↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/69

14.棄てられた遺物


 一刻の猶予もない。


 古川の言葉を聞いた時点で、判断は終わっていた。


 続いて、深見から低い声で通信が入る。


『あと数分で初動隊員が到着する。相澤君はこのまま移動を開始してくれ』

 

 それを受け、俺はTARAK-X(ターラクス)の死体から視線を外し、トリックスターへ意識を向ける。


「トリックスター。先ほどの座標へと向かう」


〔ハーイ!〕


 返事は軽い。


 死体の前に立っているという状況も、次の戦場へ向かうという重さも、トリックスターの声には乗らない。

 それが今は、かえって都合がよかった。


 感情の重さは邪魔になる。

 殺すためには、軽い方がいい。


 足元の瓦礫が遠ざかる。

 黒い死体が視界の端へ流れ、死んだ街の匂いが薄くなる。

 焦げた樹脂と湿った土の気配が消え、代わりにトリックスターの内側へ、移動前の静かな圧力が満ちていく。


 世界がまた、速さの中へ引き延ばされる。


 その直前、通信が繋がった。


『ナギ……?』


 亜美の声だった。


 映像も開く。

 画面の向こうに映った亜美は、先ほどの礼服のままだった。

 淡い紺色の布は乱れ、肩のあたりに薄い埃が付いている。

 髪はハーフアップの形をかろうじて残していたが、細い後れ毛が頬に張りついていた。


 頬には、泥のような汚れが一筋ついている。


 晩餐会の会場から避難誘導か、負傷者対応か、資料搬送か。

 何をしていたのかは分からない。

 ただ、亜美も安全な場所で待っていたわけではないらしい。


『どうして、私が……?』


 問いは当然だった。


 今この場で、ただの研究補助員を呼ぶ理由は普通ならない。

 戦場にいるのは俺で、機体を動かすのはトリックスターだ。

 VELUCT(ヴェルクト)には深見も古川もいる。技術員も揃っている。


 それでも、呼ぶ必要があった。


「逆信号照射装置、Phracture(フラクチャ)だ」


 亜美の表情が変わった。


 困惑が一瞬で引き、代わりに思考の色が浮かぶ。

 研究室で何度も見た顔だった。

 怖がりながらも、理解しようとする時の顔。

 無理だと思っても、それでも目の前の構造を追おうとする顔。


『Phracture(フラクチャ)……?』


 古川の声が割って入る。


『ナギ君。トリックスターがいるのに、今さら失敗作を引っ張り出してどうするんだい?』


 失敗作。


 その言い方に、亜美の肩が小さく揺れた。

 だが、彼女は黙らなかった。


『待ってください』


 亜美の声が、少しだけ強くなる。


『Phracture(フラクチャ)をトリックスターに搭載して、補正してもらう。完全に沈黙させる……ってこと?』


「あぁ」


 返答に迷いはなかった。


「多分、Phracture(フラクチャ)の論理は的外れではなかった。足りなかったのは、照射精度か、干渉式の補正か、あるいはTARAK-X(ターラクス)側の構造理解だ」


