↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/69

15.死の福音


 倒れかけた量産機の向こうで、TARAK-X(ターラクス)の円環が青白く光っていた。


 世田谷の個体と、全く同じ形をしている。


 ただ、こちらは、黒い外殻に火災の赤が薄く映っていた。

 濡れた土や焦げた樹脂、砕けた装甲から漏れる熱を持った金属の匂いが、生々しく伝わってくるようだった。


 俺はここにいるはずなのに、何も現実味がない。


 量産機の膝が、地面へ沈みかけ、片腕はまともに上がっていない。

 それでも、まだ銃口だけはTARAK-X(ターラクス)へ向けられていた。

 代理パイロットは、まだ折れていないが、次はない。


「トリックスター! 右の手のひらから、Phracture(フラクチャ)を出力しろ!」


〔ドーン! ッテ ダスヨー〕


 返事は相変わらず軽い。


 指示通り、右の手のひらに、照射装置の代わりとなる干渉場が形成された。


 視界の端では、Phracture(フラクチャ)の補正データが形を変え続けている。

 人間の式。

 トリックスターの式。

 そのどちらにもなりきれない何かが、右手の内側へ収束していく。


 熱はない。

 重さもない。


 だが、右の手のひらに、薄い圧力が生まれたように感じた。

 皮膚の内側から、見えない膜を押し広げられているような感覚があった。


 眼前のTARAK-X(ターラクス)に全神経を集中させる。


「行くぞ」


 トリックスターを信用する。


 信用したいわけがない。

 ただ、この機体は出来ないことは出来ないと言う。

 出来る時だけ、無邪気に肯定する。


 なら、今は使うしかない。


 トリックスターが地面を蹴った。


 砕けた道路が後ろへ流れる。

 倒れかけた量産機の横を抜け、TARAK-X(ターラクス)の円環が迫る。


 青白い光が、右手の先で滲んだ。

 円環の内側は、光っているのに、温度だけが存在しないように見える。


 俺はトリックスターの右手を叩き込んだ。


 TARAK-X(ターラクス)の円環部へ。

 壊すためではなく、沈黙させるために。


 キュイン。


 人間の聴覚に変換するなら、そういう音に近い。


 空気が震えたのか。

 通信が歪んだのか。

 Phracture(フラクチャ)が、TARAK-X(ターラクス)の内部へ届いた音なのか。


 分からない。


 ただ、その瞬間、TARAK-X(ターラクス)の動きが止まった。


 脚部が地面を踏み込んだ姿勢のまま固まる。

 胴体の揺れが消える。

 円環の輪郭が、青白い光を抱えたまま静止する。


 止まった。


 だが、停止は信用できない。


 忘れるわけがない。

 熊谷外縁。

 二十三時四十三分。


 あの時も、止まっていた。

 止まっていたはずだった。

 なのに、停止させたはずのTARAK-X(ターラクス)は平然と動き出して、亜美は捕食され、俺も死にかけた。


 停止という言葉は、もう安全を意味しない。


「亜美! 補足を!」


 返事はなかった。


 通信の奥に、細いノイズだけが走る。

 ザザ、と乾いた砂を擦るような音が混ざった。


「亜美!」


 もう一度呼ぶ。


 それでも、返事はない。


 通信が乱れているのか。

 先ほど渡された資料をまだ把握しきれていないのか。

 それとも、Phracture(フラクチャ)とトリックスターの補正結果が、彼女の想定を越えているのか。


 判断できない。


 代わりに、深見の声が入った。


『停止はしている』


 短い言葉だった。

 だが、その後に続く沈黙で、十分だった。


『だが……』


 深見の意図は理解したつもりだ。


 目の前の個体の円環部には、まだ青白い光が残っている。


 世田谷では違った。

 死んだ個体は、円環から発していた青白い光が消えていた。


 しかし、目の前のこれは、まだ青い。


 まだだ。


 俺は右手を離さない。

 トリックスターの掌越しに、Phracture(フラクチャ)の干渉が続いているのを感じる。


 見えない糸を、怪物の内側へ差し込んでいるようだった。

 糸は震え、絡まり、時々こちらへ嫌な冷たさを返してくる。


 右手が冷たい。

 いや、冷たいと認識しているだけだ。

 実際の温度は伝わってこない。


 それでも、骨の内側が冷えていく感覚があった。


「トリックスター、どう見る」


〔?〕


 間の抜けた音だった。


 次の瞬間、トリックスターは当然のように言った。


〔シヌヨ〕


 その言葉が終わるより早く、円環の青白い光が揺らいだ。


 一度、細くなる。

 もう一度、明滅する。

 まるで奥にある電源が、どこか遠い場所から切られていくようだった。


 そして、プツン、と消えた。


 光が消える。


 円環が黒に沈む。

 TARAK-X(ターラクス)の外殻から、わずかに残っていた緊張が抜ける。

 巨大な身体はその場に崩れず、ただ、支えを失ったように沈黙した。


 何が起きたのかは、理解している。


 Phracture(フラクチャ)は届いた。

 トリックスターの補正は成立した。

 少なくとも、再運用は成功した。


 その結果を、乗り越えなければならない。


 口の中が異様に乾いていた。

 唾を飲み込もうとしても、喉がうまく動かない。


 ナミ。


 これでいいのか。

 弔いなのか、復讐なのか。


 ……俺はお前の存在を言い訳にして、ただ研究をしているだけなのか。


 分からない。

 分からないまま、言葉だけを作る。


「VELUCT(ヴェルクト)」


 声が少し掠れた。

 それでも、通信は拾った。


「東縁列島に降下した個体を撃破」


 回線の向こうで、誰かが息を呑んだ。


 亜美の声は、まだ聞こえない。

 深見も、すぐには返さなかった。

 古川の沈黙だけが、やけに重く届いた。


 俺は左薬指を持ち上げる。


 トリックスターの内側で、機体と自分の境界があやふやな中、そこだけは確かに俺の身体だった。

 痛みと熱がある。

 まだ、人間の形をしている。


 左薬指を、そっと唇へ当てた。


 ナミ。


 これで、お前は少しでも浮かばれるのか。


 目の前では、壊れずに死んだTARAK-X(ターラクス)が、夜の中で沈黙していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。