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14.現実世界の勝者


 銃口が、俺のコックピットを捉えていた。

 オリビアの声は、相変わらず柔らかい。


『あたしの勝ち、ですね』


 その声だけを聞けば、花の前で微笑んでいる少女にしか思えない。

 だが、視界の中にあるのは、左腕を失ってなお背後を取った機体だった。

 脚部を破壊され、祈りを捧げているような姿勢から動くことができない俺に、右手の銃を突きつけている。


 撃たれれば終わり。

 その状況を、オリビアは作った。

 十分に強い。


 ただ、一つだけ遅かった。


 勝利宣言をした。


 ガンッ。


 鈍い音が響いた。

 続けて、もう一つ。


 ガンッ。


 背後で金属が潰れる音。

 俺を捉えていた照準警告が、下へずれた。


 俺は振り返れない。

 脚部が壊れている。機体の姿勢も崩れている。視界はほとんど固定されたままだ。


 それでも、分かった。

 落ちたのだ。

 俺とエマが、同時に上空へ弾き飛ばした二本の大剣。


 あれをただ弾いたわけではない。

 俺の背後へ落ちるように弾いた。

 オリビアが最後に来るであろう場所へ。


「俺の勝ち、ですよ」


 声に、ほとんど力は残っていなかった。

 それでも、はっきりと言った。

 通信の向こうで、短い沈黙が落ちる。


『……オリビア・カーター、失格』


 技術員の声が告げた。

 乾いた判定音が、仮想の森に響く。


 エマへの特攻には、ある程度の勝算があった。


 頭部を壊した後の死角。

 大剣同士を跳ね上げた時の隙。

 脚部を捨ててでも胸部を撃ち抜く選択。

 不確定要素は多かったが、組み立てられる範囲ではあった。


 だが、これは完全な賭けだった。


 オリビアが遠くから俺を狙撃していれば。

 オリビアが、あと少し遅く到着していれば。

 オリビアが勝利宣言をせず、すぐに撃っていれば。


 たらればは、いくらでもあった。


 それでも俺は、あの少女が最後に“綺麗な勝ち方”を選ぶ可能性に賭けた。


 ジョンソン総司令の後ろへ自然に下がった時の所作。

 握手の圧。

 笑顔の置き方。

 話し方。

 これまでのやり取り。


 オリビアは、泥臭い過程を踏んでも、最後には華麗な勝利として整える人間だと思った。


 だから、撃つ前に言葉を置く。

 勝った、と相手に認識させる。

 その一拍を、俺は狙った。


 賭けだった。


 本物の賭けだ。


 だが、勝った。


『勝者、ナギ・アイザワ』


 その音声と同時に、視界が暗転した。

 仮想の森が消える。

 木々も、土煙も、白黒の機体も、全てが黒に沈む。

 次の瞬間、耳の奥をノイズが走った。

 視界の奥で光が揺れ、身体の感覚が一拍遅れて現実へ戻ってくる。


 コックピット内部だった。


 狭い。

 熱い。

 息苦しい。


 VRゴーグルの内側には汗がこもり、頬に張りついた前髪が気持ち悪い。

 背中の服は湿っていて、固定具に押しつけられた部分だけが冷たく、他の部分は妙に熱を持っていた。


 掌が痺れている。

 レバーを握り続けた指先が強張り、関節がうまく開かない。

 足裏には、まだペダルの硬さが残っていた。踏み込み続けた錯覚が抜けず、現実の脚まで重く感じる。


 喉が焼けて、呼吸が浅い。

 胸の奥まで空気が入らない。


 勝った。


 その事実は理解できている。

 だが、身体はまだ戦闘中のままだった。


 ハッチが開く音がした。


 外の光が差し込む。

 冷たい空気が頬を撫でた瞬間、自分がどれだけ熱を持っていたのかを理解した。


「相澤さん」


 佐々木だった。

 すぐに酸素マスクが口元へ押し当てられる。

 乾いたゴムの匂い。酸素の冷たい流れ。消毒液の匂い。


 汗を拭われる。

 額、首筋、頬。

 タオルの布地が皮膚を擦るたび、ようやく自分の身体の輪郭が戻ってくる。


「ひとまず、お疲れ様でした」


 佐々木の声が、近くで聞こえた。

 俺はすぐには答えられなかった。


 酸素を吸う。


 肺の奥が少しずつ広がる。

 脳に血と酸素が戻ってくる感覚が、遅れてやってきた。


 こくり、と頷く。


 それが今できる精一杯だった。


 しばらくして、ようやく身体を起こす。

 固定具が外され、コックピットの外へ足を下ろす。床に靴底が触れた瞬間、膝がわずかに笑った。


 現実の床は硬い。

 仮想の森とは違う。

 金属と樹脂と人間の体温が混ざった空気が、肺に入ってくる。


 周囲は静かだった。


 数百人がいるはずなのに、誰もすぐには声を出さない。

 その代わり、視線だけが一斉にこちらへ向いていた。


 好奇。

 驚愕。

 警戒。

 計算。


 それらが、白い照明の下で、音もなく俺の身体に刺さってくる。


 予想通り、俺は勝った。

 そして、俺自身の価値を上げた。


 望んだ通りに。

 望んだ以上に。


 そこへ、古川が歩いてきた。

 いつもの軽さは薄く、表情が硬い。

 俺のすぐ横まで来ると、周囲に聞こえない程度の小声で尋ねた。


「わざと?」


 短い問いだった。

 何を指しているのかは明白だった。


 勝ったこと。

 勝ちに行ったこと。

 古川の意図を理解した上で、それを踏み越えたこと。


「はい」


 俺はそれだけ答えた。

 古川は、少しだけ目を細めた。


 怒っているのか。

 呆れているのか。

 評価しているのか。


 その全てか。


 判断する前に、室内のスピーカーが鳴った。


『本日は有意義な試合をどうも!』


 ジョンソン総司令の声が響いた。

 明るく、太く、よく通る声。


『何度でもデータを取りたいところだが、各国、状況が状況だ。今回はここで解散とさせてもらおう!』


 室内の空気が、わずかに動いた。

 誰もがまだ見足りない。

 もっとデータが欲しい。

 もっと戦わせたい。

 その気配はあった。


 だが、今日はここで終わる。


『重ねてになるが、とても良かった!』


 その言葉を最後に、通信が切れた。

 プツッ、という小さな音。

 それだけで、張り詰めていた場の糸が一度切れる。


 誰かが息を吐いた。

 端末を叩く音が戻る。

 小さなざわめきが、床を這うように広がっていく。


 俺はまだ、汗で湿った服の重さを感じていた。

 喉には苦味が残っている。

 呼吸も完全には整っていない。


 それでも、一連の模擬戦(おゆうぎかい)は終わった。


 俺が勝者として、その場に立ったまま。

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