↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/69

13.虚空の渇き


 TARAK-X(ターラクス)は、一切の反応を見せなかった。


 横たわったまま、動かない。

 歪んだ円環も、折れたように沈んだ脚部も、こちらを見上げる顔のような部位も。

 そして、円環から発していた、極寒そのものを物体化したかのような青白い光も……消えていた。


 何も動かない。


 夜の中に、巨大な黒だけが残っている。

 粉塵はまだ薄く漂っていた。トリックスターが浮いている少し下の地面で、細かな瓦礫が乾いた音を立てる。


 焦げた樹脂に、割れたコンクリート、湿った土、それと熱を持った金属。

 それらの匂いが、トリックスターの感覚器を通して、俺の鼻の奥へ届いていた。

 実際に嗅いでいるわけではない。

 それでも、伝わってくる空気は本物だった。


「VELUCT(ヴェルクト)」


 通信を開く。


「対象に反応なし。これより判断権を返上します」


 言葉は平らに出た。


 殺した。

 そう言えば、何かが決まってしまう気がした。


 だから、俺は事実だけを告げる。

 判断権を返上し、死の確定をVELUCT(ヴェルクト)に渡す。

 その形なら、まだ処理できた。

 「殺した」と判断することは、今の俺にはできない。


『映像、確認している』


 深見の声が返ってくる。


 いつもより少し遅い。

 言葉を選んでいるのか。

 それとも、目の前の映像を処理しているのか。


『今まで回収された死体サンプルと同様の反応だ。生体反応、円環部反応、姿勢制御反応、全て停止している』


 短い沈黙。


『死んでいる』


 その言葉が、回線の奥から届いた。


 ――死んでいる。


 TARAK-X(ターラクス)が。

 ナミを奪ったものと同じ名前を持つ異物が。

 俺の撃った光で円環を崩され、地上へ落ち、トリックスターに受け止められて。


 死んでいる。


『ありがとう、ナギ君』


 深見が言った。


 俺は返事をしなかった。


 感謝される理由は理解できる。

 世界から脅威を一つ消し、こちらの被害もほぼ出さなかった。

 礼を言われる結果ではある。


 でも、俺は殺したかったから殺しただけだ。

 殺すために見た。

 殺すために考えた。

 殺すために撃った。


 結果として、世界が一体分だけ軽くなった。


 それだけだ。


(ナミ)


 左薬指を握る。

 痛みが走る。


(見ていてくれたか)


