12.現実層の崩落
音は遅れて来るはずだった。
衝撃も、反動も、光も、本来なら順番に発生するものだ。
だが、線だけが走る。
横浜の高所から、夜空の一点へ。
黒い円環へ向かって、細い殺意が一直線に伸びる。
着弾。
その瞬間、夜空の中で、TARAK-Xの円環が、初めて形を崩す。
光は、一切曲がらなかった。
偏差も、補正も、弾道の沈み込みもない。
放たれた閃光は、俺が置いた照準の中心へ、そのまま届いた。
地球の空気を裂いたはずなのに。
大気の揺らぎも、距離も、重力も、弾道を汚さない。
トリックスターは、そういう機体だった。
「トリックスター! 世田谷に移動しろ! カメラは目黒に置け!」
〔ソーレ!〕
移動は一瞬で終わった。
横浜の高所が視界の端へ消える。
夜空が流れ、黒い街の残骸が足元へ広がる。
次の瞬間には、俺は世田谷の地面にいた。
カメラの別視点が、目黒側から開く。
落ちてくるTARAK-Xの背中と歪んだ円環。
即座にVELUCTへ報告を入れる。
「円環部、着弾確認」
自分の声が、ひどく平らに聞こえた。
『映像、受信している』
深見の声が入る。
その奥で、誰かが短く息を呑んだ。
『円環外縁に損傷。輪郭変化、継続観測中』
深見の回線からは断続的にデータの報告が上がる。しかし、古川の回線から、声は聞こえない。
代わりに、奥でアラートだけが鳴っている。
ピッー、ピッ、ピッピピッ。
人間側の音がする。
意識をこちら側へ戻すと、TARAK-Xの襲撃前と変わらぬ夜だけがあった。
銃を置き、トリックスターの全方位視界へ意識を広げる。
それまで、TARAK-Xは真っ直ぐに降りていた。
落下ではなく、降下。
自分で目標地点を選び、自分の身体をそこへ運んでいるような動きだった。
だが、今は違う。
背後の円環が歪んだ瞬間、全身が軋むように揺れた。
足元を地上へ向けたまま保っていた姿勢が、わずかに傾く。
胴体が遅れ、脚部が先に落ちると、円環がもう一度、無理に形を戻そうとするように収縮した。
損壊を与えることには成功した。
だが、破壊には届いていない。
そう判断した。
――直後。
TARAK-Xの全身がガタガタと震えた。
空の中で、十五メートルほどの異物が、壊れた振り子のように揺れる。
黒い輪の輪郭が揺らぎ、姿勢が戻り、また崩れる。
生き物が傷口を押さえようとしているようにも、壊れた機械が、最後の制御信号を探しているようにも見えた。
どちらでもいい。
(……効いている。)
「トリックスター、TARAK-Xが落下する瞬間に、TARAK-Xをシールドで包み込め。衝撃を抑えろ」
初戦で、トリックスターは俺の周囲に光の多層膜シールドを展開した。
外へ向けて張れた膜なら、内へ向けて閉じることもできるはずだ。
衝撃を逃がすのではなく、包んで殺す。
〔ウン!〕
「VELUCT。TARAK-Xの姿勢制御、不安定化。円環損傷後、降下線に乱れあり」
『確認した。被害予測、更新中』
古川の声。
その背後で、今度はアラートが明確に鳴り響いていた。
『降下体、姿勢乱れ。落下予測線、更新。繰り返す、落下予測線、更新――』
機械音声、復唱、警報。
声が重なる。
その全てが、遠い。
TARAK-Xは、すぐには落ちなかった。
円環を壊されても、空中で震えながら、それでもまだ降下しようとしていた。
姿勢を戻す。
崩れる。
戻す。
崩れる。
傷ついた器官で、必死に地上まで辿り着こうとしている。
高度が削れていく。
10km。
8km。
6km。
数字が冷たく並ぶ。
その横で、TARAK-Xの輪郭が何度も歪む。
俺は次弾の照準を探した。
頭部は現在の角度から狙えない。
胴体、足、熱の差が出ている場所。
どこでもいい。
次に壊せる場所。
次に殺せる場所。
だが、その瞬間。
――TARAK-Xの動きが止まった。
高度、約5km。
空の中で、巨大な異物が一度だけ固まる。
震えが消えた。
円環の輪郭が、半端に開いたまま固定される。
脚部が下を向き、胴体がやや傾いたまま、全身が硬直する。
目黒側の映像では、円環の歪みがよりはっきり見えた。
直後、TARAK-Xが落ちた。
降下ではない。
落下だった。
地球の重力に引かれ、制御を失った質量が真下へ引きずり落とされ、それまで保っていた姿勢が崩れる。
「おい!!」
声が裂けた。
衝撃は、TNT換算で0.5t以上。
トリックスターが失敗すれば、世田谷はもう一度死ぬ。
俺も、その衝撃を直接味わうかもしれない。
でも、トリックスターは“出来ないことは出来ない”と言う。
出来る時だけ、軽く答える。
皮肉だが、今はその無邪気さを信用するしかなかった。
だから、叫んだ。
さっきの指示を思い出せ。
そういう意味を込めて。
地面に直撃する、まさにその瞬間。
TARAK-Xは、白く薄い膜に包まれた。
膜は一瞬で重なり、巨大な繭のように落下体を包み込む。
そして、TARAK-Xは地面へ、ふわりと置かれた。
資料によると、推定50tもある質量に向けて使うには、あまりにも間違った言葉だった。
だが、そう見えた。
地面が低く唸る。
砕けたアスファルトが少しだけ跳ねる。
粉塵が白く広がる。
古い建物の壁から、乾いた砂のように破片が落ちる。
だが、街は爆ぜなかった。
俺の指示通り、トリックスターが、受け止めた。
俺は見ていた。
見なければいけないと思った。
ナミ。
お前を想って撃った光が、何を壊すのか。
俺は、それを見なければならない。
「着地確認」
声が出た。
それが自分の声だと、少し遅れて分かった。
『……把握している』
古川の声は、ひどく細かった。
政治家という看板を背負っているから、かろうじて喉の奥から音を押し出せた。
そんな声だった。
目の前には、TARAK-Xが横たわっている。
15mほどの黒い異物。
背後の円環の外縁は歪んだまま動かない。
生き物なら、死体。
機械なら、残骸。
怪物なら、標本。
どの言葉を選んでも、足りなかった。
「接近します」
『慎重に』
古川の声が返る。
その声は、先ほどより少しだけ安定していた。
俺は返事をしなかった。
トリックスターを歩かせる。
砕けた道路を踏む。
足元で瓦礫が沈む。
TARAK-Xは動かない。
何も動かない。
――ナミ。
俺は第一歩を踏み出したのかもしれない。




