15.死の福音
倒れかけた量産機の向こうで、TARAK-Xの円環が青白く光っていた。
世田谷の個体と、全く同じ形をしている。
ただ、こちらは、黒い外殻に火災の赤が薄く映っていた。
濡れた土や焦げた樹脂、砕けた装甲から漏れる熱を持った金属の匂いが、生々しく伝わってくるようだった。
俺はここにいるはずなのに、何も現実味がない。
量産機の膝が、地面へ沈みかけ、片腕はまともに上がっていない。
それでも、まだ銃口だけはTARAK-Xへ向けられていた。
代理パイロットは、まだ折れていないが、次はない。
「トリックスター! 右の手のひらから、Phractureを出力しろ!」
〔ドーン! ッテ ダスヨー〕
返事は相変わらず軽い。
指示通り、右の手のひらに、照射装置の代わりとなる干渉場が形成された。
視界の端では、Phractureの補正データが形を変え続けている。
人間の式。
トリックスターの式。
そのどちらにもなりきれない何かが、右手の内側へ収束していく。
熱はない。
重さもない。
だが、右の手のひらに、薄い圧力が生まれたように感じた。
皮膚の内側から、見えない膜を押し広げられているような感覚があった。
眼前のTARAK-Xに全神経を集中させる。
「行くぞ」
トリックスターを信用する。
信用したいわけがない。
ただ、この機体は出来ないことは出来ないと言う。
出来る時だけ、無邪気に肯定する。
なら、今は使うしかない。
トリックスターが地面を蹴った。
砕けた道路が後ろへ流れる。
倒れかけた量産機の横を抜け、TARAK-Xの円環が迫る。
青白い光が、右手の先で滲んだ。
円環の内側は、光っているのに、温度だけが存在しないように見える。
俺はトリックスターの右手を叩き込んだ。
TARAK-Xの円環部へ。
壊すためではなく、沈黙させるために。
キュイン。
人間の聴覚に変換するなら、そういう音に近い。
空気が震えたのか。
通信が歪んだのか。
Phractureが、TARAK-Xの内部へ届いた音なのか。
分からない。
ただ、その瞬間、TARAK-Xの動きが止まった。
脚部が地面を踏み込んだ姿勢のまま固まる。
胴体の揺れが消える。
円環の輪郭が、青白い光を抱えたまま静止する。
止まった。
だが、停止は信用できない。
忘れるわけがない。
熊谷外縁。
二十三時四十三分。
あの時も、止まっていた。
止まっていたはずだった。
なのに、停止させたはずのTARAK-Xは平然と動き出して、亜美は捕食され、俺も死にかけた。
停止という言葉は、もう安全を意味しない。
「亜美! 補足を!」
返事はなかった。
通信の奥に、細いノイズだけが走る。
ザザ、と乾いた砂を擦るような音が混ざった。
「亜美!」
もう一度呼ぶ。
それでも、返事はない。
通信が乱れているのか。
先ほど渡された資料をまだ把握しきれていないのか。
それとも、Phractureとトリックスターの補正結果が、彼女の想定を越えているのか。
判断できない。
代わりに、深見の声が入った。
『停止はしている』
短い言葉だった。
だが、その後に続く沈黙で、十分だった。
『だが……』
深見の意図は理解したつもりだ。
目の前の個体の円環部には、まだ青白い光が残っている。
世田谷では違った。
死んだ個体は、円環から発していた青白い光が消えていた。
しかし、目の前のこれは、まだ青い。
まだだ。
俺は右手を離さない。
トリックスターの掌越しに、Phractureの干渉が続いているのを感じる。
見えない糸を、怪物の内側へ差し込んでいるようだった。
糸は震え、絡まり、時々こちらへ嫌な冷たさを返してくる。
右手が冷たい。
いや、冷たいと認識しているだけだ。
実際の温度は伝わってこない。
それでも、骨の内側が冷えていく感覚があった。
「トリックスター、どう見る」
〔?〕
間の抜けた音だった。
次の瞬間、トリックスターは当然のように言った。
〔シヌヨ〕
その言葉が終わるより早く、円環の青白い光が揺らいだ。
一度、細くなる。
もう一度、明滅する。
まるで奥にある電源が、どこか遠い場所から切られていくようだった。
そして、プツン、と消えた。
光が消える。
円環が黒に沈む。
TARAK-Xの外殻から、わずかに残っていた緊張が抜ける。
巨大な身体はその場に崩れず、ただ、支えを失ったように沈黙した。
何が起きたのかは、理解している。
Phractureは届いた。
トリックスターの補正は成立した。
少なくとも、再運用は成功した。
その結果を、乗り越えなければならない。
口の中が異様に乾いていた。
唾を飲み込もうとしても、喉がうまく動かない。
ナミ。
これでいいのか。
弔いなのか、復讐なのか。
……俺はお前の存在を言い訳にして、ただ研究をしているだけなのか。
分からない。
分からないまま、言葉だけを作る。
「VELUCT」
声が少し掠れた。
それでも、通信は拾った。
「東縁列島に降下した個体を撃破」
回線の向こうで、誰かが息を呑んだ。
亜美の声は、まだ聞こえない。
深見も、すぐには返さなかった。
古川の沈黙だけが、やけに重く届いた。
俺は左薬指を持ち上げる。
トリックスターの内側で、機体と自分の境界があやふやな中、そこだけは確かに俺の身体だった。
痛みと熱がある。
まだ、人間の形をしている。
左薬指を、そっと唇へ当てた。
ナミ。
これで、お前は少しでも浮かばれるのか。
目の前では、壊れずに死んだTARAK-Xが、夜の中で沈黙していた。




