性を併せ持つ。
六、微細な毛状体:表面に異常な電荷分布を確認」
最後に、残りを読み上げた。
「七、細胞核に酷似した構造物。周囲と情報を伝達する反応があります。
八、空間内熱分布を変化させる“膜”の断片。
九、音波によって活性を変化させる結晶体。
十、未知の遺伝情報を含む微粒子構造」
読み終わる頃には、部屋の空気がほんのわずかに重くなっていた。
「……つまり、“臓器”と“血液”と“神経”が、それぞれ別素材で作られてるってことだな」
「はい。少なくとも、非機械的な有機構造体とみなすのが妥当です。
呼吸や代謝といった活動も、間接的ながら複数のセンサーで検出されています」
呼吸している。血が流れている。再生する。
つまり――生きている。
「俺をサンプル解析チームに入れてくれ」
俺の言葉は平坦だった。
だが、その裏で渦巻く熱は、先ほど佐々木の前で、隠しようもなく露呈していた。彼女が干渉してこないというスタンスであるなら、取り繕うことも無駄だ。この意図も伝わっていたに違いない。
「了解いたしました。上層部へ推薦として申請いたします」
佐々木はそう返したが、彼女の瞳が一瞬だけ揺れたのを、俺は見逃さなかった。
部屋には、静寂が戻る。
佐々木は無言のまま退室し、扉が閉じる。
残されたのは、俺と――俺の中に巣食う、複数の“声”だった。
【観察者】
まずは解体しろ。分子の単位、原子の単位、情報の単位にまで分けてしまえ。
細胞膜の配置、器官の対称性、自己修復のトリガー構造。とりわけ、あの発光器官――光の波長は何を意味する。
生体信号なのか。音波結晶体は共振する。ならば、破壊できる周波数も必ずある。すべてを数値へ変えろ。理解とは、分解であり、支配だ。
【演算者】
仕組みの次は、制御だ。
この反応には、どんな入力を与える?
この再生には、どこまでの破壊に耐える?
“殺す”という行為は、ただ暴力を振るうことじゃない。
止めること。機能を壊すこと。動きを断つこと。それこそが“殺害”だ。
必要なのは解法であり、命題は単純そのもの。この世界に“再生できない方法”が存在すると、証明してみせろ。
【実行者】
……遅い。
時間が足りない。準備が足りない。
根拠はない。それでも、あいつはまた必ず来るという確信だけが、腹の底にある。
ならば、まず叩け。
発光部位を潰し、神経らしき束を焼け。
言葉も通じない。感情もない。
構造体か、知性体か――そんな区別に意味はない。ナミを食ったそれは、殺される側だ。ただ、それだけの存在だ。
【破壊者】
心臓があるか?関節があるか?関係ない。
骨を軋ませ、肉を裂き、動きを封じ、機能を消せ。
再生?させるな。細胞に猶予を与えるな。
破壊は完全でなければならない。
“殺したつもり”は許されない。“終わったつもり”も許されない。
焼き、穿ち、潰し、抉れ。
あの日の無力を、あの無音を焼き潰せる唯一の方法は、滅却だけだ。
【叫び】
ナミを返せ。
ナミを返せ。
ナミを――返せ。
理解も分析もいらない。脳も、口も、手も、ただ“殺す”のためにある。
それが俺のすべてだ。
お前を殺すために、俺は今、生きている。
俺は机に置かれた端末をじっと見つめる。
映像の中でTARAK-Xが呼吸していたように見えたのは、ただの錯覚だったかもしれない。
だが、錯覚ごと殺せばいい。
「観察して、理解して、破壊する」
呟きは自分の声だったが、どの声そのものでもなかった。
それらすべてが、俺自身なのだ。
目標は明確に定め、手段は柔軟に選ぶ。感情は冷やし、衝動は封じる。
それでも、毒だけは消さない。
――殺す。
知識で。計算で。意志で。
そして、この手で。