 返事はない。


 ナミの声は、聞こえない。

 聞こえないまま、死体だけが目の前にある。


 黒い異物。

 壊れた円環。

 熱の抜けていく身体。


 死体の前に立ち尽くしていると、ザッという通信特有の雑音が入る。


『……ナギ君』


 そこへ、古川の声が割って入った。


 深見よりも声が硬い。

 さっきよりは安定しているが、完全には戻っていないように聞こえた。


『今送った、東縁列島、内陸圏の座標までのおおよその移動時間は?』


 質問の意味は、すぐに分かった。


 “次”だ。


 俺はTARAK-X(ターラクス)の死体から視線を外さないまま、トリックスターへ意識を向ける。


 さほど時間はかからないだろう。

 この機体なら、距離という概念を人間の感覚ごと踏み潰す。


 それでも、確認は必要だった。


「トリックスター。この座標への最短到達時間は?」


〔ジュップン クライ!〕


 軽い声だった。


 十数メートルの異物を撃ち落とし、五十トンの質量を膜で包み、死体の前に立っている。

 その直後に、異常な距離を散歩でもするかのような声で答える。


 相変わらず、無茶苦茶だ。


『聞こえた』


 古川が言った。


 トリックスターの声を拾っていたらしい。

 回線の向こうでは、アラートの音が増え続けている。それでも、古川の声はすぐに続いた。


『東縁列島、内陸圏が現在かなり押されている』


 その報告は、綺麗に整えられた用語だった。

 実際には、違うのだろう。


 防衛線が削られ、人が死に、トリックスターの量産機が何かしらの危機に陥っている可能性がある。

 そういう意味なのだろう。

 誰かが次の一秒を繋ぐために、全てを捧げているような、そんな戻れない場所まで踏み込んでいる気配を感じる。


『こちらとしては、借りを作りたい』


 古川の声が、わずかに政治の色を帯びる。


『君とトリックスターを救援に向かわせられるか?』


「はい」


 古川の言葉が終わるのと、ほとんど同時に俺は返事をしていた。


 迷いはない。


 借りを作るため。

 VELUCT(ヴェルクト)内での俺の価値を上げるため。

 トリックスターと俺を、各国に対してより大きな交渉材料にするため。


 模擬戦で、古川の意図に反した結果を出した俺を、古川がそう使おうとするのは正しいと思う。

 俺がそう利用されるために動いた。

 これは、望んだ結果だ。


 価値が上がれば、発言権が増える。

 発言権が増えれば、殺すための選択肢が増える。


 だが、今回の最大の目的は別にある。


 TARAK-X(ターラクス)の殲滅。


 一体でも多く殺せるなら向かう。

 一秒でも早く殺せるなら使う。

 誰かの政治も、誰かの借りも、誰かの思惑も。


 全部、俺の殺意の足場にすればいい。


『即答か』


「次がいるなら、向かいます」


 自分の声は、まだ平らだった。


 古川が短く息を吐いた。


『現状、東縁列島内陸圏に降下した機体は、カレン・リウの代打が交戦している』


 カレン・リウ。


 あの青い少女の姿が、一瞬だけ頭を掠めた。

 礼儀正しく整えられた表情、妹を守るために言葉を選んだ声。

 ……その奥に隠していた、家の事情。


 だが、今戦っているのはカレン本人ではない。


『代理パイロットは防戦を強いられているため、疲弊が激しい。だが、パイロットを交代している余裕がない』


 回線の奥で、またアラートが鳴る。


 人間側の音。

 誰かが数値を読み上げ、誰かが被害を報告する。それに誰かが復唱する音。


 遠い。

 だが、さっきよりも近い。


 次の戦場へ向かうということは、あの音の中へ入るということだ。


『カレン君は警告を受けて即時に国へ戻ったが、今回の交戦には間に合わない。

 向こうからの意向としては、パイロット交代の時間を稼いでほしいとのこと。

 ……俺から“言えること”は以上だ。』


「了解」


 短く返す。


 俺はTARAK-X(ターラクス)さえ殺せればいい。


 それだけなら、単純だった。

 だが、先ほど殺したTARAK-X(ターラクス)一体で分かったことが多々ある。


 円環への攻撃は効く。

 そこを壊せば姿勢制御が乱れる。

 だが、円環だけでは即死しない。

 高度次第では落下被害が出る。

 トリックスターの膜なら、落下衝撃を抑えられる。

 こちらの銃弾は偏差補正を必要としない。

 撃った場所へ直接届く。


 殺し方が、少しだけ見えた。

 それに近づければ近づけるほど、俺は完璧になる。


 必ず殺すことだけを求められる戦いなら、選択肢は狭い。

 だが今回、求められているのは時間稼ぎだ。

 なら、試せることがある。


 新しいTARAK-X(ターラクス)が、次の殺しへの道を示すかもしれない。


 俺は、横たわったTARAK-X(ターラクス)を見る。

 歪んだ円環。折れた脚部。地面へ沈んだ胴体。


 死んでいる。

 だが、まだ研究として使える。


 標本は、次の殺害手順になる。

 ……この死体でもサンプルとしての価値は最大級だろう。

 でも、もっと綺麗な死体が良い。もっと、もっと、内部を知りたい。


 もっともっともっと――殺したい。


「いつでも移動は可能です」


 一度、頭を冷やすついでに報告を上げる。


 胸の奥に、冷たいものが沈んでいく。

 それは恐怖でも後悔でもなかった。


 もっと単純で、もっと硬いもの。


 次を殺すための形。


「ただし、ひとつ提案があります」


 回線の向こうが静かになる。


 古川も。

 深見も。

 おそらく、そこにいる研究員達も。


 全員が、俺の次の言葉を待っていた。


 俺は左薬指を握る。


 痛い。


 その痛みだけが、まだ俺を人間の形に留めている。


(ナミ)


 返事はない。


 それでも、俺は続ける。


「五十嵐亜美と、通信を繋げてください」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。