7.衆目の星
会場へ入った瞬間、視線が一斉にこちらへ向いた。
食器の触れ合う音。
低く交わされる複数の言語。
照明を受けて白く光るテーブルクロス。
料理の湯気に、香辛料、焼いた肉や魚、温かいスープの匂いが混ざっている。
晩餐会という名目にふさわしく、場は整えられていた。
だが、空気は柔らかくない。
壁際には警備員が等間隔で配置され、出入口には武装した人間が立っている。天井近くの監視カメラは、装飾の一部のような顔で会場全体を見下ろしていた。
食事。会話。笑顔。
その全ての下に、薄く刃物が敷かれている。
俺は視線を気にせず、古川の後に続いた。
隣の亜美は、少しだけ歩幅が硬い。礼服の布が擦れる音も、さっきより近く聞こえる。緊張しているのだろう。
その先に、オリビアとカレンがいた。
オリビアは、こちらに気づくと花が開くように微笑んだ。
「ナギくん。昨日はお疲れ様」
柔らかい声だった。
だが、昨日の模擬戦で見た銃口を思い出すと、その柔らかさも別の意味を持つ。
「本音を言うと、悔しかったわ。でも、それ以上に良い模擬戦だった」
オリビアは自然な動作で視線を亜美へ移す。
「それと、素敵なお嬢さん。あたしはオリビア・カーターです。オリビアって呼んでください」
亜美の肩が、わずかに強張った。
オリビアは上品だ。
立ち方、声の置き方、笑顔の角度。どれも整っている。
それでいて、存在感が強い。押しつけがましくはないのに、視線を引き受けることに慣れている人間の重さがある。
「アミ・イガラシです」
亜美は少し息を整えてから、言葉を続けた。
「……ナギとは、同じ研究室の……仲間です」
「そうだったわ!」
オリビアは、ぱっと明るく反応した。
「ナギくんって、元々Phractureの開発者だったのよね。なのに、あんな戦闘もできて……尊敬しちゃうわ。ね、カレンさん」
「挨拶が遅れました」
カレンが一歩前へ出る。
藍色の髪は、晩餐会用に整えられていた。腰まで落ちる真っ直ぐな髪が、照明を受けて深い青に光る。
「カレン・リウです。オリビアさんの意見に同意します」
短い挨拶。
丁寧だが、余計なことは言わない。
先ほどのメイリンの件には触れなかった。
こちらも話を出すメリットは一切ない。俺も流れに身を任せる。
「改めまして。ナギ・アイザワです。こちらこそ、良い経験をありがとうございました」
形式的な挨拶。
それを交わしている間にも、会場のあちこちから視線が向けられているのが分かる。
昨日の模擬戦以降、その種類はさらに濃くなった。
そのとき、遠くから場違いなほど明るい声が響いた。
「うまーい!」
エマだった。
食事を楽しんでいるのだろう。
その声だけで、会場の緊張がわずかに崩れた。だが、すぐに元へ戻る。
「あたしってば、まだどうしても大剣が出る時の重さに慣れていないのよね」
オリビアが会話を戻す。
「少し引っ張られちゃうの。シミュレーターで訓練はしているんだけど、いざ、ってなると難しいのよね」
「出現時に重心が変わりますからね」
俺は答える。
「特に近接中に切り替える場合、機体そのものの姿勢制御も必要になります」
「やっぱりそうよね。昨日、ナギくんはそれをかなり自然に処理していたわ」
「自然というより、無理やりです」
「それでも処理できているなら十分よ」
オリビアは笑う。
その会話に、カレンが静かに頷く。
「大剣の出現時、私はまだ一拍遅れます。エマさんは力で押し切る。オリビアさんは位置で調整する。アイザワさんは、発生する乱れをそのまま次の動作に流しているように見えました」
「そこまで意識していたわけではありません」
「なら、なおさら厄介です」
カレンの声は平坦だった。
褒めているのか、警戒しているのか、どちらにも取れる。
会話のテンポは穏やかだった。
だが、周囲の警備は異様なほど硬い。
壁際の警備員は誰一人、食事に意識を向けていない。視線は常に人の流れを追っている。無線の小さなノイズが、時々、食器の音に紛れて耳へ届く。
晩餐会。親睦。
その言葉が、どれだけ表面上のものかは明らかだった。
そこへ、ジョンソン総司令がやってきた。
「やぁ。この度は良いものを見せてくれてありがとう!」
声が大きい。
ただ大きいだけではなく、人に聞かせるための声だった。
俺達は、それぞれ礼を返した。
「この後、開会のスピーチが始まる」
ジョンソン総司令は機嫌よく続けた。
「良かったら、パイロット諸君は一緒に登壇して、一言感想をもらえると助かるよ」
断る理由はなかった。
オリビアもカレンも、異を唱えなかった。
俺も頷く。
そのまま、俺達は舞台裏へ導かれた。
会場側に残る亜美は少し不安そうな顔をしていたが、俺と目が合うと、小さく手を振る。
俺は軽く頷いた。
それだけで、亜美は少しだけ表情を緩めた。
「エマももうすぐ舞台裏へ来るから、私は先に挨拶を始めるよ」
ジョンソン総司令はそう言って、舞台へ上がった。
照明が一段強くなる。
会場の視線が、総司令へ集まる。
ざわめきが少しずつ細くなっていく。食器の音も止まり、複数言語の会話も途切れる。
マイクの前に立ったジョンソン総司令が、軽く指で音を確認した。
コツ、と小さな音。
次いで、低いハウリングが一瞬だけ走る。
その瞬間だった。
『第一種警報! 第一種警報!』
会場全体に、鋭い音声が叩きつけられた。
照明が一瞬、赤に切り替わる。
『TARAK-Xの降下を確認! 繰り返します! 第一種警報! 第一種警報! TARAK-Xの降下を確認!』
空気が変わった。
食事の匂いも、香水も、温かいスープの湯気も、一瞬で意味を失う。
誰かが椅子を倒した。
金属音が床を滑る。
警備員達が一斉に動く。無線が破裂するように鳴り、複数の足音が会場の床を叩いた。
オリビアの笑顔が消える。
カレンの目が鋭くなる。
舞台上のジョンソン総司令が、マイクから手を離す。
俺は、反射的に左薬指を握っていた。
痛みが走る。
赤い警報灯が、会場の白い壁を染めていく。
晩餐会は終わった。
今から始まるのは、また別の戦場だった。




