11.弔いの閃光
残り二十分。
スコープの中で、TARAK-Xはまだ遠かった。
遠い、という感覚が正しいのかは分からない。トリックスターの視界は、人間の距離感を簡単に裏切る。夜空の黒も、雲の層も、大気の揺らぎも、俺の目ではなく機体の感覚器を通して流れ込んでくる。
冷たい。
そう思った。
実際に冷気が肌に触れているわけではない。俺の身体は、トリックスターの内部にある。皮膚は外気に晒されていない。
それでも、夜の湿度と、海から上がってくる空気と、岩盤に残る冷えが、薄い膜のように神経の外側へ貼りついていた。
横浜の高所。
斜面から突き出した岩盤。
遠くに沈む、死んだ街の黒。
その上に、降下してくる異物。
「トリックスター。スコープ倍率を段階ごとに変えろ。十秒ごとに記録」
〔ウン!〕
視界が狭まり、広がり、また狭まる。
円環の輪郭が伸びる。
ぶれる。
揺らぐ。
大気の層が、透明な水のように像を歪ませる。
「川崎側の映像も同期。時刻情報を重ねろ」
〔デキルヨー〕
視界の片隅に、別角度の夜空が開いた。
川崎側から見たTARAK-X。距離も角度も足りない。だが、降下中の姿勢変化を見るには使える。
黒い輪が、夜の中で細く呼吸しているように見えた。
回転しているのか。
脈動しているのか。
あるいは、こちらの認識がそう処理しているだけなのか。
「表面温度の差と円環外周の輪郭変化を記録。十秒前との差分を出し続けろ」
〔ハーイ〕
視界に映り続ける円環。
トリックスターの無邪気な声。
どちらも俺の神経の奥を軽く撫でる。
胃液の匂いが、ほんの少しだけ戻った。
俺が左薬指を握りしめると痛みが走る。
いらない。
今は、いらない。
吐き気も、嫌悪も、トリックスターへの感情も。
全部、照準の外へ押し出す。
視界の端で数字が動き回る。
高度。速度。降下線。予測着地点。
冷たい記号が、夜空に落ちてくる怪物を分解していく。
数字にできるものは、殺せる。
少なくとも、殺し方を考えられる。
『データの受信に問題なし』
深見の呼吸が、いつもより浅い。
それだけで、一瞬意識がブレる。
いらない。いらない。いらない。
殺す。殺す。殺す。
『第一迎撃区域、封鎖完了。繰り返す、第一迎撃区域、封鎖完了――』
アラートに混じって、古川の声が耳に入る。
『ナギ君、現地退避は完了した。
この後は一任するが、なるべく被害の少ない範囲で頼む』
古川に対して、ここまでの観察からの仮説を伝える。
「円環外縁への狙撃について提案があります。
閉じ切る瞬間より、開き切る直前を撃つ方がいい。
内圧が高い状態に見える。そこだけで死ぬなら、本体構造を残せる。死骸サンプルは、綺麗な方がいい」
『深見君に一任する』
『仮説として成立している。許可しよう』
「了解」
短いやり取りの後、俺はスコープの中の円環を見る。
もし落ちるなら、それでいい。
落ちないなら、次を撃つ。
足。胴。頭。円環の接合部。熱の差が出ている場所。姿勢を作っている部位。
殺せるなら、どこでもいい。
スコープの中心に円環を置く。
全方位視界で降下線を見る。
川崎側の映像で姿勢差を拾う。
トリックスターが残した点の列で速度変化を読む。
全部、同時に処理する。
頭が熱い。
目の奥が乾く。
だが、身体はない。
疲労だけが、身体の形を思い出させる。
『ナギ君』
古川の声。
同時に、回線の奥でアラートが鳴り響いた。
『降下予測更新。予定通り。残り五分』
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。
音が重なる。
誰かが指示を飛ばしている。
別の誰かが復唱している。
機械音声が高度を読み上げる。
『推定高度、約16.7km』
指定時間だ。
仮にこの高さから落下したら世田谷の復興は叶わないだろう。
古川が求めていたのは、落下被害を抑えられる高度での狙撃だろう。
それでも、俺は今撃つ。
(ナミ。お前を想うよ)
ナミの声は、聞こえない。
「死ね」
誰に向けた言葉でもなかった。
次の瞬間、トリックスターの光が夜を貫いた。
花の代わりに、閃光が上がる。