 視界の端で、トリックスターの移動予測が流れる。

 距離が削れていく。

 山。夜。海に近い湿った空気。

 地形が線になり、全方位視界の中で滑っていく。


「そこにトリックスターの知識を使えば、無傷のサンプルが手に入る可能性がある」


 回線の向こうが、一瞬だけ静かになった。


 古川も。

 深見も。

 亜美も。


 全員が、その意味を理解したのだろう。


 壊さずに殺す。

 殺して、残す。

 残して、調べる。


 それができるなら、次からの殺し方が変わる。


「自国で試してもいい。ただ、自国では殲滅が最優先ですよね」


 俺は言葉を続ける。


「今の東縁列島、内陸圏で求められているのは時間稼ぎです。一か八かを試すには、絶好の機会では?」


『絶好、か』


 古川の声は低かった。


 怒っているわけではない。

 笑っているわけでもない。

 政治と軍事と研究と倫理を、同じ皿の上で計量している声だった。


 トリックスターの声が、そこへ軽く割り込む。


〔アト ニフン デ ツクヨー!〕


 速い。

 分かっていたが、それでも異常だった。


「Phracture(フラクチャ)のデータをください。現場での調整は、俺と五十嵐が担当します」


『ナギ君』


 古川が俺の名前を呼ぶ。

 その短い声だけで、考えを巡らせているのが分かった。


 通信の奥で、アラートが鳴り続けている。

 誰かが被害状況を読み上げる。

 別の誰かが座標を復唱する。

 遠くの戦場で、今も量産機がTARAK-X(ターラクス)を止めようとしている。


 時間はない。


〔モウ ツクヨー!〕


 トリックスターが、楽しそうに告げる。


「判断を」


 俺は短く言った。


 古川の息が、回線の向こうで止まる。

 それから、ひどく重い声が返ってきた。


『分かった。全てのデータを今から渡す』


 そこで一拍置く。


『だが、分かっているな』


「えぇ」


 分かっている。


 トリックスターに情報を渡す。

 正体不明の機体に、こちらの研究成果を読ませる。

 何を理解し、何を持ち去り、何に変換するのかは分からない。


 危険だ。


 正気ではない。


 だが、それは今さらだった。


「トリックスターに情報を渡すリスクは百も承知です。でも、俺は殺すための手段を択ばない」


 亜美が息を呑む音が聞こえた。


 小さな音だった。

 それでも、妙に近く届いた。


 亜美は多分、俺が何を言っているのか分かっている。

 分かってしまった。

 だから息を呑んだ。


 俺はその音を、照準の外へ押し出す。


「トリックスター。この資料を読み込んで、より良い武器にしろ」


〔オー!〕


 トリックスターの声が弾んだ。


 次の瞬間、膨大な情報が流れ込む。

 Phracture(フラクチャ)の基礎理論。

 逆信号の波形、照射装置の仕様、干渉失敗時の記録、照準補正の限界値。

 亜美たちが積み上げてきた失敗の層。


 数字と図面と波形が、トリックスターの中へ吸い込まれていく。


 人間が何日もかけて読む量だった。

 人間が数ヶ月かけて作った傷だった。


 それを、トリックスターは遊ぶように眺めていた。


〔……ウン! ジュンビ デキタヨ!〕


 早すぎる。


 技術員の誰かが、回線の向こうで息を呑んだ。

 喉が鳴る、湿った小さな音が聞こえた。

 その気持ちは分かる。


 分かるが、止まらない。


 同時に、視界へ戦場が飛び込んできた。


 東縁列島、内陸圏。


 夜の山間部に、破壊された施設の灯りが滲んでいる。

 火災の赤。警告灯の橙。

 量産機の外装を走る白い反射。

 その全ての中で、TARAK-X(ターラクス)が立っていた。


 黒い異物。

 背後の円環。

 青白い光。


 それと向き合っている量産機は、明らかに限界だった。


 脚部の動きが鈍い。

 肩の装甲が抉れている。

 銃を構える腕がわずかに下がる。

 回避動作のたびに、姿勢の復帰が遅れている。


 パイロットの疲弊が、そのまま機体の遅れとして出ていた。


『さっきと同じように、円環部を狙って』


 亜美が言った。


 声は震えていた。

 だが、言葉は止まらない。


『トリックスターさんが可能なら、出力は抑えて様子見から始めた方が良いと思う。いきなり最大で当てると、Phracture(フラクチャ)側の干渉がどう出るか分からない』


『横から失礼』


 深見の声が入る。


『五十嵐君に同意見だ。トリックスターの補助を手に入れたPhracture(フラクチャ)は未知数だ。出力次第では、対象が木っ端微塵になる可能性もある』


 木っ端微塵。


 それは困る。

 今欲しいのは死体ではない。

 もっと綺麗なものだ。

 もっと内部が見えるものだ。

 殺した後に、次の殺し方を教えてくれるものだ。


「トリックスター」


〔ナニ?〕


「お前が組み立てている計算式を、なるべくこちらの物理法則に落としてデータ化してくれ」


〔イイヨー!〕


 気楽な声が響いた、その時だった。


 ガゴン、と鈍い音が響いた。


 量産機が、TARAK-X(ターラクス)の脚部で弾き飛ばされた。

 地面を削りながら後退し、背中から斜面へ叩きつけられる。

 土砂が跳ね、折れた木が宙へ舞う。

 装甲の継ぎ目から白い火花が散った。


 少女の悲鳴のような呼吸が、通信の奥で漏れる。


 東縁列島の代理パイロットは、もう限界だった。


 時間がない。


 理論も、検証も、調整も、全部足りない。

 だが、ここで待てば、あの量産機は潰される。


「時間がない。トリックスター」


〔ン?〕


「とりあえず壊すな。行くぞ」


〔イックヨー!〕


 返事は明るい。


 俺はその無邪気さを聞きながら、前へ出る。


 Phracture(フラクチャ)の補正データが、視界の端でまだ形を変えている。

 亜美の声が、回線の向こうで何かを言いかける。

 深見が数値を読み上げる。

 技術員が、トリックスターから返ってきたデータにまた息を呑む。


 それら全てを聞きながら、俺の身体はもう新しい戦場へ踏み込んでいた。


 夜の空気が裂ける。

 土と金属の匂いが濃くなる。

 倒れかけた量産機の向こうで、TARAK-X(ターラクス)の円環が青白く光っている。


 殺す。


 ただし、今度は壊しすぎないように。


 トリックスターは虚空へ踏み出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。